2013年11月16日土曜日

「類」としての記憶とDNA

plugged in 
(media select 2001の声明文をさがす)

すべてのものはデータ化される。
そしてそれはクラウド上で共有される。

それでも人は一つの成果物を見るために何万マイルも旅をする。
それはデータからアウトプットする物質に対するフェテェシズム?。
本当に自分が対象、空間に向き合って体験を欲望すること?。リアル


もはやそこには領域は無い。
「領域を超える」とは、「世界」の観察者が、どこに立っているかの立ち位置を表明すること。
それは「世界」の観察者の方法論にすぎない。

もはやプライバシーは存在しない。


unplugged
それでもすべてのものはデータ化されない。
そしてデータ化されないものはクラウド上で共有されない。



個人のプライヴァシーが崩壊したインターネット社会ではプライヴァシーという概念がなくなる。
クラウドコンピューティングの環境では繋がった個の記憶の共有が、自と他を分ける感覚が希薄になり大きな類の記憶に置き換えられる。
大きな物語としての歴史でなく、小さな物語の莫大な集積ビッグデータで満たされる。
クラウド、それはあたかも類としてのDNAの外在化、顕在化のようなものである。
~幸村真佐男氏のアーティストトーク 130823@N-mark 参加後に記