2024年6月5日水曜日

フォトスタット

 


 80年代に仕事先で使用していた製版カメラです。今はTooと名前が変わったデザイン画材屋 いづみや さんが扱っていたアメリカ製のカメラです。カラーコピー機の無い頃はペンと水彩画で描かれた陶磁器人形の完成イメージスケッチをカラー撮影してアメリカのバイヤーに郵送しデザインの確認をしていました。メインはカタログやチラシなどの製版や陶磁器の転写原稿作成用のものですが、僕はずっとこのカメラの管理を任されていたので、立体撮影に使ったりいろいろ実験的なことをして遊びました。自身のカメラ歴の中ではもっとも長い時間かかわったカメラかも。明室で撮影から現像までできるカメラでした。


Too 100年ヒストリー
II 機材の取り扱いがスタート
1970(昭和45)年〜1987(昭和62)年

いづみや さんはTooと社名を変えて今もありますが、このアメリカ製のカメラを参考に独自で開発し商品化しました。長くかかわったのはこの日本製の方だったかも。個人用に印画紙とフィルムを買って、作品やドローイング制作に使用しました。デジタル入稿に完全に変わった時、このカメラをもらいました。今世紀初頭の頃です。 

ステッピングモーターやスクリューで50 ~400%?くらい調整でき、ハロゲンライトで露光時間も制御でき、レンズも利用できる。



処分を決めたのでキネティック部品として欲しいという方はメッセまでどうぞ。20数年たってるので現像定着液のサービスは終了してるため製版カメラとしての使用はできません。





2024年6月1日土曜日

「五月雨に鳰の浮巣を見にゆかん」からの「なぜみな同じ被写体の写真を撮りに行くのか」


 6月1日 8:04 
6月になりました。堕栗花と鳰の季節です。
リハビリ池では鰺刺のドボンも見られ始めました。
ベビーラッシュの勅使池です。

「五月雨に鳰の浮巣を見にゆかん」芭蕉

鳰鳥=カイツブリは万葉の昔から和歌に謳われている身近な水鳥です。今も都市公園なや餌となる生き物がいて潜むところのある水辺で身近に見られます。芭蕉が詠んだこの句の「鳰の浮巣」は鳰の海と呼ばれていた琵琶湖のことを指してるようです。



画像は昨年6/4~6/20のもの。


芭蕉の句について、ここからは引用です。
芭蕉自身この句について「和歌や連歌に使われてきた言葉だけで構成されているけれども、『見に行こう』と行動に移している点が俳諧なのだ」と解説しています(『三冊子(さんぞうし)』)。つまり、伝統的なイメージだけで「鳰の浮巣」を詠んできた和歌とは違い、実際に見に行く物好きな姿勢こそが俳諧だというのです。芭蕉はそうした姿勢を「数寄(すき)」と呼んで尊重しました。(日本古典文学研究者の深沢 眞二先生による)https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b09628/
ここまで

上記の芭蕉自身の解説を聞いてなるほど「数寄」なのか、と腑に落ちました。芭蕉はお手本に従って想像の言葉遊びのような、行ってみれば机上の空論のように和歌を詠むのではなく、現場の体験による感覚を重視せよ。そしてあなたも自身の感覚によって句を詠んでみましょうよといっているのです。今の時代でいえば誰かが編集した二次情報に満足するのではなく、一次情報に触れましょうと言ってるようです。

「カイツブリの巣が多くみられる季節になりました」というテレビやネットニュースなどの情報を見ているだけで満足せず「自分も見にゆこう」と行動する鳥見老人たちの姿が重なるります。長玉レンズ+カメラ片手に、みな同じ被写体にレンズを向けシャッターを切る不思議な光景、自分もその中の一人なのですが、その奇妙な行動に自身も疑問を投げかけながらも自分は彼らとは違うと思いつつ、何が違うのかということをはっきりと理屈できないでいるもどかしさがあったのです。このことは40数年前に500mm大砲を担いで撮っていた頃からの自問でもあります。
 40数年前はフィルムカメラでの紙焼きやポジからの製版による印刷物でなければ情報の共有あるいは所有ができませんでした。今では性能の良い高価なレンズで撮影されたプロ並みの写真が多くネットに上がっていて誰でも見れ、共有できるのに、なぜ写真のアマチュアのおまえは安モンカメラでシャキッとしない写真を性懲りもなくわざわざ撮りにゆくのか。
それは所謂、近代的自我の慣れの果てなのか。自分も見たい。見たら残したい。記録したい。自分が、自分が、というどこまで行ってもうんざりするような自分の世界!
プロのカメラマンなぞ目指したことがなかった自分はそれでもプロ並みの技術を身に着けたいと思っていた。しかしいろんなことに興味をもってしまう自分は、これという一つのことに絞って私財を投入するにはあまりにも貧乏だったし、何よりプロの写真家を目指すという気持ちが起こらなかった。わたしを毎週連れ出してくれたとりびとの師匠は「橋本君は絵が描けるんだから絵で描いてください。」というのです。

 いろいろ な ことば の 途中


つまり曲解すれば、現代の芭蕉翁曰く PCや携帯の画面上で得た情報だけで創作するのではなく、実際に自身の体験を通した創作が「数寄」であると。

 途中


転じて、生成AIによる集合知にのみ頼る制作は「数寄」ではないという次第。