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2024年2月12日月曜日

240211 「機能するアッサンブラージュ」と「パッケージ」について

 #機能するアッサンブラージュ*

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*アッサンブラージュ
アッサンブラージュ(アセンブリッジ、英語:Assemblage)とは、コラージュやパピエ・コレの立体版、すなわち、「立体的なもの」を寄せ集め、積み上げる、貼り付ける、結び付けるなどの方法により制作された美術作品(立体作品)およびその技法。「アサンブラージュ」と表記されることもある。wiki


追記 240212 ---------
「機能するアッサンブラージュ」という時、その言葉は大きな矛盾をはらんでると同時に、新しい創造的な行為ではなく、やりつくされた予定調和のデザイン的行為でもある。
テーマなりアイデアがまず先にあって、それに肉付けてゆくのはデザインである。帰納法的な行為である。ゆえにアイデアのままほこりをかぶって10年が過ぎる。出会いの初めに戻ろう。

・分解したカメラの部品にシャッターがついたレンズを見つけた。
・たまたまその部品がちょうどはまる自作陶器の器があった。
関係ない二つのものがたまたま出会った。という発想は何十年も前のシュルレアリズムのアイデアである。「オブジェ(仏)」という概念が芸術分野の「新しい」ありかたとして登場したのもその延長線上のことだ。主体、主題を意味する「サブジェクト(英)」に対する「オブジェクト(英)」。日常の意味がはぎとられ投げ出されたものが「オブジェクト」である。アッサンブラージュの素材であるオブジェ(対象,客体)に機能を求めればそれは反覆反覆を繰り返してサブジェクトに戻る。



話を自作陶器に戻せば、それは自作といってもその形状は自分が創作したものではない。家電か何かを輸送中破損しないよう箱の中で固定するために使われていた発泡スチロールの緩衝材を型取りしたものから作った陶器である。話がどんどん脱線するが、手起こしで陶器を作っていたのは80年代末~90年代初頭、友人たちと窯焚きをしていた頃である。
何故そんなものを陶器で作ろうとしたかを思い出せば久世健二氏の「パッケージシリーズ」という名前を聞いたことにある。氏の「パッケージ」というコンセプトは勘違いかもしれないが、私はこう記憶している。ボリューミーな大型陶器というものがムク(solid ソリッド)な状態では爆発するため、内部を空洞にする。内部に空洞を抱えた表面を、空洞の「パッケージ」と捉えた。
陶器という字に「器」が入ってることも、必ずしも道具としての器ということに限らず「空洞」という意味が内包されてると私は思っている。土の塊を落下させてできた行為の痕跡のようなものが久世氏のパッケージであったが、私は家電のパッケージの中に存在した緩衝材を型取り、緩衝するものが不在になった跡の形状を型取り何重にも反転した不在と実在の象徴としてパッケージと捉えた。いろんな家電の緩衝材の形状に興味を持った私はそれを捨てずにコレクションしていた。
 しかしもう一つ別の意味で「パッケージ」を捉えたのは、ICチップのパッケージがシリコンやセラミックで陶磁器と関係が深かったことにも関連している。私の陶器製の立体はICチップを拡大したパッケージシリーズというものにも展開していった。ICチップを大きく拡大するなんてことは、ICチップが小さく小さく技術進歩していった流れと逆行する。
(途中つづく)


2014  機能するアッサンブラージュ


2023年4月24日月曜日

230424 蛙目粘土を買いに、からの、土鍋か電気自動車か

1987年頃、赤津



在庫の粘土が少なくなってきたうえに、今年になってやたらと原型の依頼が多く、しばらくなかった15㎝大の大きさのものもいくつか作成依頼があるので、品野の窯業原料屋さんに買いに行った。
最後の大学の授業の時もここで仕入れてたが、木節粘土水簸プレス1枚15kgで¥1,600-、在庫なくなり次第¥2,200-に値上げとのこと。(発送の場合、佐川の送料¥900-)
以前(といっても2015年くらいが最後だからもう7年前になるが)はアトリエ近くの鉱山に直接買いに行って蛙目粘土水簸プレス1枚300円くらいで5-6枚注文で運んでもらっていたが、さすがに一枚買うのに運んでもらうのもなんだし原付で行ったのだが、、、、
値段を見れば5倍~。・・・!






しかし事はもっと深刻で、土鍋の産地、萬古焼の危機につながるのである。




木節粘土・蛙目粘土


 この地方の原型師は、中国・ベトナムのようなワックス入り油土やフィギュア作家のようにオーブンを使うPVC素材のスカルピーなど使わない。陶磁器の型取り素材である石膏との相性や肌理の細かさが精細な彫塑に向くこと、表面仕上げの容易さ、何よりも直感的にサクサク作れることにより木節粘土、蛙目粘土を使用する。
 というわけで原型を作る材料として知った陶器用粘土「木節粘土」「蛙目粘土」。陶器の素地の生成に使われているだけと思っていたが、釉薬作成時にも使用する。よって窯業原料としては粉末でも売っている。
ガエロメネンド=蛙目粘土〈がいろめねんどとも呼ぶ)はカオリナイト鉱物を主成分とする花コウ岩,花コウ斑岩などを母材としてできた風化残留粘土で、粘土に含まれる石英粒子が雨にぬれ,カエルの目のように光るので,この名前が付けられたという。注1
 そしてこの蛙目粘土、萬古焼の土鍋などの耐熱陶器のプロダクトにはキーになる材料として登場する。土の産地→製品の産地であるから当たり前といえば当たり前ではあるが。

 低温の陶器は結構難しいプロダクトであると感じたのは、大陸の工場で生産を委託していた時に何度も経験した貫入や釉薬剥離、シバリング問題。基本的には生地の熱膨張率と釉薬の熱膨張率があってないことによるが、白雲(ドロマイト)や半磁器は本焼成温度が磁器ほど高くないため(釉薬と生地の融点が近いため)原料調合が難しいのだと直感的に感じていたが、温度管理は窯のどこにいれるか場所によっても異なるしその範囲の中で釉と生地の熱膨張率をコントロールするのはかなり繊細な感覚が必要だと思う。磁器などの本焼成が高温のものの方がある意味容易であるのだろう。
愛知県陶磁美術館にもある徳化窯の白磁観音像。宋時代に始まる中国白磁、明・清時代を通じて生産された徳化窯は中国を代表する陶都であるが現在の徳化は陶磁器全ての生産に優れているわけではない。磁器や白雲といった材質や温度の異なる陶磁器の生産で一時代を築いた愛知県瀬戸とはこの点が大きく異なると感じる。現在の徳化、中国福建省泉州市徳化県もまた陶磁器の産地の一つである。しかし、中国での低温の陶器、ドロマイト(白雲)は特に注意である。


土鍋か電気自動車か


 土鍋などは陶器と磁器の中間の半磁器という分類になっているが、食器カテゴリーでの製品に多いため、電子レンジやIH、直火対応など使用環境の過酷な熱環境に耐えなければならない品質が要求される。

土鍋で有名な四日市の萬古焼、昭和34年一部のメーカーではペタライトを陶土に40-50%配合することで低熱膨張性耐熱陶土の開発に成功したという。筆者自身80年代末頃には勤務先で土鍋の絵柄デザインに携わってたので四日市メーカーさんから来た素焼き生地に直接下絵付けしプロトタイプ作成したことを思い出す。(そういえば83年、初めて自身がプロダクトのデザインをした花器も四日市のメーカーさんで生産委託したものだった!ことを思い出したが、これはまた別の話)

ペタライト  Petalite(葉長石)LiAlSi4O10
発見は1800年、1817年この石からリチウム元素が発見される。

耐熱土、耐熱釉の調合に使用されるペタライトは携帯電話や電気自動車などへのリチウムイオン電池の需要で価格が高騰。(2017年¥100-/1kg が2023年には ¥1,000-/1kg に)
四日市にペタライトが入ってこず、一部メーカーはペタライトなしの耐熱陶器開発に向かっているという。
土鍋の生地には木節粘土や蛙目粘土が使用されている。そして蛙目粘土にはペタライトが混じっている。花コウ岩,花コウ斑岩由来の風化残留粘土である蛙目粘土であるから長石が混じってるのは当然といえば当然だ。しかし、ペタライトなしの開発には、あらかじめ蛙目粘土に入っているペタライト分を取り除かねばならない??・・・
 いずれにせよ、昨今の化石燃料燃焼によるCO2排出が目の敵にされ、(というか、排出量売買やゴミ輸出を見ればそのからくりが見える経済覇権争いのためのプロパガンダによって)電気こそがクリーンな未来を保証するというプロパガンダ。
「電気を制する者は世界を制す。」という流れの中、充電電池がキーになっている。


中国企業がアフリカ「リチウム鉱山」買収の背景
政情不安のジンバブエにリスクを取って投資
2022/02/25 22:00


四日市のペタライト輸入先はジンバブエ、ブラジルからという。


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注1 :世界大百科事典 第2版 「蛙目粘土」の意味・わかりやすい解説
がえろめねんど【蛙目粘土】
〈がいろめねんど〉とも呼ぶ。カオリナイト鉱物を主成分とする花コウ岩,花コウ斑岩などを母材としてできた風化残留粘土。
粘土に含まれる石英粒子が雨にぬれ,カエルの目のように光るので,この名前が付けられた。おもに窯業原料として用いられる。
この粘土は,カオリナイト鉱物を主成分とする一次粘土(一次カオリン)であるが,石英,長石,絹雲母を多量に含むものもある。
蛙目粘土中の絹雲母は〈きら〉と呼ばれる。愛知県,岐阜県,三重県などに産する。

 

軟質粘土では亜炭片を含有するものを木節粘土(きぶしねんど)といい,粗粒石英を含有するものを蛙目粘土(がえろめねんど)といって,愛知県を中心に三重県,岐阜県などに産出する。蛙目粘土は粗粒石英を除くために水簸(すいひ)し,水簸粘土として使用される。…

【多治見[市]】より
…市域は土岐川沿いの平地と美濃三河高原の丘陵地よりなる。蛙目(がえろめ)粘土,木節(きぶし)粘土と呼ばれる良質の陶土を産するため,



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関連ログ ------------
MADE IN OCCUPIED JAPAN
2017年12月6日水曜日
day #21141: 151120
2016年1月7日木曜日
About KEWPIE DOLL and SETO NOVELTY
2015年8月15日土曜日
150308【「記述」されたこと、「記述」されぬもの】「愛知ノート」
2015年3月24日火曜日
祖母懐土と蛙目(ガイロメ)の展示写真
140629 「魅惑の陶製人形」展 (愛知県陶磁美術館)
2014年6月29日日曜日
2009年徳化の画像あり
貫入と釉薬剥離 -dolomite production
2013年10月3日木曜日
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2018年2月17日土曜日

Proudly handmade in Sri Lanka


下記リンクはスリランカの陶器メーカーMidayaのホームページです。プロダクトの様々な工程が紹介されています。スリランカには大きな工場は数件しかないので、アウトソーシング無しであらゆる工程を工場の中で行います。創業者は愛知県の瀬戸地方などで研修された方で、安価な中国製品とは競争しないという姿勢で運営されているときっぱりおっしゃっていました。
僕は90年代中頃に、ある医薬品関係のノベルティとして30㎝大のオリジナルキャラクターの人形をこのメーカーで作ったことがあるのですが、5年前の工場訪問時に、当時の見本を発見してすっかり忘れていた記憶に再開し感慨深いものがありました。

 90年代は中国の深圳、東莞などで安価な農民工による労働力を活かし「世界の工場」と呼ばれる時期が始まった時代ですが、その後の労働環境の整備などによって人件費が高騰し、今ではこの地域に残る質の良い陶磁器メーカーはわずかです。そんな状況の中でスリランカのミダヤの姿勢はメーカーとしての覚悟が感じられ尊敬します。僕はその背後には中国、韓国、日本などに浸透している大乗仏教的な態度と、スリランカの生活に密着している上座部仏教のちがいにあるのではと推測します。

Midaya - Proudly handmade in Sri Lanka
http://www.midaya.com/

2018年1月7日日曜日

陶印
















備忘、正月の会話
弟が見つけた父の遺品の陶印について、母を交えて話が弾む。

母、曰く
お父さんは東京に行くたびに銀座の鳩居堂で硯や陶印などを買ってきた。
陶印は、泰山先生のお母さんも作っていて鳩居堂にも卸していた。
弟、曰く
鳩居堂や書道文具について聞いた時のお父さんからの手紙には、泰山先生のところで作っていたという話はなかった。

さて真相は?
HPの略歴を拝見すれば「・・文人としての学を修める。書・詩・陶印・篆刻等をもって、父 祖よりこれを専業とする」とある。
陶印をされてたとなると窯もあったことになるだろう。楽窯のような小さい窯だろうか。
火鉢、あるいは七輪のようなもので焼いたかもしれぬ。
釉を見れば低温酸化焼成の陶器である。白印部を見れば爪楊枝のようなものでつついて彫られているようにも見える。生素地段階での刻印であるようだ。
鈕(ちゅう)と呼ばれる持ち手部分の彫塑は獅子や干支の動物で良くできています。

陶印の再発見は今年の正月の収穫です。
作品やプロダクツの展開のアイデアが浮かびました。






2016年9月22日木曜日

day #21431: 160905 from Yangon to Mandalay, Shwebo



人が横断する
犬が横断する
自転車に乗った人が脇を走る


ほとんど走行車と出会うことのない高速道路
エーヤワディ平原を北へ北へ
時速120kmで約11時間

肩にもっこり骨が浮き出る灰色の牛
頭と足先が黒い山羊の群れ
高い山はほとんど見えず

エーヤワディ川と平行に川をさかのぼる
ヤンゴンからマンダレー、シューボへの旅は
文明の時間を遡る旅?
40年前の映画ならそんなストーリーがあったかもしれないが
そんなに単純なもんじゃない
家は葉っぱでできていても、入口には太陽電池パネル
人々は携帯電話を持っている

雨季になり水が氾濫すれば何もかも流し去ってしまう地で
頑丈な家はかえって無駄な抵抗と
そんな風に考えるかもしれない、と思ったりする
棕櫚の葉っぱの屋根に、葉っぱを編んだパネル
葉っぱでできた高床の家

それでも、棕櫚の木陰、家の前に寝そべる
吸い込まれそうな優しい目をした灰色の牛を見ていると
えもいわれぬ安寧を感じる










ほとんど走行車と出会うことのない高速を走ってると思いだすのは
20世紀末の中国福建省
泉州から福州まで、未完部分のある高速道路を
運転手がフロントガラスに国賓の看板を立て
黒塗りベンツは120km以上でぶっ飛ばす
あの時も、走行する車にほとんど出会わず、前へ前へぶっ飛ばした

雑草の茂った空き地にサーカス小屋のテント
露店ひしめくぬかるんだ道
夜の休憩時間中の工員達、あてもなくブラブラぞろぞろ
裸電球と点滅するLED
懐かしい昭和30年代の生活風景が時速120㎞の空間移動と同居する

そう、あの時は台湾人資本の工場に
ローカル工場の福建人 Xiao Yang を連れて行き勉強させたのだった
生産ラインの作り方、工場のしつらえ、工員たちの動き、等々
スパイというと聞こえが悪いが
台湾系の工場にもローカルな工場にも注文を出していた日本メーカーからすると
二つの柱となるサプライチェーンの道として
教育的意味合いもあった
今ではどちらの工場もなくなってしまったが
陶磁器より設備投資がかからず、技術的にも安易なポリレジンの工場が
雨後の竹の子のように中国沿岸地域あちこちでできていた頃
欧米輸出経験の豊富な台湾系工場とローカルな工場とでは品質管理に大きな隔たりがあったのだ
値は張るが品質の良い広東省の台湾系工場、
安価だが品質管理に難がある福建省のローカル工場
そんな時代だったころのお話





西尾昭貞社長の依頼でミャンマーの陶磁器工場の視察リサーチ。この地で日本国内向けノベルティ陶磁器商品生産は可能か?可能性のある生産拠点はあるか?
通訳は日本に滞在しているモウモウ。
マンダレーからさらに北。シュエーボのホテルで宿泊。シュエーボはミャンマー英雄の故郷の街。ホテルはヤンゴンからの長距離バスのターミナル前。町一番の中心地?ホテル横の小川で朝、沐浴をする人が数人。ただの水浴だろうか?
シュエーボの中心からさらに東に行ったエーヤワディ河の近くに数件の陶器工場がある街に行く。
一軒目はかなり敷地が広い、ザーサイ壺くらいの大きな壺を作っている工場。ちょうどトラックに出来上がった壺をのせて出荷するところに出くわす。壺はそのままトラックに乗せ緩衝材は藁。載せれるだけのせてロープで縛るプリミティブな方法。
トラックの行き先は川の船着き場だろうか?二日後に行くことになるヤンゴンからさらに海の近く、エーヤワディ河下流の陶器産地近くの船着き場近くに大きな壺を野ざらしで置いてある場所に出くわしてそう思った。エーヤワディ河は水運路として機能している。


2016年9月4日 Sheung Wan  arrived YANGON !



2016年9月5日 ceramic village 場所: Shwebo (ミャンマー・ザガイン管区)



2016年5月4日水曜日

made from wooden mold 1990 DEC. 木型による陶の生成


 鋳込み、手オコシに限らず陶器で立体物を生成する場合、石膏型を使用するのが一般的で大量生産には効率的であると理解していました。焼成前の粘土に含まれる水分が石膏に吸収されるという特性を利用した石膏凹型は、形の複製が容易に可能だからです。
しかし粘土の水分を吸収するということを考えれば、石膏に限らず木でも可能です。
そのことを知ったのは常滑の資料館だったかで見た建築用テラコッタの木型に出会ったからです。明治村にあるフランク・ロイド・ライトの帝国ホテル外壁用レリーフタイルだったような気がしますが、記憶があいまいで違うかもしれません。



wooden mold for “package Ⅱ” 1990








 ここに示す木型は当初、大きな壁面レリーフ作品の縮小模型を作って個展で展示しようとしたものです。大きな壁面レリーフは図面を描いて合板などを切り出し、板と粘土顔料焼付+洋箔貼りで木部パネル部は作られています。制作時に図面を作成していたので正確に縮小することが可能でした。
 しかし、大型作品の複製縮小版を作ることに興味がなくなり、むしろ、その縮小サイズで素材を陶に変えて展開することにしたのです。
この時思いついた木型による複製作成は陶による展開と決めたことで、機械的に複製を行うのでなく粘土の可塑性を活かすことによる制作へと展開しました。一つづつ起こされた生成物が異なるよう一回性の印しをそれぞれに彫刻することでした。
 木型は粘土の水分を吸うので、一つ起こすたびにバーナーの火であぶって強制乾燥させます。その結果、凹型の木目がより強調され起こされた粘土には木目がより目立ち、結果、陶であるのに木で作ったようなイリュージョンがその表面に現れます。この効果と粘土の可塑性を活かした一回性の印としてのアドリブカービングが合わさってこのシリーズの土台が生成されました。




"packageⅡ- 008,009,010  (unfinished)" Kiminari Hashimoto /DEC.1990 /stone ware


"package Ⅱ- 001, 002, 003, 004, 005, 006, 007" Kiminari Hashimoto  / 42x28x9 cm each / 1991 / stone ware, brass, aluminium, circuit board  


この時、凹型から10個の陶のベースを作成し、壁面レリーフとして展示可能なように仕上げた7点を1991年の初めての個展で展示しました。3点は陶のベースの状態で今に至ります。
「package」というタイトルはICチップのパッケージからの素材関連と、陶による表現を追求していた金沢美大の先輩でもある久世健二先生が「パッケージシリーズ」と作品シリーズで使っていたことに対する、オマージュでもあります。私なりの「パッケージ」という概念に対する表明でもあったのです。


installation view  1991
installation view ' packageⅡ-007 '

木型のもとになった大型レリーフ(部分)

 この1991年、名古屋での初個展は大型のレリーフ作品と小品数点でしたが「情報と人間」をテーマにした立体イラストレーションといったようなものでした。四角い形状はICチップをイメージし、それを拡大したものです。それに亀裂が入ったり、直接人体のパーツ(それらも陶磁で作られています)が接続されたように表象されています。陶素材によるパーツが多いのはICチップとの相似関係によっています。



1990/12/22 @瀬戸権現山窯
1990/12/27 @瀬戸権現山

 この作品の制作当時は瀬戸の友人、加藤貴幸さん宅で陶器の窯づくりなどに熱中していました。また、陶磁器ノベルティ商品開発の会社でのサラリーマンでもあったので入社後10年で陶磁器に対する知識や経験(主に工場でのプロダクトに関することやプロトタイプの作成)はそれなりに深まってもいきました。石膏の型屋さんが社内にいたこともあり、そこに押しかけての体験など型を使った表現が身近な方法でもあったのです。



2016年4月15日金曜日

160415


2016年4月15日

20年ほど前、自身デザインし石膏原型を作ったビアステインが数年後、偶然見に行った厦門のギフトショーであるメーカーのブースに並んでいてビックリした。発注数が少なかったので、日本以外だったら売って良いよという取り決めは業界内では、よくあることだった。
この映像は中国工場でなくオリジナルのドイツのようですがピューター金具の取付け方は、初めて見ました。呉須イブシ、部分瑠璃釉→本焼き→上絵、ラスター釉といった製造工程がよくわかります。


Science Channe
2016年4月8日
Happy #NationalBeerDay! This is how beer steins are made!

https://www.facebook.com/ScienceChannel/videos/10153725832377917/UzpfSTEwMDAwMjA3ODQ1MTk1NDo5OTkxNjA0ODM0OTY1NTc/

2015年3月24日火曜日

150308【「記述」されたこと、「記述」されぬもの】「愛知ノート」


【「記述」されたこと、「記述」されぬもの】
私の「愛知ノート」~備忘メモ、「記述」されぬもの~
2015/03/08 愛知県陶磁美術館 "AICHI NOTES" 展にて


●学際的観点からの「愛知陶磁」についての「記述」は、ある意味、今までにないプレゼンテーションではあったが。。

●忘れ去られた産地、「猿投古窯」の記述。なぜ衰退し、中世産地、瀬戸へとってかわられたか。<岩崎、高蔵寺、鳴海、黒笹、折戸、東山など現、東郷町から日進市、三好市、名古屋市緑区にかけての「猿投古窯」中心地について>

猿投古窯、岩崎45号窯
猿投古窯、岩崎45号窯
猿投古窯、岩崎45号窯

●780年頃、黒笹7号窯(東郷町)で須恵器や原始灰釉陶器が焼成される。
●東郷町の歴史;奈良、平安時代、猿投山西南麓古窯跡群の中心として栄えた(都に献上する陶器類の生産が、この土地の生業であったと考えられる)についての記述。
●1957年、愛知用水の大規模工事の開始に伴い、沿線の古窯跡が次々と破壊されるのを憂いた本多静雄、名古屋大学の考古学教室が中心となり大規模な発掘調査。
●結果、それまで瀬戸・美濃の中世窯が発生とされていた灰釉陶窯が次々と姿を現し、空白であった奈良~平安期の陶磁史が一気に埋められる大発見となる。

●「猿投古窯」とはどこか?;
猿投山麓周辺の中世瀬戸系の窯と混同されやすく、紛らわしい名称。<名大、澄田教授、楢崎助教授たちは、黒笹の窯跡に立ち「名前をつけないと具合が悪い」ということになり、澄田教授の「まだ後から後から見つかるかもしれんから、広い名前がよかろう、ここから見ると猿投山の頂上が見えている。あそこから西の方と南の方、猿投山西南麓古窯址群としたらどうか。」との提案により略して「猿投古窯」と命名された。しかし、その後の発掘調査により、窯跡の分布は尾張東部から西三河西部であることが判明し、遠く離れた猿投山麓周辺の中世瀬戸系の窯と混同されやすく、紛らわしい結果となったのは否めない。>from wiki
●猿投古窯の特殊性は、地元の原料を用い、朝鮮半島から5世紀半ばに伝えられた須恵器の技術をもって、大陸から舶載される美しい青磁の国産化を図るという、当時の文化・情報・技術の粋を結集したハイテク窯であり、青磁を模索する過程において、本邦初の高火度施釉陶器・猿投白瓷(さなげしらし:灰釉陶器)を産み出した点である。from wiki
●確かに2点の展示物はあったが、カタログにも「猿投」と書かれているだけで、地名と歴史的産地の誤解、混同をあたえるのではないか。
●愛知用水ルート知多半島から瀬戸へとつながる台地に区切られた東海湖東部=猿投古窯。
●造成で掘り返すと白い粘土層がでてくる、地名に残る「白土」(東郷町)。猿投古窯の中心地での窯業原料産地?「祖母懐」の土はあっても「白土」の土サンプルはない。

祖母懐土と蛙目(ガイロメ)

●地形と技術(猿投古窯);高低差を利用した当時最新ハイテクの窖窯(穴窯)5世紀古墳時代、朝鮮半島百済帰化人とともに須恵器の技術が穴窯と同時に伝わる。
●瀬戸、常滑、高浜といった現在につながる産地中心の記述。

●人の移動;有田からの磁器技術はよく知られるが、他産地からの職人の移動、流通について。
●三階常設で出くわしたなじみある「ひだりうま」の図柄、相馬焼。双葉郡浪江町の焼き物。
●他産地からの職人の移動、流通について;農業との兼業、出稼ぎ、国内流通。知人先祖は会津から瀬戸へ移住した家。愛知と他産地との人の移動。
●相馬焼;縁起物の絵柄「ひだりうま」顔はどっち向き?
●相馬焼;江戸時代元禄、下男の左馬に命じて日用雑器を焼き始めたのが始まり、2011年3月11日釉薬の原料、砥山石が原発事故の放射能汚染により採掘不可能となる。


●20年ぶりのインスタレーション「三重のガラス越しに見る土」。
"THIS END UP 0606-1501" 戸田守宣
●20年前、同じ部屋、同じガラスケース内壁全面に直接インスタレーションされた圧巻の作品との差異。パッケージされた、三重のガラス越しに見る土。








2015年3月24日 3:28 記

2014年7月29日火曜日

on glaze painting


Today's working: on glaze painting


磁器グレーズ生地にバルサムとテレピンで顔料を練り彩色する方法は油彩画のそれと同じような手法であるが、筆がすべるグレーズ面(施釉面)において広い面積に筆むらなく彩色する方法は困難であり熟練を要す。
特に筆むらがでやすいピンク系では、含金系ピンク顔料のムラ=絵具の溜り部分が茶系に発色してしまう。薄塗りで筆むらをなくするためにバルサムの比率を多くすることでこの問題を回避できる。テレピンの比率に注意。



「金属ナノ粒子 色材・意匠材料への応用」石橋秀夫氏論文
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jvsj2/51/11/51_11_737/_pdf/-char/ja

2014年7月29日 

2014年2月11日火曜日

140211 機能するアッサンブラージュ

 


35年前、形見分けでいただいた伯父の写真機を再生させよう。


selected comment ------
> cameraとしては再生させない予定です。何かを写す機械を作ります。網膜で何か撮れるような。。。

>「覗くことで、価値がある。」機械を作る予定です。

これってどこのカメラですか?
> KONIRAPID-S (小西六) Konishiroku Hexar 50mm F2.8 のレンズです。本体はバラバラに解体してしまいました。写真のパッケージは自作の陶器製です。
film装填できません。いわゆるカメラとしては再生しません。陶器部分は20年くらい前のパッケージのシリーズの部品です。


fb 橋本 公成
2014年2月11日


#機能するアッサンブラージュ*
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*アッサンブラージュ
アッサンブラージュ(アセンブリッジ、英語:Assemblage)とは、コラージュやパピエ・コレの立体版、すなわち、「立体的なもの」を寄せ集め、積み上げる、貼り付ける、結び付けるなどの方法により制作された美術作品(立体作品)およびその技法。「アサンブラージュ」と表記されることもある。wiki



 

2013年10月3日木曜日

貫入と釉薬剥離 -dolomite production

dolomite production における貫入と釉薬剥離




低温の陶器は結構難しいプロダクトである。大陸の工場で生産を行った時に何度も経験する貫入や釉薬剥離、シバリング問題。
基本的には生地の熱膨張率と釉薬の熱膨張率があってないことによるが、白雲(ドロマイト)や半磁器は本焼成温度が磁器ほど高くないため(釉薬と生地の融点が近いため)原料調合が難しいのだと思う。磁器などの本焼成が高温のものの方がある意味容易であるのだろう。それが証拠に磁器の方が値段が安かったりするし、工場数も多いのではないか?







冷凍餃子や中国工場で作った製品の品質問題が日本社会をにぎわせた2007年頃、土鍋から鉛問題も起こった。この時、僕が推測したのは、重金属に汚染された陶土や上絵具からの流出とかでなく、生産効率を上げるために鉛を多くした釉薬を使用したのではないかと思ったのである。
はんだ付けで使用する半田が鉛とスズの合金であり、合金にすると融点が下がる。
また鉛の融点は327.5℃、カドミウムの融点も321.1°C。
このことを応用して、生産性を上げようとすれば、釉薬に鉛やカドミを混ぜれば融点が下がり窯効率がよく生産性が上がる。しかし、鉛やカドミウムは人体に有害である。

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【ニトリで買った中国製土鍋から銀色の異物が出てきたのですが、大丈夫?】

質問者:MUD-Water質問日時:2007/05/30 15:22回答数:8件
「ニトリ」が販売した中国製の土鍋(新潟県内の陶磁器業「ホリシン」が輸入)からの「鉛」検出。

問題の土鍋は、電磁誘導加熱(IH)調理器で約三十分加熱したところ、ふたと接する部分から鉛を含んだ液体が流れ出たという。・・・
・・・土鍋を販売していたニトリは自主回収を決めたが、判断はあくまで企業自身に委ねられている。
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我が家にも中国製の土鍋があります。・・・
熱しているうちに、鍋の辺りに、次第に銀色の異物が浮き上がった。・・・

・・・例えば、この中国製土鍋の場合、使用しているうちに、欠けたり、薄くヒビが入ります。そして、「地」が露出します。
中国の土は鉛・カドミウムなどによる汚染が激しく、水質の汚濁も激しく、中国では癌患者が急激に増えているという。重金属に汚染される「中国の土」を素材に作った土鍋の安全性は大丈夫なのでしょうか?・・・

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2013年3月7日木曜日

Underglaze painting technic 3 - masking

素焼きした生地に模様部分のあたりをつける。
完成状態の模様、ぼかし部分を考慮し順番に下絵付けを施し、その部分からゴムでマスキングしてゆく。
マスクが終了した状態。
手作業で幾重ものレイヤーを彩色、マスキングを繰り返した後、施釉し本焼き。
本焼き後、さらに金彩色で上絵焼成し完成した状態。