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2023年9月15日金曜日

230915 1年前の今日、アサギマダラを見た。

 
「2022/09/15  am11:50」Kiminari Hashimoto 2023/0/15


1年前の9月15日、家の前で信号待ちをしてる時、羽化したばかりのような傷一つない美しい羽根のアサギマダラを見た。
信号が青に変わると前のボックストラックを追いかけるようにひらひら飛んで行く。
そうか!南への長旅のためにエネルギーを温存すべくボックストラックで空気抵抗を避けながら飛んでいるのだ!
ちょうどその時は両眼カメラしか作動してなかったので、この出来事を忘れないよう脳みそAIで生成、途中でほっぽり出してた切りバリCGを1年ぶりに完成させた。
そして、つまり、絵を描く動機とはそういったものだと思う。(手動gifあにめ)


am 11:50
 しかしトラックは北に向かっていた!

この道をまっすぐ行けば愛知池に繋がって、アサギマダラの立ち寄り地のバタフライガーデンがありアサギマダラが好物のフジバカマを植えてるが、まだ花の時期は早く伊良湖の渡りももう少し先の時期だった。伊良湖岬はこの進行方向とは逆の方向だし、西を目指すなら左折しなければならない。

その日も、今日のようによく晴れた日だった。



 このように、この日のできごとを言語化してるのだから、生成AIを使えばもっとその時に私が見た光景が、その時のリアリティをもって出現するだろうか?それとも全く見たこともない道の光景が出現するだろうか?それもまためんどくさい作業なので1年後になるだろう。



 昨今のデジタル環境は何事につけクイックタイム・レスポンスである。すぐに返事なり結果を強要してくる。何日もかかって完成させていた手描きイメージ図が4,5例をあっという間の数分で作成してくるのだから確かに驚くのであるが、受容する側の脳みそ筋肉を含む身体の代謝スピードとずれていってレスポンスに乖離が生じる。と感じているのは老害年齢を突き進んでるからだろうか。
冷静に生成AIを見れば、長大な人類の集合知を自動検索して組み合わせてるのだから、個人の限られた時間内での直接体験だけによる生成と競争することはすでに結果が知れている。そして集合知と個人知という対立項は、その分け方がそもそも間違いである。個人の脳みそといったところでそこにはすでに無意識の人類全体の集合知が含まれているのだから。


そものも、この切り貼りコラージュになぜそんなに時間がかかったのか。その時の感覚を重視すれば重要なのは主になるアサギマダラではなく、それがその時その場所でそのような状態を表そうとしたからだ。そのため蝶の画像より背景となる場所を生成することが、バイクで信号待ちしてるその時の視覚感覚の再現に時間がかかったのである。背景の画像にリアリティを持たせるべく最初はグーグルストリートビューをちょっとずつ視点を変えてコピペして重ねていたが、主観的両眼カメラから続くバイクの運転ハンドルなどは改めて別日に信号待ちの時に撮影したりした。出来事自体を撮影することはできなかった不在を埋めるために背景の生成に注力したのだ。




2014年5月28日水曜日

" The May Blues " Société des Artistes Indépendants BLACK TICKET @ N-mark; Nagoya  2. MAY 2014

installation view


"fountain"

installation view of "self portrait in SANSUI " 

detail of "self portrait in SANSUI "

"global library "

"media installation "

"quick response cloud art "

"SIGIRIYA rock project "




May blues ~ 五月病
あるいは、見ることについての五つの眼差し。
あるいは、メディアインスタレーション。

私たちは目の前の出来事のいったい何を見ているか。

2014年4月28日月曜日

The big stone structure is added on SIGILIYA ROCK

This project is for an artificial satellite's eyes.








"Quick Response Cloud ART" copyright free Art project

This Art project  is using by QR-code.



・QRCA (Quick Response Cloud Art) は、「見る」ことについてのアートである。

・QRCA は、メディアインスタレーションの形式と、メディウム自体を問うアートである。

・QRCA は、キュレーションアートである。

・QRCA は、QRコードのイメージを使用するが、同時に、これが展示される時間と空間から、ここではない時間と空間に連結する。








*「QRコード」という言葉を使用される場合、「QRコードは(株)デンソーウェーブの登録商標です」

PARTICIPANT RECRUITMENT !

2014年4月27日日曜日

global library






global library についてのイラストレーションである。

「類」としての記憶とDNA ~

個人のプライヴァシーが崩壊したインターネット社会ではプライヴァシーという概念がなくなる。
クラウドコンピューティングの環境では繋がった個の記憶の共有が、自と他を分ける感覚が希薄になり大きな類の記憶に置き換えられる。
大きな物語としての歴史でなく、小さな物語の莫大な集積ビッグデータで満たされる。
クラウド、それはあたかも類としてのDNAの外在化、顕在化のようなものである。
~幸村真佐男氏のアーティストトーク130823@N-mark参加後に記


Sir Arthur Charles Clarke (アーサー・C・クラーク) ----------

1958年ごろ、クラークは様々な雑誌に科学的エッセイを連載し多くの予言を残している。これらは1962年の『未来のプロフィル』にまとめられている。2100年までの年表には様々な発明やアイデアが盛り込まれており、例えば2005年に "global library" という記述がある。同書には「クラークの第一法則」が書かれ、後の版で「クラークの三法則」に改められている。(wikipedia より)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BBC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AF

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幸村先生が36年前スリランカに行ったことを聞き、その頃コロンボに移住していたアーサー・C・クラークのことを思い出した。
wikiっていると2005年にクラークが書いたという"global library"という概念に出会う。
言葉からだけ勝手に想像するその考えは、自身の80年代に囚われていたことに対することと、その頃の制作の動機付けになったことが言葉として整理され気分がすっきりした。

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80年代に囚われていたことに対する整理------イメージと手法
キューブリックの「2001年宇宙の旅」のラスト30分の啓示と、そこから連想したグローバルライブラリーという考えが、その後の制作の動機付けになったと今にして思えば整理できる。
グローバルライブラリーをシンボリックに表現した地球上のすべての記憶装置としてのモノリスと巨大な赤ん坊スターチャイルド。
だからこの頃に描いていた絵は"global library"という考えについてのイラストレーションであり、1991年初めての個展での展示はそれを発展させた立体イラストレーションであるといえる。

80年代初頭頃より熱中した青いマジックインキでのピクセルドローイング。
材料的には、その頃、パイロットより商品化されたペイント系のマーカーとアルミ粉が混入された銀マーカーを発見した頃から始まる。
手法的には、印刷物の網点、ドットを拡大したリヒテンスタインの絵画に対抗し、丸を四角のピクセルにして手描きしたこと。
角がある四角いピクセルは、角が無い丸いドットより目に刺激的である。丸いドットは画面に奥行きを与えるが、四角いピクセルは画面のこちら側に向かってくる。それは眼球が丸い球であることに対し、四角は目に突き刺さる角があることによる。と非科学的な直感による。四角は平面の形と相似形をなし、フラクタルにイメージを連動させることができる。



そして再び"global library"という考えを思い出したのは幸村真佐男氏のFlickerシリーズに出会ってからであり、そのことが氏の近年の仕事への、勝手な親近感と興味へと繋がったのである。

2014年4月26日土曜日

givenーお題が与えられたとせよ140423 00:35

お題が与えられ、いくつものアイデアプランがアウトプットされる。
とめどなく排出される馬鹿馬鹿しくも生真面目なアイデアプランの数々。
しかし、それをすべて実行することに意味があるか。
それは、自身で制作しなくてもよいのではないか。
そして思い至る、アイデアプランのシェア。
個人のアイデアから無記名のアートへ。




お題とは何か。
企画意図、展示空間、展示時期そこから連想される歴史的出来事の数々。

アイデアプランとは何か。
デザイン、指示書。

アウトプットとは何か。
専門技術者による実行。



2013年11月16日土曜日

「類」としての記憶とDNA

plugged in 
(media select 2001の声明文をさがす)

すべてのものはデータ化される。
そしてそれはクラウド上で共有される。

それでも人は一つの成果物を見るために何万マイルも旅をする。
それはデータからアウトプットする物質に対するフェテェシズム?。
本当に自分が対象、空間に向き合って体験を欲望すること?。リアル


もはやそこには領域は無い。
「領域を超える」とは、「世界」の観察者が、どこに立っているかの立ち位置を表明すること。
それは「世界」の観察者の方法論にすぎない。

もはやプライバシーは存在しない。


unplugged
それでもすべてのものはデータ化されない。
そしてデータ化されないものはクラウド上で共有されない。



個人のプライヴァシーが崩壊したインターネット社会ではプライヴァシーという概念がなくなる。
クラウドコンピューティングの環境では繋がった個の記憶の共有が、自と他を分ける感覚が希薄になり大きな類の記憶に置き換えられる。
大きな物語としての歴史でなく、小さな物語の莫大な集積ビッグデータで満たされる。
クラウド、それはあたかも類としてのDNAの外在化、顕在化のようなものである。
~幸村真佐男氏のアーティストトーク 130823@N-mark 参加後に記

2013年9月5日木曜日

顔本「つながりやまい」-00資料

「インターネット環境の社会で個人のプライヴァシーはない。」 幸村真佐男

said Masao Kohmura @ artist talk on 23. AUG


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2013.9.5 THU
「あなた」は特定可能:崩壊する個人プライヴァシー

日々テクノロジーによって便利になるわたしたちの生活。しかしそれと引き換えに大切なものを失っているかもしれない。最近の研究では、わずかでも情報さえあれば個人の割り出しが可能になってしまうというもの。デジタルの世界で自分を守ることは、もはや不可能なのかもしれない……。
TEXT BY SANAE AKIYAMA

http://wired.jp/2013/09/05/privacy/

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カブでない原付スクーターで5万キロ超えるのが目標でした。1年約1万キロ。今までのヤンチョロいスクーターでは2万キロ超えるとエンジンおしゃかに。3台乗りつぶしました。今回はどこまでいけるか。。。(しょせん原チャリなんですが。)

fb-橋本 公成
2013年9月5日





2013年8月24日土曜日

顔本「つながりやまい」 2011/07/02 am01:56

第 0 章
つながりやまい

今の時代、たいがいの事は狭い範囲のネットワークで繋がっていて、何かを調べようとするとなんでも調べがついてしまう。

「つながりやまい」というやつだ。

彼はそういったたぐいの一切から手を切ろうとノートパソコンやあらゆる繋がりにまつわる端末というものをゴミ箱に投げ入れ、紙と鉛筆の暮らしに戻ろうとしていた。
少なくとも、その一年前の夢を思い出すまでは。
その夢はあまりにも鮮明にイメージを結んでいたために彼は眼を覚ましてすぐ傍らのノートにそのイメージを描き止めなければならないと思いそうしたのだ。
そしてたまたまそのノートが一年後にそのページを開いたのだ。
そこに記された簡単なメモとイメージの落書きはアニメのネームのような映像的なものだった。


ズームインしてゆくその光景が顔のアップになったとたんアニメのネームの、綾波レイの、ラフコンテの、ざらついた紙に走らせたダーマトグラフで描かれた線描きになり、もっともっと近づいてゆくその目と鼻から黒いドロリとした血のような物を流しだすその光景に、思わず「大丈夫か!」叫んで眼を覚ました朝のことを。
> 
(この部分ベツページへトブ)

「つながりやまい」は凡庸な人びとからも確実に一つの感情を消し去ってしまう病気なのだ。その流行は人間の類から「○○」というものを完全に消し去ってしまった。あるいは脳松果体の奥の襞にしまいこまれてしまった。
国境や宗教を越境しあらゆる地域で同時に流行したこの病は我耳、尾様、石場、穐本、生まれる場所が同じ小さな町内なら彼等と物理的に同級生だったかも知れぬ顔にまつわるニュース、彼にとってどれも直接日常生活に支障をきたすことのない関係ないニュースを伝染させていた。
経済犯で当局に拘束された我耳、特殊部隊によって十五分で処理された尾様、鉄道オタクの石場、マーケッティングをしないで流行りを仕組むと豪語する穐本。いずれも彼と同年齢であるということだけが彼にとってのつながりやまいであった。

「あなたは何に対して嫉妬しているの」
彼女は不思議そうな顔で私の顔を覗き込んでこう言った。

「若さというその一点」
「あるいは、自分が体験していないおまえとの20年間という時に対して」

「それがどうだ、この顔本のせいでそんな刹那さという20世紀の感情さえもすっかりと消し去られてしまったのだ。」

「そんなことはないわ」
自信に満ち溢れた口調できっぱりと発せられる言葉。

「一体何が失われたというの。」

「何よりもゴトーを待つという行為と、その時の感情。」
そして
「すぐに、いつも現在に繋がってしまういらだち!」

「まったくあきれた病気ね、あなたは」
「昔からそうだったけど。私、ここで失礼するわ。とにかく今晩0時からの受注準備で忙しいの。」

そう言うと彼女は席を立ち、カランカランという扉の閉まる音を残してカフェを出て行った。