2012年10月31日水曜日

Artficial/Natural   人工と自然

西欧キリスト教世界観では、ヒトは神が創ったところから始まるゆえ、ヒトは自然から分離された存在に立っている。
人工と自然は対峙する関係になる。

一方で、いたるところに神が同居しているこの国ではヒトも自然に含まれる存在である。
ヒトは自然の一部であるから、そのヒトが行う人工的なことは自然なことであるという考えになる。
自然界に存在しないものを創造し、もともとある自然界に影響をあたえることがあっても、
はたまた、生物的自然な状態に人工的に変化を加えることがあっても、
それは自然に含まれているヒトの行うことであるから自然なことなのである。

医師との面談で、老衰が進行する高齢者への胃婁が西欧ではほとんど行われず、点滴による延命処置さえもまれであるという話を聞いた。
高齢者への胃婁がこんなに多く行われているのは日本だけ、とも。

そのことを聞いた時、西欧と日本の世界観、広い意味での宗教観の違いについてが瞬時に頭をめぐった。
西欧で高齢者への人工的な延命処置が一般的でないとするならば
西欧における「自然な死」については、日本語の字義どうりの「自然な死」と異なり、
その根底にはヒトが自然から分離している存在であるという考えがある。

「美しい自然の国」「自然を愛する国民」という言葉の裏にあるこの国の「自然」観についてと、
「自然な死」という事について改めて考える契機になった。

2012/10/15