2024年4月24日水曜日

小説「クソみたいな といふ 君へ」

  しかし君は最初の頃、底でのことを結構楽しんでいたではないか。
君のポストにはそれがあふれている。
それを今になって「クソみたいな」というのはあんまりだ。
君が去った後もそこでその仕事をしてる人はいるはずだ。そんな彼らはクソなのかい?

君に何があったのかは知らない。そしてそんなことに興味はない。
だけれども、その吐き捨てられた言葉は聞き捨てならないな。その言葉に深く傷つく人はいないのだろうか?君のポストで君といっしょに楽しく写ってる人、人々はどうだろう?


 自分にはもっと大切なものがあると君はいふ。

みんないつごろから自分のことが大事と思うようになったのだろう?
ひとのことだけのために身を粉にして生きている人は自分語りはしない。自分のことを考えない彼らはクソなのか?


なりわいとは長い年月の中でそうなった結果であり、自分がこうしたいと決めた事だけで成り立っているのではないだろう。仕方なくこうなってしまったということだって自分なのではないか。君なのではないのか。

そもそも私たちは「自分」「君」という主語なしで話してきた国の群れなのだ。
今さら「自分を探せ」と言われる筋合いはない。
そして、もっとも不幸なのはそれを教育の名のもとに行うことだ。
それは時に暴力的である。

自分の無い人はクソなのか?




つづく