股が池の前、ゆるやかにはじまる阪和線高架下の街工場を覗き見ながら走りだす。
美章園の駅前には小さな鉄道模型店、ショーウィンドーに飾られたHOと9ミリゲージの蒸気機関車や車両をしばしながめ、再び走り出す。
やがて到着する阪和線と環状線、関西本線をまたぐ高架道路下
天王寺駅から上町台地のなだらかな坂を下ったところで線路をまたぐ高架道路は大きく西へS字カーブし、歩行者も寺田町側へ大回りせずに行けるようにビル4階分以上の高さに達する歩道橋。
グレートな階段
その階段を一気に駆け上がるのが少年のランニングコース。
自身を痛めつけるように一気にその階段を駆け上がる少年。
疑いなく信仰していた根性を養うという70年代の一方の美徳。思春期特有の、身体を鍛え、ブルース・リーのような筋肉を獲得したいという幼い願望
平岡公威と重なるアポロン的精神。
平岡公威と重なるアポロン的精神。
ゼエゼエしながら駆け上がった上で脇腹に手をあてながら見る風景は
遠く生駒山脈を望み、その先にある奈良の風景がひろがっていた。
遠く生駒山脈を望み、その先にある奈良の風景がひろがっていた。
阿倍野、天王寺界隈は庭のようなものだ。
英語塾に到着する頃には、セルリアンブルーのTシャツは噴出した汗で透き通り、教室の冷房の風が冷ややかに身体を満たしていた。
その日もこんな風に二駅走って到着した英語塾。
地階に続く螺旋階段に座って号外を読みいる長髪の上級生を上から覗き込んだ。
紙面に大きくおどる「割腹自殺」
お荷物小荷物と割腹自殺、祭りのあとの70年代の幕開け
-----
「お荷物小荷物」
製作:朝日放送(ABC)
放送:1970 10/17- 1971 2/13
脚本:佐々木守
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E8%8D%B7%E7%89%A9%E5%B0%8F%E8%8D%B7%E7%89%A9
http://news.diwproducts.com/2012/06/tv1970260.html
中山千夏
1969年9月にビクターレコードより発表されたポップス「あなたの心に」(自作詞 / 作曲:都倉俊一)
1960年代に放送されたNHK総合テレビ『ひょっこりひょうたん島』の博士役が声優としての初仕事。
1970年9月に公開されたアニメラマ(劇場用アニメ)「クレオパトラ」(虫プロダクション)のクレオパトラの声優。
1970 11/25
三島由紀夫、割腹自決
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6
自己犠牲と自己表現
三島の自決の決心に決定的に影響を与えたのは三島の自決の前年の建国記念の日に、国会議事堂前で「覚醒書」なる遺書を残して世を警め同胞の覚醒を促すべく焼身自殺した青年、江藤小三郎の自決であった。三島は『若きサムラヒのための精神講話』において、「私は、この焼身自殺をした江藤小三郎青年の「本気」といふものに、夢あるひは芸術としての政治に対する最も強烈な批評を読んだ一人である」と記し、ここからは江藤青年の至誠と壮絶な自決が三島の出処進退に多大な影響を受けたことが読み取れる。
------------
1970年のマラソンコース (fb版)
天王寺のYMCAに通うことになった1970年、親父からもらったカメラのフイルム代を捻出すべく、国鉄阪和線二駅分を走って稼ぐことにした。
片道約8km、往復約16km、マラソンとはいえないが、途中もっとも高低差のある(人工的だが)天王寺バイパスの階段を一気に駆け上がるという難所をコースにいれた。
当時公開されたブルースリーの肉体にあこがれたこともこのマラソンの目的の一つだったからだ。(まるでヒラオカキミタケのようだ。w)
11月25日、その日も汗だくになってYMCAに着き、地下の売店に下りようとすると肩まで長い髪の青年が号外を開いて階段に座りこみ行く手を阻んでいた。
誌面には割腹自決の文字。その一月ほど前10月17日から始まった伝説の土曜ドラマ、佐々木守脚本の「お荷物小荷物」で中山千夏のファンになった。
その頃から三島と中山が頭の中でケンカしているのか。中一病の頃。
写真は54歳になった2年前の正月二日、42年前のコースを歩いた時のもの。
2014年7月1日、記
田辺と文の里の中間あたり、桃ヶ池付近。地下を谷町線が走り上は阪神高速14号松原線。1970年当時,高速道路はなく、チンチン電車の南海平野線が走っていたところ。
国鉄阪和線高架下美章園手前。1970年当時、桃ヶ池付近では町工場もあった。
阪和線をまたぐ近鉄南大阪線。1970年当時、近鉄線は高架ではない。近鉄河堀口駅付近。
阪和線美章園駅。1970年当時、左手の自転車置き場あたりにあった鉄道模型店、休憩地点。
阪和線美章園駅
天王寺駅をまたぐ天王寺バイパス。「桑津4東」交差点で南に分岐した国道25号線はここまで。
左手になだらかに登る上町台地。天王寺交差点へ至る。この階段を一気に駆け上がる。
この階段を昇りきったところから線路をまたぐまで歩道が併設。生駒山脈から登る初日の出のスポット。
1970年当時、右の阪和線から環状線に直接乗り入れの線路は無い。中央、関西本線。(現在の大和路線)
天王寺バイパスより。左にカーブするのは環状線。
バイパス上からまっすぐに降りる階段。ビル4階高くらいか。
天王寺バイパス終了。南河堀交差点付近。右、巨大になったYMCAビル。折り返し地点。