2017年8月26日土曜日

平等院鳳凰堂 雲中供養菩薩像


平等院の創建は永承7年(1052年、当時の思想では末法元年でもある)藤原頼通が平安初期から貴族の別荘だったところ宇治殿を寺院に改めたのが始まりとされている。
仏教は日本に伝来当時、現世での救済を求めるものとされていたが、平安時代後期、末法思想が広まり、天災人災が続いたことと相まって極楽往生を願う貴族によって西方極楽浄土を観想するため現世に出現させたジオラマ(ダイオラマ)であるという見方が主流である。しかし一方では焼け残った鳳凰堂だけで考えるのは誤りであり密教の両界曼荼羅との関係を示す阿弥陀如来の印相やなどから、建築史家の冨島義幸先生は、鳳凰堂の阿弥陀像には密教の阿弥陀如来としての一面があり、鳳凰堂全体が阿弥陀曼荼羅を表しているとしている。

壁面の木造雲中供養菩薩像 52躯は極楽浄土において阿弥陀を讃嘆する菩薩像とする説もあるが、いずれの像も飛雲に乗ることから、阿弥陀如来と共に来迎する菩薩像を表したものとみられる。
本尊阿弥陀如来像と同様、天喜元年(1053年)の作とされるが、後年の補修はかなり多い。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%AD%89%E9%99%A2


雲中供養菩薩像: 木造、彩色、漆箔、截金 像高約90cm



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サントリー美術館 「平等院鳳凰堂平成修理完成記念 天上の舞 飛天の美」展 (2013~2014)
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2013_5/index.html

作品リスト
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/photo/0000033000/0000032276/pdflist.pdf


解説より
『鳳凰堂内の四方の小壁には、本尊阿弥陀如来坐像を囲むように雲中供養菩薩像が懸られている。全52軀ある、すべて雲に乗って楽器を奏し舞踊する姿である。鳳凰堂のほかの彫刻像と同様、仏師定朝(じょうちょう)率いる工房の作として、各像の表情や作風の違いに、担当した仏師の個性が見て取れる。
頭部を丸彫りで、下半身にかけて浮彫り風に表さすことを基本とし、堂内で壁に懸けた状態で下から仰ぎ見られることを前提とした造形と言える。浄土で飛翔し本尊を驚嘆する飛天の図像でありながら、菩薩の姿であることと長く伸ばした雲の表現からは、浄土から現世に来迎するイメージを伴う。』