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アメリカ 左が アメリカヒドリガモ が 直視 池に飛来したという情報を得た それは インターネットの 毎日更新されるブロガーの情報によって得たものである 私は今外出が困難な状況の中で 直接 現実的な空間でそれを観察する頃かできなくなっている そもそも私の持病 COPD が発覚する原因になった出来事 がこのアメリカ 左側も に関わる出来事でもあり 非常に このカモに対する思い入れが強いのである 今から 7年いや8年か前 箱根の 新しい美術館ができてそこで 尾形光琳の鴨の絵が展示されると 聞いてそれを見に行ったのであるが 結局 箱根 の駅を降りてその美術館に徒歩で向かおうとしたわけであるが あまりの坂道の険しさに 途中で断念して帰ってきてしまった しかしこの時は結構 moa美術館とか多くの場所を移動して 非常によく歩いた日でもあった ちょうど帰ってから 非常に肩が 詰まったような状況になって呼吸が苦しくなった その時に初めて自分で救急車を呼んで夜間の救急外来に行ったのである 翌朝 この症状が COPD のステージ4と診断されたのである そういった 今の自分の出来事につながる 出来事が この アメリカ 左側もの 到来と関連しているのである 尾形光琳 はところでこのかもず は通話のカモが水辺で くつろいでいるのであるが その脇に立つ 松の書き方がまた奇妙な ねじれを表していて興味深いのである その画面の真ん中にアメリカ 左鎌が描かれている つまりこの江戸時代の頃に すでにアメリカ 左鎌は日本に飛来していたということが まあこの絵からは わかるということなのであるが 実は 尾形光琳 自身が アメリカ 左側を観察して書いたわけではないというのが一般的な通説になっている 尾形光琳の鳥ばかりを集めた写生町があるが それは実は 尾形光琳 自身が 野鳥観察して書いたのではないとされている 当時 狩野派なりが 持っていた その観察図を集めた写生町 が 教本 となりお手本となり それを映しながら流通していった 写生町ではないかとされているまあ一般的にはそうなっている これは書道と同じように お手本があってそれをもとに書くという日本の独特な日本の というよりもまあ 東洋の と言ってもいいかもしれないが の製作方法に よっている画面を構成するというところでは それは 独自の才能が発揮させたりはするのだが それでも お手本を移す というところはあの存在するのである 今 日本のあるいは東洋の独自な方法と言いましたが 実は そうではないのかもしれないと思ったのがこないだ 見た マティスの初期フォービズムの荒々しい タッチで書かれたラフや男のモデルを使った絵画に現れている 実は私は ずっとその絵は アトリエでモデルを雇って皆で射精を行った時用に書いたものだと思い込んでいただが 実はそれではなくてその当時流通していた人体を取った写真集より 写真集をもとに 手本としてほとんど同じ構図で それは書かれているのである 写真集は当時 まだ 白黒の写真 陣営 写真であるが マティス はそれをそこに新しい激しい色彩 堆肥を持つ 絵の具で書き直しているというところにオリジナルが の部分が見受けられるのである つまり 性を東洋に問わず 二次元から2次元に移す という方法があるということである つまりそれはどういうことかと言うと3次元の現実のものを見ながら 2次元に 二次元に書くという行為は意外と難しく 困難な政策方法なのである 二次元から2次元に置き換えるという方法は意外と簡単なのである このことは自分の子供が図鑑を見ながら書いた絵がすごくうまく書かれていたのに対し 自分が頭の中で浮かんだ 機関車を書こうとした時に書けなかったということを発見した時に気づいた出来事でもある つまり 次元の転換が起こらない状態での絵画制作というのは安易であり 非常に 世界を作り直そうとする絵画制作においては その方が便利な方法なのである
まず インターネットによって直進 池に アメリカ 左鎌が飛来してるということを知る。 それはどういうことかと言うと まあ 少し前まではテレビが世界に向かっての窓という存在になっていたのが今現在では より小さなスマホの画面や あるいは PC コンピューターのディスプレイ あるいは タブレットが世界に向かっての窓になっているということである 実際に建物の窓というのは 今でも存在し そこから世界を眺めることができるのであるが もっと遠くのものを眺めようとすると実際の物理的な窓では限界があるのである そこで 我々は誰かが集めた情報という映像をテレビによってみるということを経験し それが今では特別な テレビカメラによらずとも多くの市民によって取られた 多くの情報画面によって世界が埋め尽くされるような空間に いるということが意識されたということなのである つまり 私は今 物理的に外出が困難な状況になっているわけであるが あるいは この状況というのは 今 多くの人が無意識に体験している 情報空間ということの一つのメタファーとして実際 私が外出できなくなって移動の自由が困難になっているということを 象徴的に表しているようなことでもあるのではないかと思うに至ったのである つまり私は家にいながら数キロ離れた先の直シーケにアメリカ 左がもっと言う 珍しいこの場所に飛来するには珍しいかも が到来してるという情報を得て その画像を見ているのである これは実際にそのかも 現場で見ているわけではないのであるが すでに見た気になっているのである まあこういったこと というのは 美術館に行って本物の作品を見るよりも前にすでにネットの情報によって溢れている画像によって見た 気になるということとも共通した体験ではある 実際に現場に行ってみるという体験で起こる感覚と情報の 中で見ているということを体験するのとでは大きな隔たりがあるというのは十分に分かっているのであるが 一つの時代のくくりとして この情報の上っ面をなぞるような資格。 そして 移動を妨げられた人にとっての資格 体験 遠くを見るということに 大きな示唆を与える出来事でもあると思いこのアメリカヒドリガモの嫌いの興味 深さを改めて実感するに至ったのである
> From:"kiminari" <kimikimi993312@yahoo.co.jp>
> To:"橋本公成" <kimikimi993312@yahoo.co.jp>
> 日時:2024/03/31 日 22:31
> 件名:
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さて、ここからが本編です。
以上が活舌の悪い音声によるAI認識によるテキストであります。音声→言語化テキストの段階で多くの誤訳、誤字や言い直しによって意味が分からない文に見えるが、これはこれでシュールレアリズムが行った自動筆記のテキスト版のようにみえて面白いと思ったのでそのままのテキストを残してみた。「アメリカ左」なんて言いえて妙ではないか、と思った次第。
さて、ここからが本編です。Ⅱ
アメリカヒドリガモ が勅使池に飛来したという情報を得た。 それは インターネットの 毎日更新されるブロガーの情報によって得たものである。 私は今、外出が困難な状況の中で 直接 現実的な空間でそれを観察する事かできなくなっているのだが そもそも私の持病 COPD が発覚する原因になった出来事 がこのアメリカヒドリガモに関わる出来事でもあり、非常に このカモに対する思い入れが強いのであります。
今から 10年いや9年か前、箱根に新しい美術館ができてそこで 尾形光琳の鴨の屏風絵が展示されると 聞いてそれを見に行こうと思ったのです。箱根高山鉄道の駅を降りてその美術館に徒歩で向かおうとしたわけであるが、あまりの坂道の険しさに 途中で断念して帰ってきてしまった。しかしこの時はMOA美術館とか多くの場所を移動して非常によく歩いた日でもあった。 ちょうど帰ってから肩が詰まったような状況になって、これは怠けていた身体のせいだと思い込み、逆に粗治療と言わんばかりに腕立て伏せを20回行い、風呂にはいろうとした矢先、両肩を巨人に鷲掴みされたごとくの未経験の感じに襲われ、なおかつ呼吸が苦しくなり息ができなくなって窓を開け放して深呼吸を繰り返すのだが得も言われぬ苦痛は収まらず、その時に初めて自分で救急車を呼んで夜間の救急外来に行ったのである。翌朝 この症状が COPD のステージ4による筋肉の酸欠と診断されたのである。そういった 今の自分の生活変化につながる出来事が、この アメリカヒドリガモの到来と関連しているのである。
ところでこの尾形光琳の鴨図は数羽のマガモなどのカモが水辺でくつろいでいる絵なのであるが その脇に立つ 松の描き方がまた奇妙なねじれを表していて不自然で興味深いのである。 この画面の真ん中にマガモに混じってアメリカヒドリガモが描かれている。つまりこの江戸時代の頃に すでにアメリカヒドリガモは日本に飛来していたということが まあこの絵からは わかるということなのであるが、実は 尾形光琳 自身が アメリカヒドリガモを観察して描いたわけではないというのが一般的な通説になっている。 尾形光琳の鳥ばかりを集めた小西家伝来の写生帖*注1 があるが それは実は 尾形光琳 自身が 野鳥観察して書いたのではないとされている。 当時 狩野派なりが 持っていた その観察図を集めた写生帖が 教本となりお手本となり それを映しながら流通していった写生帖ではないかとされている。絵画制作のネタ本的な意味合い。まあ一般的にはそうなっている。
鳥獣写生帖に描かれたアメリカヒドリガモ |
このようなことは書道と同じように お手本があってそれをもとに書くという日本の独特な(日本のというよりもまあ東洋のと言ってもいいかもしれないが)の製作方法に よっている。画面を構成するというところでは それは 独自の才能が発揮させたりはするのだが それでも お手本をうつす というところは当たり前のように存在するのである。粉本主義といってもよい日本画の伝統でもある。工房政策における事業、生業としての絵師は近代の個人崇拝主義とは異なるのである。
今 日本のあるいは東洋の独自な方法と言いましたが 実は そうではないのかもしれないと思ったのがこないだ 見た マティスの初期フォービズムの荒々しい タッチと色彩で描かれた裸婦や男のモデルを使った絵画に表れている。 実は私は ずっとその絵は アトリエでモデルを雇って皆で写生を行った時に描いたものだと思い込んでいた。だが 実はそうではなくてその当時出版された人体を撮った写真集(この写真集自体が当時画期的な試みであっただろうと想像できるのだが)をもとに 手本としてほとんど同じ構図で それら絵画は書かれているのである。 写真集は当時 まだ 白黒の写真 銀塩写真であるが マティス はそれをそこに新しい激しい色彩対比を持つ 絵の具で描き直しているというところにオリジナルの部分が見受けられるのである。
西洋、東洋に問わず <二次元から2次元に移す> という方法があるということである。それはどういうことかと言うと3次元の現実のものを見ながら 2次元に 二次元に描くという行為は意外と難しく 困難な制作方法なのである。 二次元から2次元に置き換えるという方法は意外と簡単なのである。 このことは自分の子供が図鑑を見ながら描いた絵がすごくうまく描かれていたのに対し 自分が頭の中で浮かんだ 機関車を書こうとした時に書けなかったということを発見した時に気づいた出来事でもある。
つまり 次元の転換が起こらない状態での絵画制作というのは安易であり 非常に 世界を作り直そうとする絵画制作においては その方が便利な方法なのである。
カメラオブスクラによる現実視界のトレースもまた、この問題と同じような意味を持っている。
まず インターネットによって勅使池に アメリカヒドリガモが飛来してるということを知る。 それはどういうことかと言うと まあ 少し前まではテレビが世界に向かっての窓という存在になっていたのが今現在では より小さなスマホの画面や あるいは PC コンピューターのディスプレイ あるいは タブレットが世界に向かっての窓になっているということである。実際に建物の窓というのは 今でも存在し そこから世界を眺めることができるのであるが、もっと遠くのものを眺めようとすると実際の物理的な窓では限界があるのである。そこで 我々は誰かが集めた情報という映像をテレビによってみるということを経験し、それが今では特別なテレビカメラによらずとも多くの市民によって取られた多くの情報画面によって世界が埋め尽くされるような空間にいるということが意識されたということなのである。
私は今 物理的に外出が困難な状況になっているわけであるが、あるいは この状況というのは 今 多くの人が無意識に体験している 情報空間ということの一つのメタファーとして実際 私が外出できなくなって移動の自由が困難になっているということを象徴的に表しているようなことでもあるのではないかと思うに至ったのである。
私は家にいながら数キロ離れた先の勅使池にアメリカヒドリガモと言うこの地では珍しい鳥がこの場所に飛来するには珍しい鴨が、到来してるという情報を得て、その画像を見ているのである。 これは実際にその鴨を現場で見ているわけではないのであるが すでに見た気になっているのである。
まあこういったこと というのは 美術館に行って本物の作品を見るよりも前にすでにネットの情報によって溢れている画像によって見た 気になるということとも共通した体験ではある。 実際に現場に行ってみるという体験で起こる感覚と情報の 中で見ているということを体験するのとでは大きな隔たりがあるというのは十分に分かっているのであるが 一つの時代のくくりとして この情報の上っ面をなぞるような視覚。 そして 移動を妨げられた人にとっての視覚体験、遠くを見るということに 大きな示唆を与える出来事でもあると思いこのアメリカヒドリガモの飛来の興味深さを改めて実感するに至ったのである。
*注1
鳥獣写生帖