「長く生きるほど人生は美しくなる」
高蔵寺ニュータウン、マスタープラン設計者津端さんの番組では、効率化で谷を埋め山を削りと理想が実現できなかった挫折感から自身が住み続けながら自身の土地に小さな里山を作るという実験に向かわせたと描かれていました。「コツコツと一人でやれることをやる。」確かで美しいいとなみ。
http://matome.naver.jp/odai/2142590119255909501
62年入居が始まった千里、68年入居が始まった高蔵寺、71年入居開始の多摩、いずれも高度成長期の丘陵地開発によるベッドタウン。特に高蔵寺の場合、前年1959年の伊勢湾台風の被害が高地移転的なプランの後押しになったと番組内では編集されています。プロジェクト発表時、設計者の津端氏36歳。おおむねこれくらいの年齢の人々が各地のニュータウンプロジェクトに関わっていた中心的年齢と考え、高度成長期を人生の壮年期にたとえるなら「若いときの設計」は人と社会とにリンクしています。
2010年高蔵寺ニュータウンのデータでは65歳以上高齢化率 22.1%。同年の多摩ニュータウンでは人口21万人、高齢化率 16%。2014年10月内閣府発表 日本の高齢化率は26%(人口1.27億)。データのタイムラグが多少あるにせよおおむね高齢化、孤独死、空家問題などはニュータウンに限らずでもあり。。
それではなぜニュータウンが老いてから住みにくいのか。
ニュータウンも限界集落に向かっている?「ニュータウン」=ベッドタウンという街が、時代の変化で有効ではなくなった。。。
3月25日 3:05
ところでこのスレのきっかけになった番組「人生フルーツ」は、スローライフと高齢者の生きかたにスポットをあてる一方でニュータウン設計者自身が住んでライフスタイルの提案を実践しているところに焦点をあてた追悼番組的なものでした。設計者は高齢期の終の棲家、街という視点を大いに意識していたと思うのですが、必ずしもすべての人に当てはまらない。「食は命」とコンビニで買い物をしない生き方は誰もが可能ではないし、誰もが土地を持ちスローライフの半自給自足的生活を送れるわけではない。誰もが健常であるわけではないし自由に自身で移動できる健常期は人それぞれ。坂の多い丘陵地でバスしかない移動インフラは住民が少なくなるとそれすらなくなってしまう。しかし安価な家賃の公団住宅、低所得高齢者は住みにくくても住まざるを得ないという現実。。
3月25日 3:06
3月18日 19:16
もとからある地形を活かした街、住民一人ひとりが里山を作る実験、高蔵寺ニュータウン。
94年5月~97年5月の3年間住みました。当然坂道が多く雪の凍った日には駅まで行くのに苦労しましたが、ハーブガーデンにした庭では大量のアーティチョークが収穫できたり懐かしい思い出。
弟アンドリューが大学でお世話になった津端先生夫婦の高齢の素敵な夫婦の物語の予告編が紹介されてました。
90才建築家夫婦の物語「人生フルーツ」3/20(日)16:00~東海テレビで(津端修一氏は昨年亡くなられました)