2017年5月15日月曜日

ンガビ 発酵食材の文化









 高野秀行氏によれば「日本の納豆は遅れている」。


マイノリティ、山岳民族の辺境食、納豆。ミャンマーでは納豆を使った料理の方法が多種豊富にあり、日本の納豆の料理がほとんどバリエーションなくその意味で氏は日本の納豆は遅れていると言っているのだ。
「俺X達」見てまた思い出したミャンマーでの食事。
ミャンマー滞在中にシャン州の納豆せんべいみたいなもんは全然食べなかった。




おかずを頼むと自動的に出てくるゆで野菜とドロドロしたペースト状の薬味。モーモーが言っていたのは何て名だったか調べてみる。


「ンガビ」
ミャンマー語で、ンガは魚、ピは圧するという意味らしい。


塩辛みたいなもので小海老、小魚を塩漬けにして発酵させたペースト。一緒に出されるゆでた野菜(というより葉っぱ)をつけていただく前菜。
ミャンマーの魚醤ンガピャーイェーはンガビ製造過程で得られるらしい。ナマズ類の魚の内臓やウロコを取り除き、塩をまぶして、水切りし、さらに塩を混ぜて木箱につめ、発酵熟成させたンガピガウンや、ンガピと呼ばれる塩辛のペーストの製造過程で得られるのが、魚醤ンガピャーイェー。
スタンダードな魚を発酵させたンガピ、海老を発酵させたンガピ、トマトのンガピなどいろいろ種類があるらしい。




以下引用>
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多少臭みがあるが、ミャンマーの食卓に欠かせない「ンガピ」
出典:http://tabimeshi.com/blog_shokuzai/?p=395
小海老、小魚を塩漬けにして発酵させたペースト状の調味料であり、塩辛みたいなものです。ミャンマーの食卓には欠かせない調味料であり、ご飯にのせたり、スープに入れたり、和え物にも欠かせません。さらに、ンガピガウンというナマズ類の魚をペースト状にせずに塩漬けして発行させたものや、ンガピャーイェーというンガピを作る過程で出た魚醤もあります。ンガピャーイェーは、ミャンマーカレーに入れる一般的な調味料です。


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http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54015207.html
食の文化史3 ウッショとエンバイ、クサヤ 塩と魚醤記事
書庫食いしんぼの世界
2011/8/7(日) 午後 7:51


伊豆諸島で調味料と言えばウッショとエンバイである。ウッショは潮、つまり海水、塩。エンバイは塩配(塩梅)でウッショをベースにして・・・「魚をたたき塩を入れ、肉醤をつくり貯蔵し、その上澄みの汁をとって、醤油とし、下層に沈殿し、凝集したもの」『伊豆諸島東京移管百年史(上)』東京都町村会編1981 どちらかというと味噌のような固形物である。こういう上澄み以外の沈殿物まで使う習慣は、世界では魚醤と同様の製法で作られ、液体を漉した後の物を固めたペースト状の調味料も用いられている、インドネシアのトラシ (trassi) や、マレーシア、ブルネイのブラチャン (belacan) 、フィリピンのバゴオン (bagoon)、カンボジアのプラホック (ប្រហុក、prohok)、ミャンマーのンガピ (ngapi) などがある。トラシやブラチャンはオキアミのペースト。マカオ周辺でもオキアミを用いた蝦醤(ハーチョン)などがある。例えば地中海のカタクチイワシを使ったアンチョビなども使い方は調味料で、熱調理すると溶けてなくなるから味噌、エンバイだといえる。
古代からあったのは中国・ベトナム・日本そしてローマだけである。
「◆日本では、近代的な食生活において、塩分濃度が高く風味が独特な魚醤は、醤油やうま味調味料の普及により一般家庭での使用は減っているが、いくつかの地方には魚醤を用いる文化が残っており、郷土料理などに利用されている。主なものでは、秋田でしょっつる(塩汁)、能登でいしる(魚汁)、香川でいかなご醤油が製造され、地元を中心に使用されている。この他1990年代後半ころから伝統的製法とは異なる製法が開発され、商品が製造販売されている(新製法の項目参照)。また、伊豆諸島でくさやを製造する際に用いられるくさや液も魚醤の一種であると考えられる。また90年代以降のタイ料理やベトナム料理の普及に伴い、後述の東南アジアの魚醤が比較的容易に入手可能になっている。
◆東南アジアでは、タイのナンプラー (น้ำปลา、nam pla) 、ベトナムのヌックマム (nước mắm ニョクマムとも) が世界的に有名である。他にも、フィリピンのパティス (patis)、カンボジアのトゥック・トレイ (ទឹក​ត្រី、tuk trey)、ラオスのナンパー (nam paa)、ミャンマーのンガンピャーイェー (ngan-pya-ye) 、インドネシアのケチャップ・イカン (kecap ikan) などがある。中国の広東省やマカオの魚露(ユーロウ)も地元で広く使われている。これらの言葉はおおむね「魚の水」という意味である。福建省福州では𩸞露(キエロウ、1文字目は魚編に奇)といい、厦門のケチャップ(鮭汁)の「鮭」と同じく塩辛を意味する語と、「露」を組み合わせている。」
「◆歴史的には、古代ローマにおいてもガルム(ラテン語: garum)と呼ばれる魚醤が使われていた。現在でもアンチョビーペーストやサーディンペーストがある地帯は、かつてはアンチョビやサーディンの魚醤油が使われていた痕跡である。またイタリア南部アマルフィ周辺では、ガルムの流れを引くカタクチイワシの魚醤、コラトゥーラが今も作られている。ケチャップは、トマトから作られるトマトケチャップが有名になっているが、ケチャップの語源は、福建省や台湾の「鮭汁」 (kechiap) という魚醤をさす言葉であるとする説が有力である(ケチャップを参照)。」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%9A%E9%86%A4


伊豆諸島のエンバイはシュウデ、ショッカラ、シオカラなどとも呼ばれ、アジ・トビ・サバ・カツオなどの頭・腸・身を叩いて、一斗(18リットル)に対して塩水(ウッショ)を煮詰めてとった塩、三升から三升五分を加え、桶に入れて蓄える。この上澄み液を「イル」という。いわゆる「ひしお」である。伊豆諸島の名物といえば、カメノテやマツカサ貝でとった出汁にこのイルを入れ込んで煮込んだ「オジヤ」だ。アシタバ・里芋・芋の茎(イモジ)・粟・かぼちゃ・海藻のはじっこなどを具に入れてぐつぐつ煮た雑炊である。八丈島以外では戦争までは稲作がなく、粟・ヒエ・イモが中心だった。◆クサヤ三宅島の大久保浜が有名である。ここの魚醤はクサヤ生産の副産物としてクサヤ汁が使われてきた。干物にする魚のはらわた、一斗樽八分目に対して塩2㌔で塩辛にする。このときクサヤ菌が混じらないように注意。混じると臭くて喰えなくなる。一ヵ月後、天日に当てて発酵させる。天日に干しながら棒でかきまぜる作業は、ベトナムのニョクマムがまったく同じ行程で作られる。やはり海からやってきた文化なのだろう。20世紀以前から魚醤を作ってきたのはベトナム・中国・日本だけだと石毛直道は書いている(1986)
◆木簡に書かれた魚醤奈良・平安時代の木簡では、平城京で「ふなのししびしお」というのが出ている。フナの塩辛であろうという。平安時代の神饌記録『延喜式』には「鮭背腸」(サケの血合いの塩辛)、「腸漬蝮」(アワビのワタに漬け込んだアワビ塩辛)がある。特に腸漬蝮は絶品であり、同じものは種子島に「福多求フクタメ」がある。

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高野秀行著 「謎のアジア納豆(そして帰ってきた〈日本納豆〉)」についてのページ
http://holeout88.blog.fc2.com/blog-entry-194.html