2018年3月31日土曜日

奥行きを感じるための装置:眼鏡絵






眼鏡絵を覗く様子を描いた鈴木春信の画。
高野の玉川を詠んだ弘法大師の和歌が画面上部に記され、眼鏡を通して見ている絵も高野の玉川と見られる。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%BC%E9%8F%A1%E7%B5%B5


眼鏡絵
眼鏡絵(めがねえ)とは、江戸時代に描かれた浮世絵の一種。
45度傾けた鏡に映した絵をレンズを通して覗いてみる風景画の一種で、それにより原画は絵や文字が左右反対に描かれている。
寛延3年(1750年)頃、中国から移入された極端な遠近がついた風景画は、日本でも宝暦9年(1759年)か宝暦10年頃から主に京都で制作された。
円山応挙がこれを得意とし、中国の風景や京都名所を描いた眼鏡絵が残っている。応挙は修業時代に、尾張屋中島勘兵衛という玩具商に勤めていたことがあったが、オランダから移入されていた眼鏡絵を見て、自ら京都の風景を描いた眼鏡絵数点を描いた。
これらの作品は木版墨摺りで手で着色がしてあった。それには画面に小さな穴を開けて、薄紙を貼って裏から光を当てるという工夫がみられ、遠近を深く感じることができた。
また応挙は肉筆画の眼鏡絵も作っている。



鈴木春信の浮世絵に登場するこの装置はいかなる効果があろうものだろうか。
畳に広げられた木版の浮世絵版画風景画を45度に傾いた鏡に反射させて丸いレンズ越しに鑑賞しているようです。
そもそも茶室以外で日本の家屋において「壁」という概念が希薄であったことも考えられます。*1) この装置は絵をかざるという壁面がなかった日本家屋の特質から生まれたもののようにも見えます。

軸装されていない木版画による錦絵

錦絵を装置など使わずにそのままの状態で鑑賞すればよさそうなのですが、あえてこのような装置を使っているのはなぜでしょうか?
鏡に反射させることによって木版で紙に刷られた物質感がなくなり、より映像的に鑑賞できるということであるのでしょうか。
また、鏡に反射させることで焦点距離が長くなると気づきます。

この装置を使用せず通常に錦絵を鑑賞する場合は、当時の平民の生活空間を想像すれば、畳の上に置かれた絵を、畳に正座するなりして見ることになるでしょう。その場合、絵は現実空間の中での遠近の影響を受け、絵の上の方がすぼまって遠ざかるようなイリュージョンが生じ、絵の中に描かれている奥行きとの関係で齟齬が生じるように思われます。
しかし、この装置を使用すれば視線と直角に絵が対峙することになるだろうし、また丸い窓から見ることによって四角い絵の周辺部(絵と現実空間との境界)から意識は絵の中心部に集中する効果もあるでしょう。


三遠近法という水墨画以来の遠近法での視覚が出来上がっていた当時の目による者にとって、海外からもたらされた透視図法的遠近による新たな視覚は新鮮な、「新しい」体験だったことが想像できます。玩具商に勤めていたという円山応挙。眼鏡絵は新奇なモノとしてのノベルティであったのです。

ダイオラマを実物で見るより、写真になったもののほうが奥行きをより感じられるということと同じような効果、意味がこの装置にはあるようです。

この眼鏡絵は絵画鑑賞体験という視点に立てば、透視図法から続く絵画空間による奥行きの問題、オプティカル・イリュージョン、両眼視などのサブジェクトを提供してくれます。
また、ダゲレオタイプから始まる映像史の流れという視点に立てば、映像鑑賞装置の進化の流れに位置する技術的な構造物、デバイス、装置でもあります。グーグルグラスなどにつながる機構と見ることもできます。


*1) ポンペイの壁画や中世以後の教会に描かれたフレスコなどの絵画は「壁」があるから発生したメディアであるが、壁に描く絵画によって、物理的な壁という存在を無化している。透視図法遠近法というオプティカル・イリュージョンや絵画の外と内で繰り返されるアーチの反復によって絵画が描かれた空間との親和を意図しながら壁の存在を無化したサン・マルコ修道院のフラ・アンジェリコ