2018年1月25日木曜日

記憶の人人:岩田信一さん


僕は存命中、一度だけ岩田信一さんにお会いしたことがある。

きっかけは岩田さんの友人であり、僕が行きつけの勝川の銭湯のおかみさんからの話からだった。
このおかみさんも、桜画廊で展覧会をしたことがあるという人で、まあ、その話はまたの機会にするとして、

「信ちゃんが、機械仕掛けのことで相談したいと言ってるので、会ってくれない?」というものだった。

名古屋ビエンナーレ、アーテックのアペルト展の搬入作業をしていた時なので1992年春のことだと思う。
名古屋市科学館の会場で、作品の設営作業をしているところに岩田さんがやってきた。

僕にとって名古屋は当時住み始めて12年目だったが、アウエーな地でもあり、岩田さんがどういう人かは存じ上げなかった。
銭湯のおかみさんからは、ゼロ次元とかゴミ裁判とかの話を間接的に聞いたが、当時の僕は大阪でSLを追っかけている健康不良少年だったので前衛運動とかの知見は全くなかったといってよい。


確か相談の内容は「生首がベルトコンベアーにのって動く」舞台美術のようなものだった気がする。

結局その場で









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岩田信一さんのオーラルヒストリー。

http://www.oralarthistory.org/archives/iwata_shinichi/interview_01.php