2016年8月15日月曜日

day #21409 : 160814 第一大和川橋梁




関西本線の王寺と法隆寺の間にある鉄橋、第一大和川橋梁
その二つの駅の間、人が渡れる橋は浸水橋ひとつ
大和川は斑鳩と大輪田をへだてる
かつては蘇我と物部をへだてる国さかいだっただろうか


堤防、道がアスファルトになった以外は55年前の景色と同じ
法隆寺の山と法輪寺の三重の塔が見える

三歳の頃?四歳の頃?五歳の頃?
祖母の後をついて渡った線路の鉄橋を確認するために
盆の帰省途中に大輪田による


大和八木で乗り換え田原本で降り
単線の田原本線、西田原本から大輪田へ

河合町役場に隣接する池辺駅
覚えのある薄暗いホーム、木立の陰の駅
幼い記憶がよみがえる

祖母の実家、一升瓶、佐味田の濃縮ジュース工場

母に聞けば
「佐味田のおじさんが亡くなったお葬式の時だから、あんたは三歳。
その時以外あんたは行ってない。あんた憶えてるの?」

覚えている
薄暗い土間の一升瓶に詰まった蜜柑ジュース


三歳の頃?四歳の頃?五歳の頃?
たびたび、あずけられていたからいつの記憶かわからない
線路の隙間から下を見ると足がすくんだ鉄橋
祖母に手をひかれていたか?
列車が通過するときはよけて
などという記憶は、幼児に可能なことか

改めて確認すると、
複線それぞれの線路のわきに、人が歩ける鉄板と手すり
事故、点検用だと思うが
人が歩いて渡ってもよかったのだろうか


それにしても

曽我川、飛鳥川、富雄川が合流し
佐味田川の合流するあたりから大きくS字カーブし
竜田川が合流する斑鳩の湊だったであろう舟戸までの
奈良盆地を流れる大和川の川筋は
河内と異なり
かなり昔からそれほど変わっていなかったとおもわれる

田畑が大和川に分断されたとは考えにくい
なぜ鉄橋の西に田畑があったのに
鉄橋を渡った、川の対岸の畑に?
川の対岸の畑については記憶があいまいでよく覚えていない


そのことを母に問うと
知らなかった祖母のことがわかり
鉄橋を歩いて渡った謎も解けた







追記--
その時、叔父は家の前でこけて頭部を打撲。救急で病院にいた。
その晩、訃報の知らせが入った。