2017年9月12日火曜日

素材としてのブルーシート あるいは近代産業革命以降の画材産業


"CHANEL No.5" Kiminari Hashimoto 2015 ;used fluonescent tube



デザインの現場ではリユース、リサイクルによるプロダクトは、環境問題や地域間格差などの社会的な問題への取り組みや支援などといった企業イメージアップにつながることもあり好意的に社会に受け入れられて一般的になっています。

2017.09.10 --------------
「ブルーシートをリサイクルしたトートバッグ「BLUE SEED BAG」で熊本に復興の種を」
https://bouncy.news/3834

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この記事を読んでいて思ったのは芸術の分野での素材についてです。
芸術の分野では現代、選択する素材や技法、工房制作や発注制作、参加型アートなどは表現の一部であり、態度の表明でもあります。
そこでもう一度、歴史の出来事をおさらいしました。


制作物を作るために選択する素材、材料。
素材材料には、それを使用する制作者が意図するにせよ無意識であるにせよ、あらかじめそこには意味や時代性、歴史性が貼り付いています。その意味で素材材料の選択時点で制作は、すでにコンテンポラリーでありヒストリカルです。

近代以前、宝石と同等の高価であった天然顔料は、時の権力者や支配層にしか入手困難であったため、芸術はそれらの顧客に帰属した中で生まれていたと歴史は示しています。
産業革命は地球規模での移動が可能になり、社会の地球規模での分業化を進めたました。芸術の分野もその流れと無縁ではなく、近代という時代は材料提供者と制作者により一層の分業化が進みました。芸術にまつわる社会を構成し、芸術のための材料業、画材屋、額縁屋などが登場しました。
美術の中の分業化によって、制作者は自ら岩を砕いて顔料を作り、接着剤としてのメディウムの研究と独自の開発を行う必要がなくなったのです。絵描きは準備された木枠キャンバスの規格サイズに合わせて、準備されたチューブ入り絵具で、たとえ自らがそれらを混ぜ合わせて、独自の色合わせで画面に配置するにせよ、そのことの範囲内での創造性に囲われていきました。何を描くかが中心になりました。
グローバルな地球規模の移動の時代の中で絵画、美術品は建築の壁から完全に離陸し容易に持ち運び可能なものになりました。持ち運び容易な画材の発達は制作の現場において印象派の登場を促進し、屋外での制作を容易にしました。


分業化による階層化の中で中産階級による芸術の民主化が進んだと考えられます。芸術の民主化は、容易に手に入る画材によって一層進んだといえるでしょう。
それでも「芸術のため」の材料業は芸術至上主義の上に成り立っている特権的な産業という印象もあります。



"CHANEL No.5" Kiminari Hashimoto 2015 ;used fluonescent tube



芸術は特権的階級によってその経済力に庇護された人によってなされる特別なものから、身近に誰でも手に入る材料でだれもが表現できるものへと民主化が進んだように見えますが、依然として人々は、そして特権階級の人も特別なものをありがたがるのです。









産業革命まとめ ----
wikiによれば、1760年代~1830年代産業革命をリードしたイギリスについて記しています。イギリスは1760年に始まる7年戦争に勝利し1763年パリ条約によってフランスに先んじて市場、原料供給先を得たことにより他国より先んじて産業革命を推し進めることができました。イギリスの近代世界システムにおける覇権国家の地位を決定づけました。産業革命伝播の地域の差はあれどグローバリズムの始まりです。近代の始まりです。

僕が20数年前ロンドンで泊まったのは部屋の裏窓からクリスティーズが見えるサウス・ケンジントンの宿でした。国際的な美術品貿易の中心として現在でもトップにあるオークションハウス・クリスティーズが設立されたのは1766年で、まさにイギリスによる近代覇権国家の始まりの時期です。
植民地政策とあいまった産業革命は現在まで続く国際分業体制ができました。
分業化は一方で貴族層、労働者層、中産階級という3層の階層をもたらしました。