2024年2月12日月曜日

240211 「機能するアッサンブラージュ」と「パッケージ」について

 #機能するアッサンブラージュ*

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*アッサンブラージュ
アッサンブラージュ(アセンブリッジ、英語:Assemblage)とは、コラージュやパピエ・コレの立体版、すなわち、「立体的なもの」を寄せ集め、積み上げる、貼り付ける、結び付けるなどの方法により制作された美術作品(立体作品)およびその技法。「アサンブラージュ」と表記されることもある。wiki


追記 240212 ---------
「機能するアッサンブラージュ」という時、その言葉は大きな矛盾をはらんでると同時に、新しい創造的な行為ではなく、やりつくされた予定調和のデザイン的行為でもある。
テーマなりアイデアがまず先にあって、それに肉付けてゆくのはデザインである。帰納法的な行為である。ゆえにアイデアのままほこりをかぶって10年が過ぎる。出会いの初めに戻ろう。

・分解したカメラの部品にシャッターがついたレンズを見つけた。
・たまたまその部品がちょうどはまる自作陶器の器があった。
関係ない二つのものがたまたま出会った。という発想は何十年も前のシュルレアリズムのアイデアである。「オブジェ(仏)」という概念が芸術分野の「新しい」ありかたとして登場したのもその延長線上のことだ。主体、主題を意味する「サブジェクト(英)」に対する「オブジェクト(英)」。日常の意味がはぎとられ投げ出されたものが「オブジェクト」である。アッサンブラージュの素材であるオブジェ(対象,客体)に機能を求めればそれは反覆反覆を繰り返してサブジェクトに戻る。



話を自作陶器に戻せば、それは自作といってもその形状は自分が創作したものではない。家電か何かを輸送中破損しないよう箱の中で固定するために使われていた発泡スチロールの緩衝材を型取りしたものから作った陶器である。話がどんどん脱線するが、手起こしで陶器を作っていたのは80年代末~90年代初頭、友人たちと窯焚きをしていた頃である。
何故そんなものを陶器で作ろうとしたかを思い出せば久世健二氏の「パッケージシリーズ」という名前を聞いたことにある。氏の「パッケージ」というコンセプトは勘違いかもしれないが、私はこう記憶している。ボリューミーな大型陶器というものがムク(solid ソリッド)な状態では爆発するため、内部を空洞にする。内部に空洞を抱えた表面を、空洞の「パッケージ」と捉えた。
陶器という字に「器」が入ってることも、必ずしも道具としての器ということに限らず「空洞」という意味が内包されてると私は思っている。土の塊を落下させてできた行為の痕跡のようなものが久世氏のパッケージであったが、私は家電のパッケージの中に存在した緩衝材を型取り、緩衝するものが不在になった跡の形状を型取り何重にも反転した不在と実在の象徴としてパッケージと捉えた。いろんな家電の緩衝材の形状に興味を持った私はそれを捨てずにコレクションしていた。
 しかしもう一つ別の意味で「パッケージ」を捉えたのは、ICチップのパッケージがシリコンやセラミックで陶磁器と関係が深かったことにも関連している。私の陶器製の立体はICチップを拡大したパッケージシリーズというものにも展開していった。ICチップを大きく拡大するなんてことは、ICチップが小さく小さく技術進歩していった流れと逆行する。
(途中つづく)


2014  機能するアッサンブラージュ