100年ごとに劣化する風神雷神図は「写し」の上での運筆の困難さを示しています。筋肉を表す線がミミズが這ったような線になっていくマニエリズム。安定した四角形に納まる風神に比べ、傾いた平行四辺形の雷神図に表現の劣化が著しく見られるのは(光琳、抱一へとだんだん雷神が一層ひしゃげている)右利きの人が左向きの人物動物を描く容易さと、右向きの人物動物を描く困難さが表れている。初窯時に茶碗に描くの左馬のように。
私は高校三年生の秋に友人から頼まれて宗達の風神雷神図を「写し」ました。体育祭のはっぴに描いた雷神の困難さと風神の容易さを実感すると同時に、幼少期より手が覚える運筆の「写し」は書の臨書に通じるものと実感しました。
俵屋宗達 雷神 |
尾形光琳 雷神 |
酒井抱一 雷神 |
宗達、光琳、抱一の三つの風神雷神図屏風が並んで同時に展示されることで話題になった「琳派 京を彩る」展を結局見に行くことができなかったがこの三つの図版(透過光で見るモニター画像)より考察を試みたい。
風神雷神図を私が模写(写し)したのは高校3年生の秋だった。体育祭の時に着る応援団のはっぴに雷神図を描いてくれと頼まれたからだ。私が通っていた東住吉高校の体育祭は赤白黄緑の4色に全校生徒を振り分けて競う。応援部、建設部、もう一つ何かあったが忘れてしまった。建設部はマルタを組んで仮設の観客席、矢倉を土建屋さながら組み上げる本格的な現場作業だ。やわな管理された祭りというより、河内の荒っぽい男たちが繰り広げる祭りといった感じだ。
当時私は黄組の応援部にいた。応援団長は一番豪華なはっぴを着て先頭に立って行進する。私も何らかの役があったのかはっぴを着ることになっていた。団長の注文は、はっぴに雷神を描くことで、自身のはっぴには風神を描くことにした。しかし、頼まれて描いた雷神図より自身のはっぴに描いた風神の方が力強く大きな表現になってしまった。
雷神はうまくかけない。なぜか。傾いた平行四辺形の構図の中にはめ込まれた動きのある身体の動きは、写しにはことのほか難しい。宗達を写した光琳、抱一の雷神図もいっそうひしゃげて貧弱である。それではなぜ風神は形が取りやすいのか。風神は安定した正方形に身体の動きがはめ込まれ、太ももとひざから下の足が直角をなす安定した構図である。袋を広げるために伸ばした左腕も水平に伸ばされ、安定感を与えている。
身体の動きによる構図のほかに、雷神が描きにくいのは右利きの人が左向きの人物動物を描く容易さと、右向きの人物動物を描く困難さが表れている。初窯時に茶碗に描くの左馬のように。
胡粉と金箔地
明暗法でいえば胡粉の白は光を反射する明るい面として表れる。白よりも光を反射する金箔地。
金箔地に描かれた胡粉の白は逆光、後光の効果によって影になる。
光琳は雷神の周辺金箔地に垂らし込みの墨彩の面積を多くとることで、逆光効果により暗く見える胡粉の雷神ボディをより明るく際立たせている。そのことがかえって雷神の傾いた平行四辺形のボディを強調し、宗達の雷神と異なる不安定感を表している。
3Dからトランスレートされた2Dと、2D→2Dの「写し」
三十三間堂の風神雷神像や清水寺の風神雷神像が宗達の元になったと言われている。もしそうであるなら(今のところ宗達のもとになった2D図称を探せていない)宗達は過去の風神雷神に類似したイメージ2Dと3Dである像を元に風神雷神のイメージを定着した。3Dからトランスレートし2Dに線を抽出した。ここでは大きな飛躍が起こっているのである。その宗達の2Dイメージを本歌とした光琳、抱一は2D→2Dである。同じ「写し」といっても、3D→2Dと2D→2Dでは創作原理の意味が異なるのである。
* 特別展「琳派 京を彩る」は2015年10月10日から11月23日まで京都国立博物館で開催されました。
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* 参考ブログ
リアリティとオリジナリティはこれからも有効か? 岡田萬治金箔美術/岡田武氏ブログ
2015年11月23日 (月) 三つの風神雷神図屏風
http://manji.blog.eonet.jp/art/2015/11/post-9c71.html
岡田さんのブログで興味深いことは、キャラクター版権ビジネスへの言及です。
* 参考ブログ2
クリーブランド美術館所蔵 雷神図屏風
劣化というのはこういったものかもしれません。しかし運筆はしっかり描かれている。
http://blog.goo.ne.jp/teinengoseikatukyoto/e/dcd62f45056b057c5c16c0ee07e97702