2022年3月10日木曜日

220310 かんなぎ

 



鳥の名にはいくつか「巫」という字が見受けられる。
いくつかといっても今のところ見つけたのは二つなんだけれど。

ミコアイサは「巫女秋沙」と漢字では書くらしい。オスの白装束のようなイメージが巫女さんを連想させるからついたともいわれている。しかし巫女というと人間界では女を指すのだが、水鳥のミコアイサがその装束からついた名だとするとそのイメージしている鳥は♂なのだ。
アオジは漢字で書くと「青鵐」とか「蒿鵐」「蒿雀」 ヨモギあるいは青にしとどと書いてアオジ。この「しとど=鵐」という字にも「巫」が入っている。

鳥の名前の漢字表記を見ていて「巫」が使われている字が立て続けに二個出ていたことと、そしてこの「巫=かんなぎ」を意味するのは女で、男のかんなぎには別の字があてられていること。男と女で別の字があてられている。そう見ていくとオシドリはオスとメスで異なる字があてられている。男と女は別々の生き物、存在としてそれぞれに字があてられる。このことに日本でのジェンダー意識、そもそも西欧でいう「ジェンダー」というくくりとか自体に、そのこと自体、異なるパラダイムでの宗教観?いや世界観が日本では潜んでいるのではないか?という仮説が浮かんだ。

この二つのテーマがこの稿で考えた事なんだ。
漢字が志那より伝わったことから日本でなく東アジア地域に共通する?いやそれもちょっと違うような気がする。というか志那にあったその世界観は国、支配民族が変わっていったことでなくなっていった世界観が日本で変わらず残ったか。


かんなぎの役割を担っている「巫」は女性のことを指しているいるという。

巫(ふ、かんなぎ)は、巫覡(ふげき)とも言い、神を祀り神に仕え、神意を世俗の人々に伝えることを役割とする人々を指す。女性は「巫」、男性の場合は「覡」、「祝」と云った。
男の同じ役割のものには「巫」+「見」で「覡」。神おろしを行うのは女の「巫」でそれを見ている男。あるいは神おろしを「祝」う立場としての男。ということか?








鴛鴦(えんおう)オシドリのオスとメスにはそれぞれの字があてられている。
別々の字があてられて、その種がオスとメス一組で一つといった乱暴なくくりでなく、別々の種を表しているように思えるんだ。





















物語


「自分の物語は自分で書くもんじゃない。他人が書くもんだ。そうは思わないかい?」

「老師、それは近代個人主義を否定するということですか?」

「近代個人主義なんてへにもならんよ。みんながめいめいじぶんのかみさまをしんじているってやつだろう。」

「それじゃ全体主義というやつですか?」

「そんなことを言ってるんじゃないんだ。そもそも全体とか個とかそういったくくり方自体が無意味なんだ。」




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