ラベル 小さな話 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 小さな話 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年4月20日日曜日

250420 アカミミの反論

 


アカミミの反論


私たちは侵略するためにここに来たのではありません。
むしろ、招き入れたのはあなたたちの方です。
緑色の小さい、生まれたての私たちが、かわいいから人族の子供たちの人気になる。お祭りの露店でいい商売になる。と海を越えて連れてこられたのは私たちなんですよ!
それを今更、
「こんなに大きくなるなんて知らなかったよ」
「もう育てられないよ」
「かわいそうだから、自然に帰してあげよう」
などと無責任なことを言って私たちをこの地に解き放ったのは、あなたたちなんですよ!!

こうアカミミは前日の投稿「鯉と鼈」に対する反論を語り始めた。

途中
つづく


2025年4月19日土曜日

250419 鯉と鼈

 
4月19日 11:27

ミシシッピからの侵略が多数派の池でスッポンを初めて見ました。
伴泳する鯉は7-80cmくらいの主。
鯉はこの後、目の前でミサゴ攻撃をまねたカラスに襲われビックリしましたが、
もちろんかわして悠然と泳いでゆきましたとさ。
めでたしめでたし


と、ここまでは、実際見た光景と画像なんだけれど、
なんだか生成AIでの作り物のように見えてきたので、マイクロソフトの生成AIにコメントをそのままプロンプトとして入れてみた。
ら、この画像になった(爆)






侵略と攻撃が言葉として強いのですね。

というより、誰が誰に侵略を仕掛けてるかといった主語がない日本語表現が、英語文法によるAIにとっては難しいのですね。










2024年4月24日水曜日

小説「クソみたいな といふ 君へ」

  しかし君は最初の頃、底でのことを結構楽しんでいたではないか。
君のポストにはそれがあふれている。
それを今になって「クソみたいな」というのはあんまりだ。
君が去った後もそこでその仕事をしてる人はいるはずだ。そんな彼らはクソなのかい?

君に何があったのかは知らない。そしてそんなことに興味はない。
だけれども、その吐き捨てられた言葉は聞き捨てならないな。その言葉に深く傷つく人はいないのだろうか?君のポストで君といっしょに楽しく写ってる人、人々はどうだろう?


 自分にはもっと大切なものがあると君はいふ。

みんないつごろから自分のことが大事と思うようになったのだろう?
ひとのことだけのために身を粉にして生きている人は自分語りはしない。自分のことを考えない彼らはクソなのか?


なりわいとは長い年月の中でそうなった結果であり、自分がこうしたいと決めた事だけで成り立っているのではないだろう。仕方なくこうなってしまったということだって自分なのではないか。君なのではないのか。

そもそも私たちは「自分」「君」という主語なしで話してきた国の群れなのだ。
今さら「自分を探せ」と言われる筋合いはない。
そして、もっとも不幸なのはそれを教育の名のもとに行うことだ。
それは時に暴力的である。

自分の無い人はクソなのか?




つづく





2023年9月15日金曜日

230915 1年前の今日、アサギマダラを見た。

 
「2022/09/15  am11:50」Kiminari Hashimoto 2023/0/15


1年前の9月15日、家の前で信号待ちをしてる時、羽化したばかりのような傷一つない美しい羽根のアサギマダラを見た。
信号が青に変わると前のボックストラックを追いかけるようにひらひら飛んで行く。
そうか!南への長旅のためにエネルギーを温存すべくボックストラックで空気抵抗を避けながら飛んでいるのだ!
ちょうどその時は両眼カメラしか作動してなかったので、この出来事を忘れないよう脳みそAIで生成、途中でほっぽり出してた切りバリCGを1年ぶりに完成させた。
そして、つまり、絵を描く動機とはそういったものだと思う。(手動gifあにめ)


am 11:50
 しかしトラックは北に向かっていた!

この道をまっすぐ行けば愛知池に繋がって、アサギマダラの立ち寄り地のバタフライガーデンがありアサギマダラが好物のフジバカマを植えてるが、まだ花の時期は早く伊良湖の渡りももう少し先の時期だった。伊良湖岬はこの進行方向とは逆の方向だし、西を目指すなら左折しなければならない。

その日も、今日のようによく晴れた日だった。



 このように、この日のできごとを言語化してるのだから、生成AIを使えばもっとその時に私が見た光景が、その時のリアリティをもって出現するだろうか?それとも全く見たこともない道の光景が出現するだろうか?それもまためんどくさい作業なので1年後になるだろう。



 昨今のデジタル環境は何事につけクイックタイム・レスポンスである。すぐに返事なり結果を強要してくる。何日もかかって完成させていた手描きイメージ図が4,5例をあっという間の数分で作成してくるのだから確かに驚くのであるが、受容する側の脳みそ筋肉を含む身体の代謝スピードとずれていってレスポンスに乖離が生じる。と感じているのは老害年齢を突き進んでるからだろうか。
冷静に生成AIを見れば、長大な人類の集合知を自動検索して組み合わせてるのだから、個人の限られた時間内での直接体験だけによる生成と競争することはすでに結果が知れている。そして集合知と個人知という対立項は、その分け方がそもそも間違いである。個人の脳みそといったところでそこにはすでに無意識の人類全体の集合知が含まれているのだから。


そものも、この切り貼りコラージュになぜそんなに時間がかかったのか。その時の感覚を重視すれば重要なのは主になるアサギマダラではなく、それがその時その場所でそのような状態を表そうとしたからだ。そのため蝶の画像より背景となる場所を生成することが、バイクで信号待ちしてるその時の視覚感覚の再現に時間がかかったのである。背景の画像にリアリティを持たせるべく最初はグーグルストリートビューをちょっとずつ視点を変えてコピペして重ねていたが、主観的両眼カメラから続くバイクの運転ハンドルなどは改めて別日に信号待ちの時に撮影したりした。出来事自体を撮影することはできなかった不在を埋めるために背景の生成に注力したのだ。




2023年6月2日金曜日

「Kとの会話」その5

  一点透視図的な奥行きを強調しようとしてまっすぐな一本道の並木的な絵がつまらないのは、その図法が目的になっていて表現に直結してしまってることなんです。



すぐれた作品というものは、その図法が目的として前面に出てこなことによって、その作品が発するもやもやとした複数の問題を探そうと何度も何度もその作品に向き合って立ち会おうとすることを強いるのです。つまり何度も見たいという欲求を誘発しないものはすぐれた作品と言えないのではないか。
 まあこういったことで、僕はKの作品にそれほど興味を惹かれないということなんですよ。
面と向かってあなたに言うのは失礼かもしれませんが。
この感覚はトリックアートという見世物にも通じるのですが。
いや、見世物が悪いと言ってるわけではありませんよ。
緊張の連続で疲れきってる時に難しいことを考えたくなくなるじゃないですか。そんな時、大声で笑わせてくれる芸能というものは確かに必要ですよ。だけど面白いかと言われれば面白くない。まあこの二つの日本語の曖昧さがあるんですが「おもろー」と「実に興味深い」という違いでしょうか。
そんな風な感覚なんですよ。





 面白くないと言えば、僕の根本的な問題についても話さなければならないでしょう。
ええ、発表活動を行わなくなった理由についてです。
自由な提言を作品として提示し他者の意見を聞く、あるいは反応を見るということなんですが、それは一方で売るためのアートワークを作る、注文に応じて製作するということと、別なアマチュアな行動でもあるのですが、そのあいまいな状況下にもやもやして折り合いを付けられなくて今に至るわけです。

 97年の三つの展示発表。
ええ97年というのはこの国の経済がポキッと折れた有名なグラフが示すあの年です。
その頃社会を賑わせていたのは、ポリコレとかジェンダーフリーとか耳慣れない言葉が飛び交うようになった頃です。
海外由来のアートニュースでもホイットニーバイアニュアルとかでそういった類のテーマによる作品が多いとか伝聞されていたあの頃です。
まあ、それはいいんですが、それ、この日本に持って来て扱う問題?という疑問があったのは一旦措いておいて、自由な提言を謳っているリベラルアーツというものが、その実、左巻きの思想が当然の前提のようにふるまうことに「ええーーっ」となるわけです。
リベラルアーツ、コンテンポラリーアートというものが左巻きの思想を前提として存在しているということの片寄り。それって辞書的な意味の「リベラル=自由な」とは異なることじゃんてなるわけです。右巻きの保守とかそういったことは初めから存在しないように排除されてるような振る舞い。
ああこれが共産革命だったのかとようやく今になってはっきり理解実感したのですよ。以前 よりはるかにポリコレとかジェンダーとか言う語が身近に聞くようにこの国の社会に浸透していって、法律さへ作ろうとしている、今。

当時も、「抽象絵画は偶像否定したあの人たちの思想から始まってるんだからアメリカの現代美術というものも、いわゆる一つのフォークアートですよね。」と一世代上のポジション作家の人たち数人の集まりで発言してひんしゅく買ったりしてたんですがね。
まあその時はそれほどでもなかったんですが。そのあと数年して、自分がそういった展示会に出品するようになった頃のことです。

芸大の先生が学生数人を連れて展示会場に来てくれて、感想を述べたのですね。
ジェンダーフリーの流れの中で性差を強調した表現は時代に逆行していると。

いやぁ、僕としてはポリコレよりもバイオロジカルコレクトネス biologically correctness の方に興味があったわけで、、、
ポリコレで強調しなくても生物の世界では♂が♀になったり♀が♂になったりすることはなんら不思議ではないし、、
何よりこの国の文化(源氏物語や歌舞伎)を見ても、今さら海外から耳慣れない横文字にして改めて「世界標準から遅れているこの国・・・」と詐欺的に強調して輸入することに???となるわけですよ。
それ時代の流れとか関係ないじゃないですか。
アッ、ついつい脱線が過ぎました。
つい昨今の状況が当時を思い出させてくれたんですよ。


つづく


関連投稿 ---------------
「古い3D」と「新しい3D」(その1)  2021年11月7日

2023年5月9日火曜日

230509 遅い午後の食事

 
コサギの食べ残し?それともカラス?  16:32  岩崎川堤防遊歩道にて



3年半にわたるインフォデミックの終結を手戸さんが演説する大本営映像がテレビに流れてから数日、それでも口の周りの布を取らないのはどの段階の情報を信じてないのだろうか、この国の人々は。

ねぇ、なにに怯えてる?
おもいやり○○って、なに?
それって本当のおもいやり?

「そんなことわからないわよー!
 だから保険をかけてるだけよ!
 みんなにとやかく言われるのもうざいんだから!」


「...  行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから ... 」
テレサ母さんの有名な一節 この3年で書き替えられた。

「きをつけなさい、行動はすぐに習慣になるから」





2022年12月1日木曜日

「あんた、ほんまに病気か?」

 ケラケラ笑いながら、水のない空中で溺れ、バタバタ暴れるようにこのまま息が止まってしまうのではと死にそうになった発作時の状況を説明するものだから、母は怒ったようにこう言った。

「あんたぁ、ほんまに病気か?」

こう話している時も椅子に座って静かにしてると何も起こらず健康な人と見分けがつかないのだから仕方がない。今朝もその時の声がおでこのちょっと上あたりでリフレインしている。


つまりこれは病名を知って、それに対する情報をいろいろあちこちから仕入れたので、より症状が悪化していったという「情報による感染病」と言えなくもないか、とこう思ったのは、ここ3年にわたる戦時中のような情報革命がまさに如実にその症状を露呈しだしたからだ。




小話 時々どきゅらんど


壁際が設楽知昭氏のオープンスタジオスペース。手前、橋本  (photo:2000)


「枠に張った半透明フィルムに人形などでポーズをつけた現実の空間をトレースする制作途中は記憶があります。名古屋港artport2000のオープンスタジオで制作されていました。この背景はメインに使われた20号倉庫の隣にあった8号倉庫です。私はこの向かいのブースでオープンスタジオに変則的に参加していました。」おとうさんの顔本に記憶の扉を開く設楽さんの絵が載ってたので思わずコメしてしまった朝。















段取りとあとかたずけ


物理的な素材を扱う特に立体物の制作で必要とされるのは準備と次の工程へと橋渡しすることを考えての作業の終わらせ方でありそのためのかたずけなのである。というような当たり前のそんなことくらいしか六十過ぎの老いぼれが息子より若い世代に何か伝えることがあるとすれば、そんなことぐらいである。自身の身をもって体得した大事な情報というものは時短で便利なハウツーではなくてめんどくさくて時間のかかるものなのだ。細かなノウハウは時代とともに変わらざるおえないのだから詳細しても意味がない。横に立って見ていればよいだけだ。生きてゆくということはめんどくさいことをやり続けなければならない大変なことなのだ。











明日からの41人相手の戦場のような工程の授業のことが気になって、おでこのちょっと上の声がここ何日もつぶやいている。






脳が記憶感染?はあっ?あんたなにゆうてんの?


身構えながら待っていた冬本番の寒気による冷え込んだ昨晩から今朝。最近はテレビもラジオもみんな大げさというより、おせっかいが過ぎるように、不安を煽るように、予防医学と似て、事が来る前にそんな情報ばかりしゃべるもんだから、ついつい情報感染して現実を体感する感性が鈍ってしまう。気温差による発作の恐怖。2月の雪の朝、喪服でコーナンの駐車場まで歩いた時の発作のことが脳みその端っこにあって、その時から急激な気温変化の状況下で症状が悪化すると自身の記憶によっても洗脳されてしまっている。脳が記憶感染しているといってよい。そこにメディアが追い打ちをかけるからより身構えてしまうのだ。


しかし実際はどうだ。今朝のSpO2などここ3か月見たこともない良い数値94%を示している。昨晩冷え込みだしてからいたって調子が良い。
冬のピリッとした朝の空気、僕は1月生まれだからか昔からこの時期のその感覚が身に付いていて好きなのだ。

つまりこの予防情報過多による社会状況、ビッグデータによるAI技術をとにかく使うことが社会に良いことであるという方向にみんな向けとメディアはやんわりと耳元目元で囁くのである。海の向こうの薬屋さんがパウル・ヴァーフーヴェ(ン)の映画のように「この時期…○○珍について…考えてみませんか?」などとテレビで囁くのであるから思わずぶるっぶるっと耳元にじょじょげが走るのである。個が自分の身をもって体得していった積み重ねの知恵や判断といった些細な個人の見解よりも、類としてあちこちの多数から収集した情報を優先しそれに従えと。それはまあもっともな考えではあるのだけれど。
おかみは汚い。枠組みとルールを作って、自身は命令や強制せず憲法の名のもとに「あくまで個人判断で自由ですよ」と言いながらその実、連帯責任・相互監察・相互扶助といった江戸時代の五人組制度や大戦中の隣組のように民衆間で行動制限を行うようにもってゆく。と、そんなことを今頃言ってもしょうがない。洗後 (*1) の後の祭りなのだ。未来の命を人質に取って、不可逆的な世においては実証するすべなどなく、実にうまく考えられた持続可能なお金儲けと民の掌握のシステムなのである。

「あんた、そんなこと言って、みんながめちゃくちゃなことやりだしたら、そんな社会であんたほんまに生きていけんの? 難しいことようわからんけど、みんなとおんなじことしといたほうがええんとちゃうの?」





新嘗祭より七日、冬本番を祝う朝に



(*1) 補足用語説明 -----
ぼくの新語流行語大賞2022=ふたつの「せんご」
洗後:多くの人々が洗脳されてしまった後の世の中を表す言葉。
染後:感染騒動後あるいは感染騒動後期の世を表す時代区分のこと。


2020年3月12日木曜日

感染 (in progress)

だれかのことばより
「記憶は保持されているというのは幻想である。
記憶は、あることを思い出した時点で、たった今、作り直されている。
鮮やかな記憶とは、繰り返し繰り返し呼び出し強化している自己愛的回路の変形といえる。」

有名なシュレディンガー博士の論、「シュレディンガーの猫」は箱を空けるまで生きているか、死んでいるかわからない。未観測の段階で「猫」は生きてもいるし、死んでもいる。私は、記憶もまたシュレディンガー博士の実験装置のようなものだと思っている。

「人は記憶の中で生きながらえる。」という時、その人Aは記憶する人Bによって生かされている。記憶する人Bがいるから、その人Aは生き続けているのである。

現代の人間社会では訃報というシステムがある。
訃報を受け取って初めて、その人物が少し前までは生きており、しかし少し前には亡くなったことを知るのである。訃報によってはじめて生か死かはっきりする。
訃報を受け取っていない状態では「シュレディンガーの猫」である。
そしてこの訃報というシステムが発動されるのはいつも突然であるのだが、突然と思うのは、何年も交流がなく、あるいは遠い場所に離れて住んでいて年賀状くらいしか互いの交流がないゆえである。生活を共にする当事者でないからである。
例えば自分の父親についてはどうだろう。私は普段の仕事や諸事に追われている時、父のことを絶えず考えているわけではない。その時、意識に上らない父は生きているか死んでいるかそれさえも問われない。しかし、ひとたび意識すると、その時点で即はっきりするのである。父の肉体はすでに死んでいると。それは、死に立ち会った事実とその経験からである。

しかし私は、遠いむかし遊んだ友人Yのことはすっかり忘れている。名前を聞いても昔の写真を見てもそれが誰だかわからない。私の記憶にも昇らないこの友人Yは記憶に上っていない状態の時、生きてもいるが、死んでもいる。しかし現実では友人Yは生きているか、死んでいるかはっきりしている。そして、もし友人Yが一方的に私のことをことあるごとに思い出していればYの中で私は生き続けている。

現代のようにインターネットができ、SNSというものが盛んに利用されるようになる前、生前の人の別れも一生の別れであった。もしあなたが、その別れた人のことを思い出さない時、その人はシュレディンガーの猫である。スマホやSNSというものがない時代にはアクチャルに探そうと行動しなければ、別離した人は生きているか死んでいるかもわからないのである。



武漢由来ウイルスの感染者の数字は、検査数が少ない地域、検査自体行われていない地域を考えると「シュレディンガーの猫」のようである。しかし厄介なのは、たとえ陰性の検査結果であってもウイルスがヒト個体内に「無い」というわけではなく、設定された陰性基準の数値検出ができないレベルであり、ウイルスがあれば生き続けるということである。
しかし、そもそも武田先生が指摘するように(1) 世界史上で記される歴史的な大流行がおこった疫病、感染病でさえ、感染者数は把握できていない。感染者数を把握するなど不可能なのだ。




昭和38年

幼稚園を休んだSくんの家にともだちとお見舞いと称して遊びに行った。
木戸越しに頬っぺたをタオルでつったSくんが出てきて、

「おたふくにかかったから遊べない」といった。

その後、少ししてぼくはぐったりした。おたふく風邪がうつったのだ。
往診に来た医者がおたふくかぜと診断すると祖母の勧めで母は布団を敷き、ぼくと弟を並んで寝かせた。弟におたふく風邪をうつすために。

弟はめでたくおたふく風邪に感染した。

その後、気になった僕はこの時の感染がおたふく風邪だったか、ハシカだったか確かめるために母に電話して聞いてみた。母の記憶もあいまいで、しかし母は僕と異なる記憶を、その頃の様子を詳細に話してくれた。
とにかく僕が映像的に記憶してるのは、S君の家の木戸越しの情景、大きな仏壇のある部屋で弟と並んで寝かされたこと、往診に来た医者のことであり。
そして、もう一つの病床の記憶は二階に一人寝かされていた情景である。その時の記憶は二階の窓からすぐ近くに見えたセンダイの松の木に色鮮やかな黄色く平べったい蛇のようなものがいて、気持ち悪さと同時にその情景が鮮明に思い出されることだ。



昭和40年




クルーズ船で感染が広まり、病院への隔離のニュースがにぎやかに報道されだしてすぐ、小学校2年の頃の羽曳野病院のことが脳内に映像された。

その場所がサナトリウムと知ったのは成人してずいぶん経った頃だ。サナトリウムという言葉すら中島みゆきの歌を聞くまでは知らなかったのだから。実際そこはサナトリウムと明記されていたわけでなく結核療養所となったいた。宮崎駿監督のアニメにはサナトリウムが頻繁に登場する。それを見て初めてあの時の赤い屋根の棟がいくつも並んだ官舎のような建物がその施設と初めて理解したのだった。
その地は聖徳太子の弟、来目皇子の墓と伝わる方墳があり、中の太子と言われる野中寺から近かったりと太子ゆかりのある地で、その病院の西には悲田院という名のついた施設が広がっていて四天王寺学園大学につながっていた。悲田院とは聖徳太子が四天王寺に設置した四箇院の一つであるとされている。

四箇院とはwikiによれば
伝承によれば、聖徳太子は四天王寺に「四箇院」(しかいん)を設置したという。四箇院とは、敬田院、施薬院、療病院、悲田院の4つである。敬田院は寺院そのものであり、
施薬院と療病院は現代の薬草園及び薬局・病院に近く、悲田院は病者や身寄りのない老人などのための今日でいう社会福祉施設である。

四天王寺は四箇院が示すように、現代で言えば総合医療福祉センターのような福祉施設である。
その四天王寺が令和2年5月2日、創建以来初めてすべての門の出入り口を閉鎖する。ウイルス感染拡大防止の対策として。




天平の疫病大流行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%B9%B3%E3%81%AE%E7%96%AB%E7%97%85%E5%A4%A7%E6%B5%81%E8%A1%8C

天平の疫病大流行は、735年から737年にかけて奈良時代の日本で発生した天然痘の流行。ある推計によれば、当時の日本の総人口の25–35パーセントにあたる、100万–150万人が感染により死亡したとされている。天然痘は735年に九州で発生したのち全国に広がり、首都である平城京でも大量の感染者を出した。737年6月には疫病の蔓延によって朝廷の政務が停止される事態となり、国政を担っていた藤原四兄弟も全員が感染によって病死した。天然痘の流行は738年1月までにほぼ終息したが、日本の政治と経済、および宗教に及ぼした影響は大きかった。
背景
日本の中央政府は、8世紀初頭までに中国にならった疫病のモニタリング制度を導入しており、国内で疫病が発生した際には朝廷への報告が常に行われるよう公式令で定めていた。
この制度の存在により、735–737年に発生した疫病の際にも詳細な記録が残されることとなった。それらの記録は『続日本紀』他の史料に残されており、流行した疫病が天然痘であったことを伝えている。

余波
東大寺大仏殿。盧舎那仏像(奈良の大仏)は天平の疫病大流行の後、聖武天皇の命によって建立された。政権を担っていた藤原四兄弟が相次いで病死した後、彼らの政敵であった橘諸兄が代わって国政を執り仕切るようになった。天然痘の終息から数年後には、農業生産性を高めるため、農民に土地の私有を認める「墾田永年私財法」が施行されたが、これは疫病によるダメージからの回復を目指す社会復興策としての一面が強かった。
当時、災害や疫病などの異変は為政者の資質によって引き起こされると見なす風潮があり、天然痘の流行に個人的な責任を感じた聖武天皇は仏教への帰依を深め、東大寺および盧舎那仏像(奈良の大仏)の建造を命じたほか、日本各地に国分寺を建立させた。
盧舎那仏像を鋳造する費用だけでも、国の財政を破綻させかねないほど巨額であったと言われている。




<つづく>

------**
(1)  2020/5/15虎ノ門ニュース (14:09あたりから中部大学武田邦彦教授の感染者数についての説明)表示は放送後2週間なので、すでに非表示になっている。
https://www.youtube.com/watch?v=jxWrq8FvAlo&t=7273s








2020年1月2日木曜日

200102 初詣でやまと絵の神様を祀るという金岡神社にゆく

 



62歳になりました。
還暦を過ぎ、最近知ったことに、やまと絵の祖とされる巨勢金岡が祀られているという金岡神社があります。その金岡神社の場所が自分にとってもなじみ深い関係があったというお話です。

自身の中学校の通学路で使用していた山坂神社から田辺中学校に向かうまっすぐな道、実はこの道が難波大道であると最近言われています。
この道は自分が中学校に通うようになってからよく通る道なのですが、山坂神社の鳥居前を過ぎて田辺中学に向かう一直線の道はごくわずかに高低差があり下っていて消失点までかすんでいますがよく見えるのです。今では(50年前もですが)その行き止まりは長居公園の木々になるのですが、約1,135年前の金岡神社創建の885年頃を透視してみるとちょうどこの難波大道の行きつくところ竹ノ内街道にぶち当たり、その角が金岡神社なのです。当時の長居公園の場所はどのような状態であったのかは調べていませんが、今まで思い当たらなかったことに現在の大和川の堤防の存在があります。大和川で分断される難波大道?そうです、天井川だった大和川の付け替えは和気清麻呂当時からありますが、現在の状態に付け替え工事が行われたのは1704年からです。大和川の堤防

中一当時の自身の透視の消失点の先にこの金岡神社があったという驚きなのです。それがどうしたというあなたにとってのお話でありまして大変失礼しました。ここまで読んでいただきありがとうございました。


*この道は自分が中学校に通うようになってからよく通る道なのですが実は中学校近くの長居競技場近くに先祖の墓もあり













2018年8月11日土曜日

【井戸端会議】

【井戸端会議 その1】


「それでもここは田んぼや樹木が多いから陽が落ちると涼しかったのよ。エアコンなしでひと夏過ごしたこともあるわ」


「だけどね、全国、住みやすい街ランキングで今年は7つもアップして全国9位になったのよ。住みやすい街になったのよ。なぜだかわかる?」


「だけどね、陽が落ちて涼しくなった感じが少しなくなったわ。これって住みにくくなったってことじゃないの?」


「そうそう、バイクで走ってると、瀬戸から芸大通を通って日進に近づくにつれて気温がじわじわ上がってるのを感じるわ」


「わけのわからない雑木林や竹藪のある駅に通じる山が一気に丸坊主にされ、鳴り物入りで大きなGMSができたもんだから」


「街はショッピングセンターとともに、というわけね」


「暑かったらショッピングセンターに来なさいと言ってるのよ」


「だけど、何個もある造成されたショッピングセンターの駐車場に車が止まってるのを見たことないわよ」


「そうそう、そもそも子供の出生率が減って、人口が減少しているのに相変わらず山を崩して造成し家をどんどん建てているんだから、意味わかんないわよ」


「あんたバカーッ? 需要があるから開発してるんじゃないの。今この場所は、未開拓土地がある最後の砦なんだから。というか、開発場所を移動しながらお金儲けをするの。ここに人口が集まりそうだと目を付けたらそこを開発し、それが終わったらよそへ移動しながら開発は永遠に続くのよ。それともなに、あんたアスファルトの道路をつるはしかなんかで全部壊して雨が降ったら泥んこになる土の道に戻せとでもいうの?そんなことして自動車がなけりゃ毎日の買い物にも行けないあんたは生きてゆけるとでもいうの?」


「そういえば70年代初めに拓ちゃんも歌ってたわよねぇ。自然に帰れっていったいどういうことなんだろうって」


「そうそう、この国はスクラップアンドビルドでなけりゃ経済を回してゆく方法がないの。(キッパリ)土木中心で山を壊し、道を作って、単価の高い商品を売るってわけよ。生産性を上げるってことは、需要があるからってわけじゃないの(キッパリ)」


「そうか、消費によってお金が動くってことが大事なのよね」


「名古屋城木造天守がもめてるけど、あれもよく似たもんだわ」


「それでもねぇ、クーラーのきいた涼しそうなスタジオで、命の危険の暑さについて語る芸能コメンテーターという人種を見てるとむかつくのよ」


「部屋にいる時は、エアコンの使用を我慢せずに・・・とかあたりまえのように言ってるニュースキャスターにもむかつくわねぇ」


「わたしなんか、昔とは気候が違うという人にもむかつくわ」


「エアコンのない37℃の部屋でテレビを見ているうちの爺ちゃんなんか、こないだテレビに向かって、こんな気候に誰がしたってボソッと吐き捨ててたわ」


「あんたケチってクーラーつけないもんだから、頭おかしくなったんじゃないの?」



連日、連呼される「命の危険」によって命の危険は暴落する。


2018年4月29日日曜日

くらもちふさこの輪郭線

朝ドラは見ていないが『いつもポケットにショパン』が登場していると聞き、佐藤健がきしんちゃんに見えてくる。

81年7月まで別マを買っていた連載中。思春期を卒業していなかった僕は、一般的に思春期と呼ばれる時期に、その感性に向き合っていなかったのではないかと画中の細やかな感情の機微の表現に涙した。いや、そもそも思春期というのはそういった感情の細やかな機微に思いをはせる時が続く限り卒業などできないものかもしれぬ。不可逆的な時に対する切なさのことを指すのかもしれぬ。

ストーリーもさることながら、くらもちふさこ先生の輪郭ペン線は北斎漫画に通じる抑揚のきいた線でボリュームを表し山水画につながる筆画の線の伝統を見、他の少女漫画家にない無駄のない線に魅せられたのである。
当時、セピアインクとペンでロココ調の女性像の具象的構想画を描くことをしいられていたのだけれど、どうも上手く描けない。そこで彼女のその線を分析した。
筆圧によるペンで描かれた抑揚のある線は力を入れたところにインク溜りができて力を入れてないところと一本のつながった線でありながら濃度差が著しい。そこで、面相筆でたまったインクを吸い取りながら描くことにした。くらもちふさこの『いつもポケットにショパン』を参考にしながら。


#くらもちふさこ

2018年1月13日土曜日

架空の小説「養老院サンバ」


養老院サンバ


三が日がすんで大阪から金沢へ戻ってくると街はすっぽり白い塊に覆われた見慣れない風景になっていた。六畳一間の下宿は、障子を開けるとガラス窓の向こうは白い塊の壁で空が見えない。初めての白い世界にウキウキ気分も、空が低い日本海側の冬の洗礼は日を追うごとにセンチメンタルな気分にさせる。海を見に行こうと思い立ってあてもなく電車に乗るが、降り立った駅はすでに闇が近づいていて新雪がかくす道なき道を勘を頼りに歩き回る。たどり着いた海は、天使の梯子がはるか水平線にスポットライトをあてた舞台セットのようで、僕の心はますます陽水になる。

三か月前にはMiG-25が超低空飛行でF-4JEの追尾をかわし函館空港に強行着陸した。
クラスメイトは日本からソ連へ行くのも亡命と言うのかと教授に問う。

降り積もった新雪と黒い海。
自分以外この世には誰もいない。
「未知との遭遇」の条件は整った。


日本海の海岸であいついで神隠しが起こっていた。
しかしそれを知るのは二十数年後のことだ。


あの時一人で日本海にいた僕は、なぜ拉致されなかったんだろう。


1977年はこんな感じではじまった。




そして、その40年後の年も終わろうとしている。
-------
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B3%E4%B8%AD%E5%B0%89%E4%BA%A1%E5%91%BD%E4%BA%8B%E4%BB%B6


-----
https://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2017/11/171115-40-years-ago.html