2016年4月4日月曜日

day #21252: 160310 今日の耳より脱線

■今日の耳より脱線■ day #20252: 160310
すっぴん/浦沢直樹/漫画の空間展示/名古屋造形大学卒展/すごいもの競争/4年間の過ごし方


すっぴん、今日も漫画家のゲストでつい聞き入ってしまう。
浦沢さん、面識無いが誕生日が同じボブ好きというだけで親近感。浦沢さんといえば'80代はスピリッツの愛読者だったのでYAWARAは見ていたが、先日テレビで放送されてた世田谷文学館初個展展示ドキュメントがマンガの空間展示について興味深かった。
というのも同じ頃開かれていた大学の卒展展示で「コースによって自身がオーディエンス目線で入っていけないのはなぜか?」について考えていたからだ。

今年の卒業予定出品者は自身、全コース対象の選択演習講座も持っていた頃の人々なので多くの面識ある彼女、彼らが4年間でどんな変身をしているのかに興味を持って全コースゆっくり見ようと思ったのだが、コースによってはインスタレーション(展示)の段階で、まことに申し訳ないが、見ようとする気構えが少々なえてしまった。なんでも屋の自分としては建築もプロダクト、グラフィックもマンガ、アニメ、イラストレーションも陶芸、アートもすべて深く興味対象の守備範囲であるのだが。
もちろん紙、雑誌メディアがフィールドのマンガコースや、動画・映像メディアがフィールドのアニメーションコースの展示プレゼンテーションが絵画、彫刻を主とする近代美術の箱として作られた美術館空間に展示することはもともと無理があるのは理解できる。
マンガ、アニメとも時間に関わる表現なので、美術館空間で自分の都合よい見方で観ようとすると苦痛である。(クラシックコンサートの会場で音を発せずじっと座って聴き入らなければならないほどではないが。)マンガはひとりの時間、寝そべってだらだらとした時間の中でで読みたいときに読みたい、と思ったりするのだ。
展示ではキャラクターの立て看板などでのアピールがあるもののマンガ自体ははあくまで雑誌形態をとって置いてあって手にとって中を見なければ作品に出会えない。イラストレーションデザインコースの展示が空間を使ったアピールが高いものが多いためその対比の中でよりそう感じたのかもしれないし、それが意図的だったのかもしれない。
整然と並んだ液晶モニターや空間を区切った劇場的上映。アニメーションはマンガと結びつきが多いが、けっしてテレビや映画のようなフレームの中だけの表現ではない。
こういったことが他コースの展示に比べて個々の作品の世界に入っていきにくさを感じた原因か。

しかし、美術館空間での見せ方重視の展示にしようとすれば、本来の各メディア内部にある表現が軽減されることもまた否めない。実際4年間の中で体験する各コース固有の深さに到達する高みの余剰として、美術館展示の部分にはそれほど注力されてないのかもしれない。

などと考えていた時なので、世田谷文学館での浦沢直樹個展展示にはマンガの空間展示に何らかのヒントを感じた。巨匠の個展として広い空間を占有することができるでない卒展と同列に見ることは無理があるが、マンガを空間的に見せるという方法の一つとして参考になるのではないか。



ところで卒展とは誰に向けてどういう目的で行うかということをあらためて考える。


名古屋造形大学2015年度卒展より 彫刻コース 野口直人作品


 画像は今年度の「卒展について」の問題作、野口直人作。コンクリートが鋳込まれていない空洞の型枠。
彼の作品を断片的にしか見ていないが少なくとも数か月前のコース展ではこのようなコンセプチュアルな作品ではまったくなかった。(タイトルを見る限りコンセプチャルという意識もないようだ)「卒展でいきなり今までとまったく異なったことを発表することはどうなの?」という声が一般的だろう。
しかしこの迷いのない潔さは何だろう。
『オーディエンスは展覧会に4年間の作者の成果の道筋にそった何かを見に行くのか?作者ではなく、1点の作品そのものが発する何かに出会いを求めるのか?』
~ 2016年3月11日 12:31


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参考情報出典:

世田谷文学館での「浦沢直樹展」展示
http://www.spoon-tamago.com/2016/04/18/walk-through-the-world-of-manga-artist-naoki-urasawa/