2021年10月19日火曜日

211019 : ムーミンコミックス展を見に行って、改めて原画とメディアについて考えた。

 




10/19/2021:  名古屋市博物館で開催中のムーミンコミックス展を見に行く。

トーベ・ヤンソンさんの原画の小ささにほんとに驚いた。

その驚きはダ・ビンチ先生の大量の手稿を見た時の驚きにも感じたものだった。

印刷複製技術が発展した現代において、私たち多くの観客は現物を見る前にまず画集などの本など印刷物で、現物を見る前にイメージが大脳に刷り込まれている。特にネットが発展した情報社会では、メディア画像によって反射光イメージでなくRGBの透過光によってイメージが刷り込まれる。(紙に印刷された反射光で本を読む・見る時と、携帯画面やPCモニターなどから透過光イメージを見る・読む時とでは脳の反応する部分が異なるという説を以前読んだことがあるが、それはまた別の話。)


デザインアートソースとしてなじみのあるスナフキンのイラストは版権元よりデータでライセンス契約しているカンパニーに使用許諾されて、そのなじみのイラストをプリント柄で使用したこともあるのだが、その原画を見たことのない者にとって商品サイズから割り出した任意の大きさでの使用と、原画を見た時とのずれは「こんなに小さい!」と、本当に驚きだった。

そのペン画は修正のホワイト入れもなく、確信的な線で描かれ、まるでエッチング版画のようである。「エッチング版画?」とつぶやいて、あらためて気づいた。コミックの原画=版下もエッチングも複数印刷にかかわる表現ということで共通しているから当たり前のことなのだ。と。そう考えるとダ・ビンチ先生も「いずれ出版を考えてた」ということを何かで読んだことがある。そしてそれらはできあがりの印刷物に近い大きさで作られる。

上画像のスナフキンの原画にはトーベさん自身の鉛筆書きによる指示メモで82%と書かれている。

コンピューターモニターからの透過光による視覚が当たり前のようになって、データとして画面の中で自由に拡大縮小できるデザインワークが一般的な時代には、スケール感が希薄になる。


原画とメディアの関係。こう考えると北斎の浮世絵版画などは、原画が版木に糊付けされ版木と一緒に彫りこまれることにより原画というものが存在しない。というより印刷工程の中で原画が消滅する。

(つづく)