2014年11月27日木曜日

雨の日に沢蟹



冬に向かう雨の中、洞に向かう。

秋に咲く桜は雨でも散らないのは気温が寒さに向かう季節のせいか。。

などと考えながら大草の桜を横目で見て、

それほど冷たい雨ではないが、濡れ続けるとさぶい。


水の流れが轍をつくる敷地の一番奥

裏山から流れた雨、軒付近に溜まる。

入口には本日のお客さま、沢蟹。


一昨晩は、猪。


「こないだ道を横切ってたんだから」

それを聞いていなかったら、夜中の裏山でガサガサする音を、

数日前、窓を開けたときにメンチ切られた鼻の上が白いあの猫と思っただろう。



屋内なのに

激しさを増す雨は、部屋の入口を滝にかえ、壁土を溶かして土間に溜める。

入口にある溝はゴミによって流れることなく水溜りとなり、

ピチャピチャとリズミカルな音を刻む。


探し物をと奥には入ると崩れた繊維になった軍手数人分。

捨てようとゴミ袋に突っ込めば、十数年分の埃が目に見えず舞い上がり肺に入る。

気管支によくないものが進入してきたと

対決するからだは肺の奥から咳を連呼。


ねばならぬと決めたからか、眠くない。

それでも十時間の作業はからだを疲れさせ

二時の時報とともに瞼を下げる。


だいぶ片付けたから、横になるスペースもできた。

鉄板を貼った大きな台に、何かのために買ってあった布団にするには小さなキルト地を敷き、

石油ストーブを近くに寄せ臥る。


何年ぶりにここで寝る?

が、30分もたたずに目が覚める。

ボリュームの大きい深夜便の声で眠りが浅いだけか



底冷えのない明け方まで作業をし

明るくなってから帰宅。

埃まみれのからだを湯船につけ、雨に濡れたからだを暖める。



徹夜明けの仮眠

一時間のタイマーの目覚ましにしては速いなと思って手に取った携帯が

訃報を告げる


「きのうなくなった」








2014/11/26  通夜に

2014年11月13日木曜日

Dionysian Enthousiasmos  「熱意」

Dionysian Enthousiasmos を経験したものは、再び、何度も、その状態にイクことを希求する。
自らの意志などの及ばない状態で、何者かによって身体が動かされているような、その感覚は「自己」といったちっぽけな枠組みから開放される体験であると同時に、どうしようもないくらいの苦しみの体験でもある。しかしそれが自己から離れておこっているのだから苦痛とは異なる苦しみである。「近代的自己」という考えに囚われていることが馬鹿馬鹿しい、「無名性」に到達できる体験である。しかし、ひとたび日常に帰還すると、どこをどうやって行けばよいか迷子になってしまう。再びその場にに行くこと、その境地を体験することを希求することすらも忘れてしまう。しかし、何かの拍子にその時の感覚を思い出し、再びそこへ行こうとする。それが再び始めることである。それは脳の中で起こっていながら、何か外の力が働いているような体験である。脳の外というよりも脳の深いところにある海馬に因っているのかもしれない。



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http://www.huffingtonpost.com/2014/10/24/leonardos-brain_n_6043970.html


引用始まり

..He or she must be in a nearly "orgasmic" state to produce it. Our word enthusiasm comes from Dionysian enthousiasmos, a wild state of holy inspiration.
Orgasm is a right-hemispheric function. Love is rooted in the right brain. Ecstasy is an emotion experience at the right of the corpus callosum. ...

引用終わり


..彼または彼女はそれを作ることはほぼ「オルガスム」状態である必要があります。私たちの言葉で言う熱意はディオニシアンの熱意からきたもの、神聖なインスピレーション、野生の状態。オーガズムは、右半球機能です。愛は右脳に根ざしている。エクスタシーは脳梁の右側にある感情の経験です。.


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http://referenceworks.brillonline.com/entries/brill-s-new-paulv/enthousiasmos-e12221560


ページ引用始まり

In Greek religion enthusiasm (ἐνθουσιασμός/enthousiasmós) refers to being taken by a higher power, usually personified by the gods (cf. θειασμός/theiasmós, ‘inspiration’; ἔνθεος/éntheos, ‘possessed by god’). The individual leaves an ordinary state and enters one that is determined from without and strange, to being no longer ‘him- or herself’ (ἔκστασις/ékstasis; cf.  Ecstasy). What humans achieve in this state, which is experienced as paranormal, is god-given (cf. Heraclitus [1] fr. 22 B 92; B 93 DK;  Pythia [1]). How this possession (katokōchḗ, Pl. Phdr. 24…

ページ引用終わり


ギリシアの宗教において。熱意 (ἐνθουσιασμός/enthousiasmós)はより高い力によってとらえられることを言及します。そして通常、神によって象徴されます、(参照 θειασμός/theiasmós, ‘inspiration’[インスピレーション]; ἔνθεος/éntheos, ‘possessed by god’ [神に取りつかれた]もの)。もはや「彼あるいは彼自身」でないことに、個人は常態を残して、外で決定されて、奇妙であるものに入ります(ἔκστασις/ékstasis; cf.  Ecstasy)人間がこの状態(超常的であるように、それは経験されます)において成し遂げるものは、神から与えられています。(参照 Heraclitus [1] fr. 22 B 92; B 93 DK;  Pythia [1])この属性はどうですか(katokōchḗ, Pl. Phdr. 24…

2014年11月3日月曜日

day #20760: 141103

photo by Kazuyoshi Furuhashi

photo by Ayano Osawa

photo by Ayano Osawa

photo by Ayano Osawa

photo by Ayano Osawa






愛知県庁地下 2014年11月3日(文化の日)一日展示
http://www.aichi-bunka.jp/event/show.html