小学生一年の僕は首から 今川-藤井寺 と表記された定期券をぶら下げて、大きな歴史を埋葬した土地わきの、サナトリウムがある大きな敷地の病院のさらに奥に高度成長期に切り開かれたネオポリス(「ネオポリス」なんて未来的な響きのあるネーミングの街!)から本籍のある田辺の小学校まで越境通学していた。
その日は土師ノ里の駅を過ぎたあたりで向かいに座っていたおばあさんが
「あんた藤井寺は過ぎたよ」
と居眠りして乗り過ごした僕を揺り起こしてくれた。小さな子が首からぶら下げている定期券を見て、気づいたようだ。
穏やかな午後の日差しが差し込む車内で目覚めた僕。
どうしよう。。
僕はしかたなく古市で降り、駅員に乗り過ごしてしまったことを告げ、古市巡回バスでなんとなく知っていた道を歩いて家に帰ることにした。
古市からまっすぐ西へ、バスの車窓から見慣れた、今思い返すとのどかな風景。
藤井寺から羽曳が丘行き古市方面巡回バスは田んぼの中に点在する古市古墳群の中をめぐる。
日本武尊白鳥陵を左に見る田んぼ脇のまっすぐな道は、しばらくすると高低差の激しい急な坂道にさしかかる。坂道を上った先は野中寺巡回のバス停があるからそこまで行けば。。
しかしこの坂はなかなか6歳の小一の児童にはきつい。
と思っていたら幼な子を前に乗せ自転車を押しながら坂を上ってきた爺さんが
「あんたどこまでゆく?野々上まで?それじゃあ後ろに乗りなさい」
と言って僕を自転車に乗せて牽いてくれた。
坂道を登りきる少し手前に古市巡回のバス停があり後ろから坂道を上ってくるバスの気配を感じた僕は
「ここでいいっ!」
ともう少し先まで乗っていきなさいという爺さんの言葉を振り切ってバスに乗った。
あの時、お礼も言わず小さな親切を振り切ったなんだか後ろめたい気持ちと自転車に乗せられている時に感じたなんだかわからない不安と怖さは何だったのだろう。
1964年のある日
---
政治的なここ数年の明治維新関係と、異なるもっと大きな政治的意味(国の成り立ち、建国神話のタブー)を持つであろう古市百舌鳥古墳群のユネスコでの世界遺産登録は難しいのではないか。
http://www.asahi.com/articles/ASHD14HCNHD1PPTB006.html