2019年12月13日金曜日

山越生誕図 -191212 山越阿弥陀図(来迎図)に生誕図をみる





今日の起きながら見た夢、発見、あるいはメタモルフォーゼ

鎌倉時代に成立した画題「山越阿弥陀図(山越来迎図)」は大和葛城の二上山のあいだから阿弥陀如来が来迎するという構図である。
この構図は山の稜線を「此岸と彼岸」を隔てるものとする思想からとされている。(*1)
その思想的背景を知らなければ、二つの峰が連なる山は、しばしば女性の乳房に見立てられたりする。しかし、今日起きながら見た夢で、この二つの峰、盛り上がりを尻と見立てれば二つの峰の間(股)から出現する生誕図(出産図)になる。ということを発見した。あるいは意図的な誤読による裏返しによって新たな画題を創作する。


191206 notebook

山越阿弥陀図(来迎図)は二上山の東にある當麻寺から見た図であるとされる。二上山より向こうは黄泉の国、彼岸、西国浄土であり、春分、秋分の日に二上山の谷間に陽が沈む。陽が沈む二上山の向こう側はあの世、こちら側はこの世として古代大和の人々は二上山を極楽浄土の入口と考えていた?夕日の中から阿弥陀如来がお迎えに来る?
そして、山を越えさらに西へ西へと向かうれば、地下鉄の駅名に残る「四天王寺前夕陽ヶ丘」中国から伝来した西国浄土と、太陽信仰が合体した信仰を今に伝えている。
一方で二上山の山を越えた西側は河内の國太子町から古市古墳群~百舌鳥古墳群へと続く広大な王家の墓所地であるのだが、難波の宮もその黄泉の国に位置していたことになる。
乱暴な言い方をすれば、河内難波の國を捨てて大和に国移しをした(遷都)のち、難波の國は明治維新後の京都のような扱いだったのか?

191212 notebook
「山越阿弥陀図」というこの画題に興味を惹かれるのは少年期、二上山を身近に見ていたからだ。もっとも見ていたのは日の沈む山の東側からでなく西側だったのだけれど。
小学1年の途中から5年生の途中まで古市古墳群に近い羽曳が丘(大和団地が造成した新興住宅地)という市内へのベットタウンに住んでいたので毎日二上山を西側から見て育った。ため池のある谷に向かって造成された地の中腹より上の方にあった家から見る二上山は谷越の山であった。
電車を飾るバナーなど小学校の図画課題では、いつも庭から見た二上山の写生を描いて提出していた。
僕はここから田辺の小学校まで越境通学していたのだけれど通勤ラッシュで満員通過するバスに楽に乗れるよう急な坂道を登って二駅歩いた羽曳野病院前駅から乗ることが多かった。冬は坂を上っているときに振り替えると二上山越しに白い太陽が輝いていた。何かの学校行事の時だったか始業時間より早くに学校に行かなければいけなかった折、まだ日が昇ってない早朝に母と古市駅まで歩いたような記憶がある。山越の日の出を見たのはこの時だけだったような気がする。二上山の西側から見れば二上山は朝日が昇る山であり、當麻二上山信仰とは逆の意味を持つ。
そして、二上山信仰から見れば黄泉の国の住人だ。


向こう側とこちら側

さておき、観察者はどこに立って世界を見ているか。二上山を東側から西に向かってみる稜線と西側から東に向かってみる稜線。この時、山の稜線は対象ではなく厚みを持たない境界であり観念である。境界というものはそういうものだから当たり前のようであるが、私たちはその向こうに何かを見るのである。
さすれば絵画のように物理的な厚みが限りなく無に近いイマージュのようなものと考えることもできる。


話は脱線して「杜」という装置である。神社を囲い本殿の向こう側の深みである。
本殿から参拝者に向かって風が吹き、深い奥行きを感じる神社の杜。陽のある昼間ではなく日が暮れてから「杜」の効果はより発揮されると感じるのは、夏祭りや初詣の時である。夜の闇の中、さらに深い闇という奥行きを持った杜。どこまでも深みを感じるその杜を、しかし裏に回れば物理的な奥行きは途絶え、裏側に出くわし興ざめするが、しかし正面から参拝する時の感覚は「杜」という機能を成立させている。この「杜」という装置もまた山越の稜線と同じように観念の境界である。物理的には限りがあるのだが、向こう側を想観するといった機能を助けている。





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「山越しの阿弥陀像の画因」折口信夫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46386_26151.html?fbclid=IwAR3j1RHmfC-1tRTsNpI4j4bBBwPjFmfnICOKiwn4iC9pQiObMYzCLqSil5I

*1
山越阿弥陀図
http://maf.jp/yamgoshiamidazu/
<山の稜線から阿弥陀如来が上半身をあらわす> という特殊な図柄は、古来の山岳信仰に加えて山の稜線を「此岸と彼岸」を隔てるものとする思想からとされます。
古代学者・民俗学者・宗教学者・歌人として独自な学風を構築した折口信夫が、冷泉為恭の「山越阿弥陀来迎図」から着想を得て、奈良當麻寺に伝わる中将姫の蓮糸曼陀羅伝説と大津皇子(天武天皇の第三皇子)の史実をモチーフとして小説「死者の書」を発表しました。....

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折口信夫『死者の書』についてのメモ、まとめ
2017年9月9日
https://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.com/2017/09/blog-post_9.html



季節2019 秋、柿食う季節 神嘗月から立冬の頃




昨年に続き 猛暑の夏がようやくいき 神嘗月
191016-17:29 小牧大草の夕日


天然のプリンのような
柿を むさぼるように 喰らふ

  毎日毎日、医者いらず


191025

冷たい雨
ストーブ入れる
冬じたく


季語だらけだから俳句ではない。しかし五七五リズムの制限された文字であらわすという形式は表現の問題を考えるうえで本質的なことを考えさせてくれる。
我、詠む ということで言えばその状態で完結していることが
汝、詠む ということになると省略されている部分を想像しなければならないという問題がある。
「ストーブを入れる」という部分も文字を見ればストーブを空間に入れるというふうにも見ることができるが、我は「スイッチを」入れるの部分が省略されている。汝はその部分の複数の状況を想像し、多様な解釈となる。



191031
角が立ち
去勢されたる
大和柿

近所のスーパーには種無し柿。
箱に入れて作ったような真四角の大和と和歌山産


神楽月


虫を追いかけて
走行中のバイクの前を
ぶつかりそうになりながら
紋付が横切り
電線に駆け上がった百舌鳥が
高鳴きをして立冬を告げる
革を着て
大学に着けば
紫式部にアオスジアゲハ








2019年12月12日木曜日

121212

2012年12月12日 6:16



121212 06:16 快晴、朝焼け、金星ランデヴー 

日進市浅田