2016年4月26日火曜日

ラテックスの木目 ~2016年3月のわすれがたみ 「信用」~

伊藤千帆展 「音のない風景」 ギャラリー ラウラ 2016/3/15-26 展示より(部分)


ラテックスと木目の効いた板材というと、僕などは彦坂尚嘉氏の「フロアーイベント」や「史律によるプラクティス」などをすぐ連想する世代だが。
しかし、この作品の伊藤千帆さんは立体、サイトスペシフィックインスタレーションを表現の軸にしていて、絵画的問題意識としての「表面」としてのラテックス使用とは異なるようだ。
僕が初めて大学で彼女に出会った20年近く前からラテックスと木を彼女はずっと使用している。
近年の発表で見られる木(板)をラテックスで転写する技術は職人芸の域に近づいている。
細胞膜のアナロジーのようなものとして使用している。とかつて本人から聞いた気がする。
自然光の入らない地下室のようなギャラリー空間での個展が多かった作品は、今回、さんさんと日を浴びて明快にそれぞれの要素関係を主張しているように見える。
板から転写されたラテックスの皮はトリッキーな表現ではあるが、それが目的ではないように見える。

伊藤千帆展 「音のない風景」 ギャラリー ラウラ 2016/3/15-26 展示より(部分)


FB友達、沖さんからのリンクの説明ビデオを見ていて、そこに出てくる「鋳型」「転写」という概念がこの作品を再び連想させた。

「DNA二本鎖を切断してゲノム配列の任意の場所を削除、置換、挿入することができる新しい遺伝子改変技術 特集:CRISPR-Cas9 とは」
http://www.cosmobio.co.jp/product/detail/crispr-cas.asp?entry_id=14354




伊藤千帆展 「音のない風景」 ギャラリー ラウラ 2016/3/15-26 展示より(部分)


またこんな情報もFBから入ってきた。

「透明なベニヤ板」
http://wired.jp/2016/04/01/transparent-wood/




伊藤千帆展 「音のない風景」 ギャラリー ラウラ 2016/3/15-26 展示より(部分)

一面ガラスのギャラリー空間は、さんさんと日が差し込み、枝、ラテックス、板といったすべての有機物の素材に変化を与え続け静止していない。
とりわけコンサバトリーな空間で、ラテックスのにおいは強烈でストレス120だ。頭痛!
ラテックスの半透明は床に置かれた製材された板から立ち上がったようにも見えるし、ギャラリーの特徴ある曲面の壁から剥がされたように呼応しているようにも見える。
この場所でしかできない素材相互間の関係を見せようとしている構成のようだ。
そういった意味で彼女の作品はサイトスペシフィックなインスタレーションでもある。



伊藤千帆展 「音のない風景」 ギャラリー ラウラ 2016/3/15-26 展示より(部分)

サイトスペシフィックインスタレーションについて考えていたらこんな記事に出会った。
「美術作品を残すということ 計測する作家・毛利悠子インタビュー」
http://bitecho.me/2015/12/10_577.html
同上のFBでのドキュメント
https://www.facebook.com/d.i.p.executive.committee/


科学で重要な「再現性」。環境と作品。。。
「サイトスペシフィックインスタレーションの再現」


伊藤千帆展 「音のない風景」 ギャラリー ラウラ 2016/3/15-26 展示より(部分)


そして、搬出にちょっと立ち会って、インスタレーションの「仮設性」について考えていたら


FB友達の高橋さんが名古屋城木造復元へものもおす長文の意見書がアップされる。意見書はFB上で意見を求めるが、焦点が絞れない。。
https://www.facebook.com/notes/%E9%AB%98%E6%A9%8B-%E5%92%8C%E7%94%9F/fb%E3%81%8A%E5%8F%8B%E9%81%94%E3%81%AE%E7%9A%86%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%B8%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%9F%8E%E5%A4%A9%E5%AE%88%E6%95%B4%E5%82%99%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E5%B0%91%E3%81%97%E6%99%82%E9%96%93%E3%82%92%E3%81%A8%E3%81%A3%E3%81%A6%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%8B%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6%E7%A7%81%E3%81%AB%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%92%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%A8%E5%A4%A7%E5%A4%89%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%8C%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%A7%E3%81%99-%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%91%EF%BC%96%EF%BC%90%EF%BC%93%EF%BC%92%EF%BC%90-fb%E8%A8%98-%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%92%8C/745908858878569

ただ、その文中より気になるフレーズに反応

「・・・伊勢神宮20年、法隆寺1300年、・・・」


伊藤千帆展 「音のない風景」 ギャラリー ラウラ 2016/3/15-26 展示より(部分)


資源の少ないこの島では「スクラップ&ビルド」という経済システムを文化システムに組み込んだ。
20年ごとの遷宮(スクラップ&ビルド)で文化を伝承し木を育て国土を存続させるシステムを作った。
FB友達の粟野さんがブログに記していたように、この経済的理由に保障されたかの「スクラップ&ビルド」は、一方で文化的継承を必要とするものでもいとも簡単に壊してしまう。
戦後建築と戦後再興のシンボル的な丹下健三設計の国立競技場をいとも簡単に、あっという間に、何の躊躇もなく、暴力的破壊力でもって更地に帰す。
まるで合法的に行う、テロの遺跡破壊のようだ。
何よりそのことに対して社会的な声が大きくないという不思議。
同時に耳に残る数年前のいや~な響き、「とーきょー」
ザハ・ハディド氏がとばっちりを喰い、矢面に立たされ、命まで消耗した陰で、丹下健三の国立競技場なんて存在しなかったように忘却の彼方に追いやられる。巨大ショッピングセンターの為に造成された郊外の風景が、歴史ある街の中心にも出現し、スーパーフラットな風景に均されるように見える。



伊藤千帆展 「音のない風景」 ギャラリー ラウラ 2016/3/15-26 展示より


襖と障子を取っ払ってしまえば内部と外部がなくなる木と紙でできた建物。
「仮設性」はこの島国の特徴だ。
本当にそうか?今どきRCコンクリのマンションが主で、室町以降、土壁による内部空間もできたではないか。それでも紙のように食い千切る「スクラップ&ビルド」

「産業遺構」、「震災遺構」。。
生きながらえる状態が文化として残る。



「生きながらえる状態」について考えていたら、バンクシーにぶつかった。

ドキュメント映画が公開されるという、その予告編を見た。
街の壁にゲリラ的にマーキングされるバンクシーの作品(?)はサイトスペシフィックアートか? 

https://www.youtube.com/watch?v=Afi45gW5oEc

http://www.uplink.co.jp/banksydoesny/

ゲリラ的に街中や美術館にマーキングするバンクシー。
インスタグラムでマーキングを事後報告するその行為はテロリストの犯行声明に似ている。
マーキングされた作品(?)はその場所での意味と、ドキュメントな社会的事件の現場とリンクして場所的な意味付けと時代的な意味付けを内包する。(あるいは無効にする)
他人あるいは公共財産にマーキングするその行為は、資本主義的な、民主主義的な、社会での財産(=信用)についてゆさぶりをかける。
マーキングされたスラムの壁は反芸術信者たちの聖地になる。その壁を切り取って、余白や背景から切り離されたスプレイペイントは、オークションに出品され高額な値段がつく。反芸術の信者たちは切り取られた壁を元の場所に戻せと叫ぶ。
かつて、落書きやゴミが「美術館」にインスタレートされ「芸術」になった「時」があった。
今、街の中の「芸術」は背景から切り取られ「美術館」に入って、ただのスプレイペイントというガラクタになる。
無芸術のオーディエンスは「信用」の存続を信仰する。

「芸術」が「芸術」でいられる時。
ガラスコップがガラスコップでいられる時。


伊藤千帆展 「音のない風景」 ギャラリー ラウラ 2016/3/15-26 展示より 西日


ところで、僕は大学授業外の余白で彼女にアドバイスなどした記憶があるが、授業を受け持ったことはない。そのことを彼女は数年前まで(あるいは去年も)覚えていたと思う。
今回、いつものようにその話をすると、彼女は驚いてショックを隠せない。彼女は僕の授業を受けたと思っていたのだ。それもずっと以前から。。。記憶が書き換えられている。
記憶が書き換えられるのはどれくらいの年月が必要か。大学での非常勤は97年春からだから、今年でちょうど20年目。彼女に参加出品を持ちかけた企画展「瀬戸 みちの美術館」は前世紀の1998年。
彼女の表現から漂う雰囲気は当時から変わりがない。落ち着きのない僕にはできない芸当である。