勅使池 08:15-09:25
「私はどこにいるでしょう」
上画像のトリミングです。
メクラ撮法で偶然ギリギリの枠内 に収まっていたコサメビタキ。40 年前に勝川のアパート窓からトンボを食べるサメビタキを撮ったことはあるが、コサメは初?
この場所にとどまって待っていると、いくつもの?何度もの?コサ メが頭上高くせわしなく移動。な かなかとらえることは困難。
同時に、コサメビタキより少し大きく見える小鳥が二度三度、低い枝にもとまるが判別できない。いえることはコサメは腹が白と頭部背中がグレーだが、白と褐色の頭部と翼から背にかけて。明らかにコサメビタキではないが、キビタキの幼鳥か?ようやくとらえた画像はピンボケでやはりわからない。ただとまった枝がアカメガシワの実がたくさん成る近くだから、ヒタキ類(オオルリ?キビタキ?などの幼鳥)であることは違いないと思うのですが。
環境。下左:アカメガシワの実 |
コガモ:二群に分かれて、こちらは2号橋近くの入江。もうひとグループは池中央に
「19世紀初頭、絵葉書風、水彩画イラスト」とAIに指示したわけではないのにできてしまった古臭いイメージ。モノクロ写真に水彩着色したように見える画像は3万弱の安もんコンデジの低解像度のボケ具合とフォトショによる露出補正の結果。観察の復習(現場感覚の補完のための画像調整)のつもりが時に変なものができてしまう。
露出補正が必要な解像度の粗い写真は、帰宅後の画像調整で「よりよく見る」復習にとっては満足なのだが、40年前も500㎜望遠のピンボケ野鳥写真をピントが合うようペン画で描き起こし直していたことを思い出す。描くこともまた認識の手段の一つであるのだ。写真家になろうなどとは思ったこともない自分にとって描き起こし観察するための精巧なメモ機材程度にしか写真を捉えていなかったということ。今もその時の感覚に近いフォトショによる画像調整。露出、トーンカーブをいじってピンの甘さと現場の感覚を補完していると時に奇妙な絵画的奥行きが現れる。が、決してそれは新しいものではない既視感。デジイチで羽毛のすじ1本までカチットピントが合った写真を見ると画像調整しながら対象の観察に時間をかける行為がひどく古臭いものにも感じられ。。
酸欠で鯉が浮くことはなくなったが青粉がびっしりの池に4か月の避暑から戻ったコガモ(エクリプス)が日に日に増えて20羽くらいに。もうすぐお彼岸。大きく季節が変わると予告されているが。。