後期二日目。4,5限の授業が終わって少し話し込むとどっぷり日は暮れての帰り道、
東谷山に昇る赤い臥待ち月。
鱗雲の隙間からのぞく十三夜から七日目の月、いとをかし
180928 20:10 |
作詞、岡本おさみ「祭りのあと」
http://j-lyric.net/artist/a001cc0/l0069d9.html
180928 20:10 |
そんなトーベ・ヤンソンさんが生まれ育ったフィンランドには「自然享受権」という考え方が古くからあるようです。これは「自然はみんなのものだから独り占めしてはならない」という考え方で、フィンランドでは自然享受権によって、仮にそこが私有地だとしても徒歩、自転車、あるいはスキーなどによる通行が認められていると言います。
気象庁富士山測候所の職員が68年間つづった40冊以上の「カンテラ日誌」が所在不明になっていた問題で、同測候所を管轄した東京管区気象台は毎日新聞の取材に、昨年11月以降に「文書整理の一環」で廃棄していたことを明らかにした。
気象観測のほか、眼下の空襲など太平洋戦争も記録した貴重な資料が失われた。閲覧したことがある気象専門家らは「職員が見たまま感じたままを率直に記した第一級の歴史資料だった。機械的に捨てるなんて」と批判している。
<富士山頂日誌はどこへ>気象台「私的で保管義務ない」
同気象台総務課によると、日誌は昨年11月までは倉庫にあったが、他の行政文書と一緒に溶解処分したという。取材に対し同課担当者は「毎日の出来事や感想を個人的に書き留めたもの。職務ではなく、行政文書に当たらない。庁舎内のスペースは有限で、必要ないものを無尽蔵に保管できない」と説明した。
富士山測候所
正確な天気予報には高層の気象データが欠かせないとの考えから、1932年、富士山頂火口の南東側の縁に前身施設が設置され、36年に火口南西側の最高地点「剣ケ峰」(3776メートル)に移転。職員が常駐していたが、観測機器や通信技術の発達で2004年に無人化された。建物は現存し、NPO法人や研究者らが高層大気の調査などで利用している。
フランスで有名な作家、水林章が仏紙「リベラシオン」のインタビューで、銭湯と戦後レジームからの脱却について語っている。水林は「安倍政権下で民主主義が死の危機に瀕している」とし、それを人々が止められない理由として日本人特有の「パブリックな空間」が関係していると指摘する。
...作家の水林章が、フランスで刊行した新著『日本の湯の深みにて』(未邦訳)で、失われつつある「銭湯」の文化を語っている。これは日記と随筆を混ぜたパーソナルな本であり、水林は銭湯で見られる日本人の社交性を郷愁とともに思い起こしている。
...そこで私は、...外国人の旅人が日本人の空間に入ってすぐに「お風呂にしますか」と勧められるという、あのイニシエーションのようなものを描いたのです。
日本の銭湯は、プライベートともパブリックとも言い難いハイブリッドな空間です。私はこの文章を書きながら公共空間について考えました。