2017年4月23日日曜日

170423 cherry blossom




170409: 大阪市南森町





2017年4月9日
今日は打ち合わせでここにおじゃましました。




ガムテープを天井からたらした放物線をそのままかたどった棚が大胆に空間を分断する空間。
北川貴好氏の作品です。
空間に直接ドローイングした設計は、紙にドローイングや図面から始める一般的な設計手法よりも直接的で彫刻的です。


数か月前、FBの写真や新建築の記事などで見ていた完成時の画像が、実際どのように使われているのかが拝見できました。三つの放物線は、3人のワーキングスペースに対応して設置されていました。


重力の影響から導き出された放物線は、ガウディのサグラダファミリア、設計段階の模型を連想させもしますが、ガウディが放物線を反転させ天に向かう建て物であるのに対し、北川氏の空間はそのまま重力の形をなぞっていて、建てない空間を志向しているようて興味深く感じました。





2017年4月22日土曜日

170408 泉南みさき公園









2017年4月8日
小雨煙る海沿いの泉南、みさき公園に来ました。学生時代からの友人橋本和明氏の個展を見るためです。大学卒業後、制作を継続していることを知る数少ない友人です。大阪府の南のほうにあるギャラリーということで関空の近くだろうくらいの軽い気持ちで難波から電車に乗ったのですがなかなか着きません。着いたところは大阪府でありながらもうほとんど和歌山県です。しかし、大阪と和歌山、その国さかいにどれだけの意味があるのか!人は作品を観るために何マイルも旅をする生き物であることを考えると朝11時前に名古屋近郊の家を出てみさき公園駅に到着したのは午後3時というのは大した時間ではありません。いや時間というものは相対的なものなので道中での出来事や思索によって長くも短くもなる有機的なものです。二十数年前、香港経由の安便でイギリスに飛び、ドーバー海峡を船で渡ってベルギー、ブルージュの教会でミケランジェロの聖母子像を見たときに比べれば1/6の時間です。しかし遠いと感じるのは道中の時間よりも40年という遡った時間があったからかもしれません。実際のところ彼とは一週間前の日曜日、四日市の目黒陶芸館で37年ぶりに再会しているのですが、彼の個展を見るのは初めてだったのです。




今から40年前(なんと40年!)の学生時代、僕は彼のモデルになっています。才能のなさに鬱々としながらも若者特有の無敵感でそのことを悟られまいとしている私の首に、彼は「プライド」というタイトルをつけて展示したのでした!ちょうど僕が二科展に油絵を初出品して入選した19の頃だったと思います。金沢はいなかなので北国新聞に学生証の顔写真入りで入選者が報じられてびっくりしたことを思い出します。二科展に出品したのはその時一回だけでそれ以後、公募団体展というところには出品はしていませんが、彼は長年二科展に出品しています。




FacebookなどのSNSによって情報美術はいっそう拡散スピードを増し、現場に立ち会うという意味自体も変化してきています。彼の作品もすでにFB上で見ているため、観た気になっていましたが、現物を観る、現場に立ち会うというのは体感する情報量の多さという面では依然、情報美術とは比べられないものがあります。

今回、僕がこの海辺のギャラリーで観たいと思った黒い頭部の現物は写真画像で想像してたよりもずっと小さなもので驚きました。ブルージュの聖母教会にあるミケランジェロの聖母子像も作品集写真で既視していたものよりかなり小さなものであり驚いたことを思い出します。ブルージュの聖母子像が大理石であるのに対し和明氏の像は塑像を石膏で型どられ錆カラーで彩色したものです。錆カラーはブロンズ像を擬装しているように見えますが、そもそも絵画はキャンバスや木を擬装していることを考えると否定的なことではありません。それでも石膏と聞くとテンポラリーな素材の印象があります。
石膏よりもブロンズや大理石という彫刻の王道的な素材に対する信仰はどこから来るのでしょうか。硬さによる永続性?材質単価による資産価値?「美術品」信仰?そもそも彫刻の王道とは?



一週間前、三重県立美術館で見た柳原義達の石膏原型とブロンズの並列展示が脳裏をよぎります。
「石膏原型さえあればいつでもブロンズに変換できる。」
柳原の火災を免れた戦前の女性の首の石膏原型はそんなことを語ってるようでした。




彫刻の特質に可触性があります。信仰の対象になる像はよく撫ぜられてその部分がテカテカ光っています。一方、美術館などでは触れないように注意されます。視覚のみで可触性を体感せよというのです。
「彫刻は単一素材として彩色を避け、その表面も材質感を見せるものだ。」という声も聞こえてきます。ここには彫刻とはマッス、ボリューム、量感を表現するものだという原理主義もあります。彩色された立体は軽くも重くも見えるイリュージョンをもたらします。
しかし、この件は別のところで考えるとしましょう。




web上に幾多存在する情報美術も新しい「美術」です。そもそも近代以降、木枠に貼ったキャンバスとチューブに入った絵具が登場して携帯できるタブローが可能になり、移動可能でどこでもない場所を居場所にした「美術」「芸術」は、文脈から切り離し分断することで作品自体の内部に注視させようとする面のみが強調されてきたきらいがあります。また、コレクション、美術館は政治の産物です。略奪と征服、戦利品。30年前チェックポイント・チャーリーから入って行った東ベルリンの博物館島にはナチスのニュルンベルク党大会会場の元になった古代ギリシャのペルガモン遺跡やイスラムのイシュタルの門が移設されドイツ帝国の威光を放っていました。カット アンド ペーストです。クロマキー合成です。分類され編纂されるという歴史そのものです。飛躍しすぎますが、異教の阿修羅が仏教寺院である興福寺で仏の守護する陣営に加わっているのに似ています。


なぜにこんなに作品から離れて脱線してしまうのか。
そう、僕は先週、三重県美で「再発見ニッポンの立体!」展を見、明治以降、それ以前、概念がなかったものを無理やり対訳して作った「美術」「芸術」に、以前にもまして懐疑的な感情を持ったからでした。
だから、彼の小さなKANONは「美術」「芸術」ではない、もっとふさわしくあるべき場所にあり、親密に人々の信仰の場でふれられるのがふさわしいと思ったのです。
















2017年4月2日日曜日

170402: 美術館のペコちゃんとサトちゃん



2017年4月2日
 美術館に展示されるペコちゃんとサトちゃん。



「土偶からキャラクターフィギュアまで」このキャッチコピーに、10日後から始まる新学期の授業の関連を感じ、とりあえず見ておくかと、それでも、美術館が網羅できるのかと疑心暗鬼で、津まで出かけたのだ。


授業では「すべての立体物をキャラクターフィギュアとして見る」ことから初めているのだから。

















ニッポンの立体?
まるで「日本画」のようだ。


再発見?
再発見したのは美術館に住む人々。


土偶、仏像、人形からフィギュアまで?
文脈から切り離したニュートラルな物語に隔離しただけの話。
企画者の疑問に疑問を持ってしまう。










唐突に対峙させられる八木一夫、辻晋堂、鈴木治、陶彫、焼き物というカテゴリーの曖昧さもまた「日本画」というカテゴリーのようだ。


対訳されたファインアートには工芸「的」というジャンルが西欧式には入れられないから宙に浮いてしまったものが突然、再発見と対峙される。




なぜ、向井良吉のマネキンと興福寺阿修羅像を対峙させて企画展という編集作業を明確化しない。中途半端な選定ではないか。


常滑焼は再発見であった。