2017年9月7日木曜日

INSIDE ART / INSIDER ART 子供は子供だった頃、より創造的だった。

for light novel / short novel


子供は子供だった頃、より創造的だった。

道端に落ちているゴミと呼ばれるものは創造のための宝物であり、下を向いて歩いていた彼のように、僕も何かを探して下を見て歩いていた。


12-Year-Old Boy Creates Creepy Sculptures Using Found Materials, And They’re Surprisingly Awesome
2 days ago by​ Ilona Baliūnaitė 
http://www.boredpanda.com/creepy-sculptures-found-materials-12-year-old-callum-donovan/?utm_source=bp_art&utm_medium=link&utm_campaign=BPFacebook

“I started experimenting with making my own clay out of toilet paper, dry wool compound, mineral oil and glue.” Later, the boy took things even further and began putting together a different materials. “I like to use a lot of found objects. Whenever I go outside I’m always scavenging for bits of metal. I’m always looking on the ground for them.”

しかし、彼と違って8歳の僕が彫塑的な素材として選択したものは噛みつくされて吐き出したチューインガムだったし、粘々したそれを指と爪楊枝で成形したキャラメルのオマケを真似たインカの神様をアレンジしたものだった。なぜインカの神様だったかというとそのオマケを監修していたのが手塚治虫氏だったからだと思う。氏の漫画にインカの神様を模したキャラクターが登場していたような記憶がある。しかし当時、チューインガムの彫刻より僕が熱中していたのは鉄道模型のペーパーストラクチャーだった。

はじまりは、3歳の僕が大輪田の従兄からもらったHOゲージサイズの作りかけコンテナ車輛「コキ10000形」だった。それは当時の「子供の科学」に掲載されていた作り方によって、従兄が黄色いボール紙と竹ひごで作ったもので車輪のついていない梯子のような1/90 scaleの構造物だった。それは当時の僕にとっての宝物だった。
そのうち教育は制作に進歩をもたらした。小さなイラストレーションの図面から比率計算して作るペーパーモデルとしての鉄道模型に進化し、9mmゲージのSLは机の引き出しの小さな世界に親の目から逃れるようにしまい込まれた。紙の耐久性を上げるために、プラモデルに塗装するエナメルやラッカーをシンナーで溶いて塗ることも発見していた。
50年後の今でも、制作の手順の元になっているこのルーティンは、3-4歳からのものだ。





子供は子供だった頃、より創造的だった。

しかし50年後の僕は、フィジカルなモノをあまり生み出さなくなった。
熱中による反復の欠如は、アウトサイドワールドにおける知識経験情報の増大に原因があるかもしれない。扇形に広がった未来という時間の要に立つ当時の僕の視点から見れば、幅広い視野を持つことの必要性が無意識に重要なことだと教育され、そのことを信仰していた。しかし一方で幅広い視野を持たなければいけないという強迫概念は、時に余分な知識にも出会い、今必要でないがいずれ何かの役に立つかもという貧乏性とあいまって、その接種につながり、時に目の前の直近行動の道筋を曇らせることになったりする。(いや、これは様々なことに興味が言ってしまうという性分のようなものかもしれないが。)
もっと時間がたち、さらに多くを知りすぎると、もはや自分がやらなくても誰かがやってるんだから、あえて行動に移す必要はないのではと考えるようになる。時々ひらめくアイデアも2,3日後には誰かによって、かつて実現されたことだったことがわかったり、オリジナルのアイデアと思っていたものが知らず知らずのうちに搾取された誰かの情報の反映でしかないものだったりと、がっかりしたものだった。アイデアの段階とフィジカルな制作物を実現することの間には全く異なる次元が存在するということは体験として理解していても資本主義経済の中で細かいディテールの差異の提示を商品化するように、それは無意味なもののように思えたりするのだった。

「僕はこういう風に世界が見えるんだけど、君はどう?」

こんなささやかなつぶやきが、一瞬のうちに虚無の大きな波に飲み込まれて跡形もなく流されてしまうことに出くわして、呆然と立ち尽くすのだった。
適度な量の知識は、目の前の問題解決のために非常に有効ではあるが、知識のための知識は行動の妨げになったりする。その種々選択を一瞬で判断して海馬の奥にしまい込み、適切な時に取り出せる構造の脳を持った者ならこんな苦労はしなくて済むかもしれない。
こんなことを考えてると、いつもなぜか親父のことが思い出される。



子供は子供だった頃、即、行動していた。直感的に判断し考える時間が短く、すぐ行動に移せた。
子供は子供だった頃、時間は永遠が続くように無限にたっぷりあり、熱中だけに時間を消費することができた。



インサイドアート? インサイダーアート?

芸術の分野では「アウトサイダーアート」という概念がある。障害を持った人たちや、子供の制作したもの、また歴史化された文明の外にあるとされているものに対して呼ばれる名称である。それは、「類」としての歴史化された時間の中で連綿と続く芸術という系譜、「類」としての大きな歴史による「芸術」に対し、その外側にある「芸術」という意味である。
「アウトサイダーアート」の反対を言語化すれば「インサイダーアート」である。この区分けによれば「インサイダーアート」とは、歴史のメインストリームを構成する「芸術」史である。
一方、3歳の僕が熱中し、自己のインサイドの必然から作り出されるものは、自己の外であるアウトサイドに出会わない状態において「インサイドアート」である。
「インサイダーアート」と「インサイドアート」は概念の主体が異なるのである。「インサイドアート」は類を構成する個の内部必然によって生まれるが、「インサイダーアート」は類を構成する個々の最大公約数から生まれる。「インサイダーアート」は「アウトサイダーアート」に対する集合に位置し、「インサイドアート」は「インサイダーアート」ではなく「アウトサイダーアート」であるという視点。
ところで、以上のような考えは幼少期をアウトサイドとインサイドに分別し、対抗する環境ととらえる境界のはっきりした集合論的視点によっているのではないだろうか。幼少期をアウトサイドから隔離された「個」のインサイドな領域ととらえる考えはある意味誤りである。幼少期は「僕」と「あなたたち」の境界があいまいな時期である。インサイドとアウトサイドが未分化な時期、状態であるととらえれば「インサイドアート」「アウトサイドアート」、「インサイダーアート」「アウトサイダーアート」という対立概念そのものが無効になる。

縫い代を隠すために外側をひっくり返して縫って作るぬいぐるみの制作のように、インサイドが内側からひっくり返ってアウトサイドになってアウトサイダーアートになる。
しかし、時にインサイドがひっくり返ってインサイダーアートの出現になる。
位相幾何学的逆転は同一の状態を表すのである。




へその緒を自ら切断して生まれる子供
























この西欧ルネサンスを稚拙な人工知能ラーニングによる完成を保留した絵画は、そのことを表したイラストレーションである。