2018年1月16日火曜日

肺とスポンジ






知人が肺を四分の一切除するというのを聞いて、かかりつけの医者に問うてみた。

「知人が肺を四分の一切除するのですが、肺を四分の一切除するのと、肺胞が四分の一死んでいて機能してないのとは同じような状態ですか?」

「いやそんなことはない。肺胞が四分の一死んでるあんたの方がはるかに重症だ。肺は四分の一無くなっても、ほかの部分が補って代行するようにできている。切除した部分以外が健常ならば問題はない。しかし、死んでしまった肺胞は元には戻らない不可逆的な症状だ。」







肺について思い描くイメージは空洞の中に木の根っこのような気管支やひげ根のような肺胞が浮いているというイメージだ。多分そのイメージは小学校の授業でやったフナの解剖の時に見た浮袋と、レントゲンフィルムで見る黒い空洞にひげ根のイメージ。




「肺というのは、まあ、言ってみればスポンジのようなものですね。」

スポンジと聞いてまず浮かぶのは紫外線による劣化である。スポンジ構造とは多孔質のことだと推測できるが、実際にアクチャルに実見するスポンジとは大半がウレタンスポンジである。彫刻や精密機器の梱包を保護する緩衝材としてのそれであるが、PS(ポリスチレン樹脂)の容器に入れて窓辺に置いておいたものが、容器自体の破損と同時に内部に大量に入れて置いたスポンジが粉体状に砕けているのを見つけてショックを受けた。
この時の粉砕がメタファーとして肺胞の死滅に直結して恐怖を覚えた。
「空洞の天井からぶら下がった木の根っこ」という肺のイメージが次元の異なるビジュアルに変質したのである。



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