2014年5月30日金曜日

「崩れゆく身体」 Clotho ~あるいは老いのかたち

誕生と死。
人にとっての大きなできごとであるこの二つの出来事を、人は自身で体験できない。
人が体験できるのはその二つの出来事の間である。

少年期から青年期、人は自分が死なないと思う。あるいは死など意識しない。
しかし、昨日まで無意識にできていた行動が、ある時、他人の借り物の身体のように感じられ、無意識に動かしていた身体の部位が、一つずつ意識して命令しないと動かなくなったことを実感する時、人は身体の衰えをあらためて意識し、自身の身体を鏡に映す。
そして、あたりまえのようにそこにあった筋肉が削げ落ちた自身の身体を見つめ、つぶやく
「崩れゆく身体」。
否、壊れてしまった身体。

「崩れゆく身体」という言葉が適用されるのはもっと若年の時期である。
始めてこの言葉が口をついてでたのはルーベンスの描く裸婦を見たときである。

古代ギリシア、ローマ彫刻によって創られた人間の肉体賛美。


「崩れゆく身体」という表現は、青年期を人生のピークとして設定した表現である。






"CLOTHO" Camille Claudel

http://www.musee-rodin.fr/en/collections/sculptures/clotho


"Belle heaulimiere (The Old Courtesan)" Auguste Rodin

http://www.musee-rodin.fr/en/collections/sculptures/she-who-was-helmet-makers-once-beautiful-wife
http://www.metmuseum.org/toah/works-of-art/11.173.3