2013年6月15日土曜日

「つまらないこと」あるいは「コンセプチュアルアート・ライト」

つまらないことは、興味や意欲、行動や衝動、あらゆる”人”の行動にネガティブに作用するだけでなく感受性さえも枯渇させる。


栗原はるみ氏曰く。

「決めるからつまらなくなる」

「ルールを作ると嫌いになっちゃう」

「作る人がルール」



完全なる自由を獲得していなければならないはずの「アーティスト」と称する人が時に正反対のことを言い、興ざめする。
狭い地域やソサエティー、わずかの時間的経過を歴史と錯覚したルールに囚われた、真面目に、こぎれいに仕上げられた、不自由な成果物。
狭いルールがレギュレーションの内側で生きていくのは自由だが、つまらないモノや事を再生産することは避けなければならない。
言い換えれば、「アート」に成る可能性を持った成果物は言語化される部分がどれだけ整合性を持って完結しているかが重要なのではない。
言語化されえない得体の知れないデモーニッシュなアニマがないものに「アート」と称するものが入り込む余地はない。
それは「コンセプチュアルアート・マイルド」とか「コンセプチュアルアート・ライト」と呼ばれるタバコの銘柄のようなものにすぎない。