<ぼくちゃんの疑問>
『ねぇ、ママ 1回かかっても、またかかるとか、何回もかかるっていうのは、いわゆるふつうのカゼと同じじゃないの? なぜみんなそんなあたりまえのことにきづかないの?』
『そうねぇ、ぼうや、落ち着いて考えたらおかしなことだとみんな気づくはずなのに不思議ねぇ。』
『 むすこよ、お前にはまだ難しいかもしれんが、Fake news とわかっていても、世の中がそちらに動き出せば、その架空の物語に沿って行動しなけりゃ経済的恩恵も受けられず、生きてゆくことさえできなくなるのさ。父さんも、フェイクとわかっていても生きていくために給付金の申請をしてお金を受け取ってしまった。だから、今になってはもう無いとは言えないんだ。ないことを証明することはあることを証明するより難しいのさ。大きくなったらおまえにもわかる。』
『どおして?! どおして「王様は裸だ!」 って言ったらいけないの?!』
『それが物事が成立するということだよ。』
『文明とは物事が成立したことによって成り立っている。
そして、成立したものが歴史というのだよ』
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"Breath" 1999 kiminari Hashimoto |
<老師との会話>
「まあ、よく考えてみなさい。仮に『95%超の効果』と宣伝されている薬を体内に入れたとしよう。それで君は症状が回復した。めでたしめでたしというわけだ。
しかし一方で、薬を体内入れなかった場合でも数日で症状が回復したとしたらどうだろう。薬を投与して回復したのか、自身の免疫力によって回復したのか。
一方の方法を選択すると、もう一方を選択することができない。未来に起こる結果を今選択できないんだよ。
その時、君はその効果を薬によるものだと判断できるのかということだよ。
シュレディンガーの猫のような実験だね。それも全世界で実践する猫実験。
つまりだ、国民がすべて薬を入れてしまった状態が作られて感染が収まった時、君はもはや薬による感染の終息か、人々があらかじめ自身の体内に持っている自己治癒力による終息か、つまりメディアによって宣伝されていたほどの重篤な感染「病」の実態があったのかどうかということさへも 誰も証明できなくなる。
かなり時間がたっているんだけれど、私たちはみなメディアによる情報でしかいまだにその病気を知らないんだ。
二進法のバイナリーディジットの世界では電子が一個あるか、ないかで世界は認識できると考えられてたけど、「一コの場所にいろんな状態で存在できる量子によるコンピュータ(=量子コンピュータ)ではシュレディンガーの猫状態」注① なんだから、まったく別の世界が同時に存在してるということをこれほどまでに実感を持って感じたことはなかったよ。
」
「つまり老師は、今、この時も新しい感染病の脅威にさらされている状態と、まったくそんなものが存在していない状態という正反対の世界が同時に存在している<シュレディンガーの猫状態>だとおっしゃりたいんですか!?」
「物事が成立するということは、素晴らしく素敵な出来事でもあるし、ある意味本当に恐ろしいことだねえ。」
<大神少年テレビと裸の王様>
世の中では大変なことが起こっている。「たいへんだー!たいへんだー!」と大神少年が叫んでいる。テレビの中だけの出来事だったのが、今では見てる人々の頭を攻撃して、すっかり世の中は「大変だー!時代」になってしまった。
僕は生きているうちに、これも伝聞でしか知らないんだが、戦時中のような言論統制、言論封鎖、行動制限のような、おかみが民の行動をどうこうすることを体験できるとは思わなかったよ。放送局、新聞社が大声で叫んでることはあの頃と変わらないようなんだけれど、「おかみ」「大神少年」「王様」「王様は裸だと言った少年」の主体や関係が、童話時代とは大きく異なるんだ。
大統領は4年前から一生懸命、何度も何度も
「王様は裸だ!王様は裸だ!」
と叫んでいたんだが、この時の「王様」というのは現代の民主主義的共同体運営社会では「民」のことなんだということにみんな気づいていないということが悲劇的なことだったんだ。
しかしよくよく考えれば赤子でもわかるように、私たちは自由気ままに生きられるわけはなく、生き物として誕生してからあらゆる不自由を背負わされている。
「生きてゆくのは大変なことやなぁ」というのは八十を過ぎた母の口癖なんだけれど、生きる活動と書く「生活」を継続して実践しようとすることは、本当に大変なことなんだ。君はまだ二十代前半だから老いぼれが何を言ってるとはなで笑ってるだろうが、実際君も大きなけがをしたりしてひと月くらい寝たきりになってみればわかるよ。筋力が衰えるということは日常的な最低限度の行動、例えば起き上がってトイレに行って用を足すとか、食事をするために噛むとか、普段当たり前のように感じることもなく行ってる行為が、改めて大変な筋力と酸素を必要とする行いなんだということが。僕は父の最期の三か月を付き添って、本当によくわかったよ。というのもこの時からすでに自身の身体に起こっていたことである異変、その時は機能不全によるものと考えず、もっぱら運動不足の生活習慣病としか思ってなかったんだが、今は身をもって体験している。
ついつい生活習慣病と言ってしまったが、そもそも「病」というものは多かれ少なかれ生活の習慣に原因がある生体反応であるのだから、同語反復、当たり前のことを言っているにすぎないんだ。
この当たり前のような事実、いくら個人の脳みその範囲で考えたり、好き嫌いを言ったり、「いやだー!」とか叫んで駄々をこねても、どうしようもないことがあることは誰もが分かっている。それが個体の肉体の「死」という現象なんだけれど、今起こってるおかしなこともこの当たり前のようなヒト個体にとって避けられない前提を恐怖によって人質に取られた脳みそが感染してる状態なんだ。
そう、君も感じてるけど補助金や上司の目を意識して口に出せないことはわかっている。
ばかげたことと言ってしまっては亡くなる方には申し訳ないが、ヒト個体は高齢になって生命維持できなくなった器官の老化、劣化によって死ぬし、病気にかかっている人(基礎疾患がある人)の方が健康な人より死ぬリスクが高い。このことは今、騒動になっている<感染>という現象について放送局が強調して煽っていることなんだけど、このこともまた当たり前のことを言ってるに過ぎないよねぇ。
そして、この病を規定している特別な症状や後遺症など報道されてるけど、僕の周りではどこにも見当たらないんだよ。
いや、見当たらないっていうのはちょっと違うな。味覚障害や倦怠感、咳、のどの痛みとかって所謂一般的な風邪をひいた時起こる症状なんだけど、新しい名前を付けられた病に「感染した人」が言ってることはこれと同じことを言っていて、もっともらしい語り口でテレビに登場するんだけど僕には何を言ってるかよくわかんないんだよね。
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