梅雨明け後の猛暑二日目。名古屋36℃。現在室温30℃。
湿気がないせいかそれほど暑く感じない。
和合の林のせいか、浅田の田んぼのせいか。
はたまた50を過ぎた肉体が新陳代謝の速度を落とし、発汗機能を低下させ、体感気温を下げているのか。
帰宅後すべての窓を開け放ち、換気扇と扇風機で昼間の室内熱気を放出すれば寝苦しいことはない。
凪+室外機の熱風が逆流してくる大阪の街中とは大違いの熱帯夜。
今年はまだクーラーのスイッチを一度も入れていない。
いつまで耐えることができるか。ずっと耐えれそうな気もする。
節電などではなく単なる節約。
兵糧攻めの状況下、篭城する城主のごとく。
敵から身を潜め、生体の気配を消す忍のごとく。
最小限のエネルギー消費で
最大限に暮らすこと。
これは、ささやかなひとつの実験である。
2012年7月18日水曜日
2012年7月12日木曜日
120712 大葉と蛸の冷たいカッペリーニ
つい、茹ですぎてしまうカッペリーニ。こんな時間に食べる量じゃない。
大葉と蛸の冷たいパスタ。(ほとんどサラダやな~。)それにしても大学に行った日はやたら腹が減る。
fb-橋本 公成 2012年7月12日
2012年7月7日土曜日
二重人、あるいは
【12月18日
AFP】仏ルーブル美術館(Louvre)は18日、同館所蔵のレオナルド・ダビンチ(Leonardo da Vinci
)作の油彩画『聖アンナと聖母子(Virgin And Child ……
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聖アンナの膝の上に乗った不自然なマリアのポーズ。
しかしマリアの顔を隠してみるがよい。
自然なポーズでキリストに手を差し伸べるアンナが現れる。
(アンナのポーズはキリストと相似形になる。)
(アンナのポーズはキリストと相似形になる。)
聖アンナとマリアは一体化した二重人として現されている。
このことはこの作品の画稿の段階でも思考されている。
94年ロンドンで見たこの作品の画稿では一つの胴体から二つの首、頭部をもつ双頭の化け物のような不気味さで現されている。
2011/05/26 04:36
In the hard rain swimming
閃光は目の前を8月の白い空より眩しく照らし
数秒のち、大音量重低音の大太鼓が背中で響く。
道は川になり
タイヤしばしば、池に突っ込む。
対向車のヘッドライトはアスファルトを跳ね返す水煙を反射させ
道路上数センチにスクリーンをつくる。
靴の中は池になり、
顔と前面に痛く打ち付ける直線は合羽を突きぬけシャツから皮膚に染みとおる。
開けていることが困難な眼を直撃する雨棒は
瞼をひっくり返し
全身プールの中
運転は水泳になる。
---------
120706 22:30-23:00 driving from SETO to NISSIN
数秒のち、大音量重低音の大太鼓が背中で響く。
道は川になり
タイヤしばしば、池に突っ込む。
対向車のヘッドライトはアスファルトを跳ね返す水煙を反射させ
道路上数センチにスクリーンをつくる。
靴の中は池になり、
顔と前面に痛く打ち付ける直線は合羽を突きぬけシャツから皮膚に染みとおる。
開けていることが困難な眼を直撃する雨棒は
瞼をひっくり返し
全身プールの中
運転は水泳になる。
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120706 22:30-23:00 driving from SETO to NISSIN
言葉の所有と文字の値段
壁に近づいてはじめて文字を読み取ることができるロイヤルブルーの壁のしみは、大きく余白を取って配される。
ここに書かれている言葉は日常生活の戒めのごとく毎朝教訓のように目立つところに貼られた言葉というようなものではない。
その文字が指し示しているものは意味ある教訓や強い主張のメッセージではない。
一度読んだだけでは忘れてしまうようなたよりなげな文字の集まりである。
それはあたかも風景のようなものである。
それは風景を眺めるように記された、もう一つの風景たらんとしている。
その文字が指し示しているものは意味ある教訓や強い主張のメッセージではない。
一度読んだだけでは忘れてしまうようなたよりなげな文字の集まりである。
それはあたかも風景のようなものである。
それは風景を眺めるように記された、もう一つの風景たらんとしている。
日常の、部屋の片隅に、忘れ去られた落書きのようにひっそりとつましく存在していることが似合っている。
何かのひょうしで目にして、その時の気分によってなんらかの感情をもたらすかもしれないといったたぐいのものである。
そういったつましさが似合う文字群である。
何かのひょうしで目にして、その時の気分によってなんらかの感情をもたらすかもしれないといったたぐいのものである。
そういったつましさが似合う文字群である。
しかしここは、何かの表現を目的にした特別な空間である。
文字として書かれた言葉に値段が付けられている空間でめぐらせた言葉の所有と文字の値段。
それは空間を含めた文字の所有のための値段か、意味だけに還元された言葉の所有のための値段か。
白い壁に水性インクの万年筆で書かれた文字は紫外線にさらされゆっくりと退色してゆくことだろう。
書かれた基底材の中にインクを構成している微細な粒子は浸透していきながら消えてゆくだろう。
書かれた基底材の中にインクを構成している微細な粒子は浸透していきながら消えてゆくだろう。
これを所有する人は空間に配されたインクの滲みを絵画のように所有することができる。
そのためには壁を切り取らねばならぬ。
そのためには壁を切り取らねばならぬ。
もし異なる空間にあわせてその同じ文字群を新たに配したとしても、それは別のものになってしまうだろう。
なぜなら、その文字群は一回性の緊張感を持って書かれた出来事の痕跡でもあるからだ。
その場所の特性に合わせて設置されたインスタレーションであるからだ。
なぜなら、その文字群は一回性の緊張感を持って書かれた出来事の痕跡でもあるからだ。
その場所の特性に合わせて設置されたインスタレーションであるからだ。
もし、同じ文字群を場所を変えても同じものとして提示するならば、その文字群はあまりにも情報を持ちすぎている。
それはペンによる「書」の作品として志向されたものでないかもしれないが、その文字群は「書」というメディアが持つ情報を内包している。
その文字群は個性を持ちすぎている。書かれた時の感情を内包している。
もし同じ文字群が与えられた空間にあわせて配されるものが同じ作品であるというならば、文字は万年筆で書かれることをやめ、活字やレタリングのように無個性であらねばならぬ。
それはペンによる「書」の作品として志向されたものでないかもしれないが、その文字群は「書」というメディアが持つ情報を内包している。
その文字群は個性を持ちすぎている。書かれた時の感情を内包している。
もし同じ文字群が与えられた空間にあわせて配されるものが同じ作品であるというならば、文字は万年筆で書かれることをやめ、活字やレタリングのように無個性であらねばならぬ。
その展示空間に一人で入って、ひそやかなロイヤルブルーの痕跡群を、ざわめきのない状態で体験する時、その作品を所有することができる。
それは体験者にとって空間と時間の所有である。
作者の意図に関わりなく、密やかな展示であればあるほど、空間を構成するあらゆる要素がその作品のために意図された要素として体験者に意識の集中を迫る。
フラットでない床に立ちその滲みを眼で追う時、海岸端のごつごつした岩場に立っているごとく演出されているように感じる。
かすかに、膠から発する獣のにおいは文字に肉体を与えているような錯覚を与える。が文字の指し示す風景はそんな肉体性とは対極だ。
それがたとえ日本画のどうさびきと同じ、書く為の作法であったとしても、この特別にしつらえられた空間の中では意図された要素の一つとして体験者に深読みをさせる。
それは体験者にとって空間と時間の所有である。
作者の意図に関わりなく、密やかな展示であればあるほど、空間を構成するあらゆる要素がその作品のために意図された要素として体験者に意識の集中を迫る。
フラットでない床に立ちその滲みを眼で追う時、海岸端のごつごつした岩場に立っているごとく演出されているように感じる。
かすかに、膠から発する獣のにおいは文字に肉体を与えているような錯覚を与える。が文字の指し示す風景はそんな肉体性とは対極だ。
それがたとえ日本画のどうさびきと同じ、書く為の作法であったとしても、この特別にしつらえられた空間の中では意図された要素の一つとして体験者に深読みをさせる。
この密やかで頼りなげな消えてしまうであろう滲みを表示価格によって所有する人は、その滲みが記憶の中の言葉のごとく曖昧に忘却の彼方に消え去る物質としての変化する時間を所有することができる。
時がたち完全にその滲みが消えてしまっても、かつてそこに言葉があったことを記憶として所有することができる。
時がたち完全にその滲みが消えてしまっても、かつてそこに言葉があったことを記憶として所有することができる。
この作品の値段はそういった時間を意識した値段であるか。
2011/10/26 AM05:31
言葉の所有
言葉はいかにして所有されるか。
講演会では一しゃべりいくらで値段が付けられる。
言葉を発する時間によって値段がつけられる。
その人の言葉が内包している意味の深度によって値段が付けられる。
講演者のパーソナリティによって値段が付けられる。
言葉を発する時間によって値段がつけられる。
その人の言葉が内包している意味の深度によって値段が付けられる。
講演者のパーソナリティによって値段が付けられる。
言葉は発せられた瞬間から空気中に消えてゆくが、その指し示す意味とあいまってその言葉を聴いた人によって所有される。
言葉は聴覚を介して発した人から聴いた人に伝わって所有される。
言葉を聴いた人は忘却のかなたに消えてしまうことを恐れて文字に書き記す。
言葉は、文字に記された言葉として所有される。
言葉は聴覚を介して発した人から聴いた人に伝わって所有される。
言葉を聴いた人は忘却のかなたに消えてしまうことを恐れて文字に書き記す。
言葉は、文字に記された言葉として所有される。
そこでは文字自身を所有することが重要なのではなく、文字がさす、言葉の指し示すその意味を欲するために所有される。
文字はそれが綴られた本として所有される。
弟子たちが口述筆記をもとに書き残した経典のごとく所有される。
視覚から入った文字は聴覚とあいまって見た人に所有される。
弟子たちが口述筆記をもとに書き残した経典のごとく所有される。
視覚から入った文字は聴覚とあいまって見た人に所有される。
2011/10/26 AM05:31
2012年7月6日金曜日
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