【股ヶ池と長池】
明治42年の田邉村、阿倍野村の地図では股ヶ池と長池はつながっています。
1945年7月26日の航空写真(アメリカ軍資料:ファットマン型原子爆弾の模擬爆弾/原爆投下の練習)では、ほぼ現在と同じ。股ヶ池と長池は埋め立てなどによって分断されています。
明治42年の地図(昭和中学校のブログより)
http://swa.city-osaka.ed.jp/swas/index.php?id=j712600&frame=frm5180a865ce5e8
1945年7月26日の航空写真(米軍資料)より
長崎原爆の予行演習、ファットマン型原子爆弾の模擬爆弾の記録として撮られた写真。中央部分が爆心地。田辺小学校のすぐ北です。
股ヶ池はほぼ現在と同じです。長池は南田辺駅の南に少しだけ写っています。
1945年7月26日、この日はポツダム宣言が発せられた日ですね。
http://seesaawiki.jp/w/haruhi_i_love/d/%B0%A4%C7%DC%CC%EE%A4%CE%C3%CF%CC%BE%A1%A1%A4%BD%A4%CE%A3%B4
『長池は、上町台地と我孫子丘陵の間にあり猫間川とつながっていた。明治初期までは、長池と桃が池はつながっていた。長池公園は、昭和3年(1929)に竣工した。長池のほとりにある舗装歩道は、日本初のものである。ほとりに、大正13年(1924年)シャープの基となる早川電機が早川徳次によって開業した。一説によると、大昔に、長居池と呼ばれる住吉大社から阿倍野まで広がる巨大な池があった。長池や桃が池や長居公園の中池は、その痕跡だといわれている。』
股ヶ池の歴史は古く飛鳥時代にまでさかのぼるとのこと。田辺が住吉大社と古くから関係があったことも知りました。
https://www.osaka-asobo.jp/course_station/212.pdf#search='%E8%82%A1%E3%83%B6%E6%B1%A0
『住吉大社の神馬の飼育は代々、田辺が行っていました。伝説によれば、神功皇后が朝鮮半島から見事な白馬を持ち帰って住吉大社で飼育していましたが、ある日失踪して、探してみると田辺の地で休んでいて、「馬はここを好んでいるようだ」と神馬の飼育を田辺の住民に任せたといいます。以来、連綿として戦前まで神馬は朝夕、田辺と住吉大社を往復していました。』
桃ヶ池公園 wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E3%83%B6%E6%B1%A0%E5%85%AC%E5%9C%92
2015年5月16日 4:17 橋本 公成