2016年5月4日水曜日

「荒野の修行 隠遁生活」 同時代の絵画 雪舟とレオナルド

洋の東西で似たような絵画が描かれた

修行する達磨、修行する聖ヒエロニムス
みずからを石で打つヒエロニムス、みずからの左腕を切断する慧可
ライオンと達磨

『慧可断臂図』 雪舟等楊筆 室町時代 明応5(1496)年 愛知・齊年寺

情報出典:
http://intojapanwaraku.com/2300

引用>
禅の画題として有名なこの絵は、坐禅する達磨に向かって、神光(のちの慧可)が弟子になるためにみずからの左腕を切断する場面が描かれている。画聖・雪舟(せっしゅう)77歳の大作。
国宝『慧可断臂図(えかだんぴず)』 雪舟等楊筆 明応5(1496)年 愛知・齊年寺 
※5月3日~22日展示


『聖ヒエロニムス』 レオナルド・ダ・ヴィンチ 1480~1482年頃 Rome, Pinacoteca Vaticana



情報出典:
http://ameblo.jp/davinci-codex/entry-11170527576.html

引用>
ヴァチカン美術館の絵画館(Pinacoteca)第9室
ヒエロニムスは340年頃にダルマティアで生まれた神学者で、重病にかかったことがきっかけで、神学の研究に生涯をささげることを決意し、シリアの砂漠で隠遁生活を送ってヘブライ語を学んだ。その後 ローマ滞在中にラテン語訳聖書の決定版を生み出すべく、全聖書の翻訳事業にとりかかった。この聖書が中世から20世紀の第2バチカン公会議にいたるまでカトリックのスタンダードであり続けた「ウルガータ」訳聖書となる。
384年に書かれた書簡の中で、聖ヒエロニムスはこう綴っている。
「私のそばにはサソリと野獣しかいませんが、時折私は可愛い少女たちに囲まれているように感じ、凍って瀕死状態にある私の肉体の中に欲望の炎が燃え上がります。そのために私は泣き続け、厄介な肉体を何週間も飢えさせているのです。私は主が心の平成を復活させてくれるまで、しばしば朝から晩まで胸を叩き続けています。自分に対する怒りと厳しさのために、さらなる荒野へと突き進んで行きます。渓谷やごつごつした山や険しい崖を見つけると、跪いて祈り、私の罪深い肉体に対する天罰としてそこへ向かいます。」 
レオナルドはこの場面を端的に描いており、やつれた聖ヒエロニムスの心臓のあたりが内出血したように黒ずみ、右手には石を持っている。右下にいるのは、聖ヒエロニムスがかつて足の棘を抜いて助けたライオンである。
当時のフィレンツェではライオンが飼われていて、シニョリーア広場で狩のイベント等が行われていた。レオナルドの解剖手稿には「かつて私はライオンがどのように子羊を食らうかを見たことがある。フィレンツェでのことで、そこには常時25から30頭のライオンが飼われていた。ライオンは2~3回舐め回すことによって子羊の体を覆っている毛皮をすっかり剥がしてしまい、こうして丸裸にした後で食べるのである。」と書かれており、実物を観察した上で描いたことが推測される。 
この作品が未完成となった原因は、次の「東方三博士の礼拝(マギの礼拝:これもまた未完成のまま放置されてしまうのだが…)」の制作依頼が来たためとも言われている。
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聖ヒエロニムス 情報出典:
http://www.louvre.fr/jp/oeuvre-notices/%E3%80%8A%E8%81%96%E3%83%92%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%80%8B

引用>
「聖ヒエロニムス(347-420年)は、西方カトリック教会の四大博士の一人である。ヴェーネト地方で生まれ、ローマで学び、聖ダマスス法王の命で、ヘブライ語の原書を基にした聖書と、70人訳聖書のギリシア語版の、ラテン語への翻訳を担った。彼の翻訳したものは『ウルガタ』と呼ばれる。ヤコブス・デ・ウォラーギネの『黄金伝説』によると、ある日聖ヒエロニムスが彼の修道院の修道士に聖書を説いていると、傷ついたライオンが現れ、その傷ついた足を聖ヒエロニムスが治してやったという。この挿話は、ヒエロニムスに名前がよく似た、5世紀のパレスチナの隠修道士、聖ゲラシムスの人生から借用されたものである。」