2024年9月8日日曜日

車窓と視覚、鉄道と映像





「車窓と視覚, 鉄道と映像」という論文を以前も書き始めたんですけれど、この論文はまだはっきりとまとまっていない状態なんです。しかし、まとまってなくても思いついた時にメモらなければまた脳みその奥まったところに入り込んで行方不明になってしまうものですから絶えづ引きずり出して反芻するのです。
こんな状況の中で昨日「美術評論+」というメール便で 秋丸知貴さんという批評家の人が「セザンヌと鉄道」の論文を三部作で3回に分けて英文でアップされていて、それをざっと 読みました。車窓と視覚 の問題を セザンヌの有名なサント・ヴィクトワール山の風景画を 描いた現場を訪れて分析されているような論文です。秋丸さん自身が撮影された現地の写真や動画がいくつか 参照されています。それが現代の風景とセザンヌが描いた風景画との比較の中で示されていて、車窓のイメージが結構大きい ような感じもあったり、鉄道ができたことによって得られた視覚であるということに導かれてます。



●秋丸知貴氏の論文サイト(英文)------------
Cézanne and the Railway (1): A Transformation of Visual Perception in the 19th Century
セザンヌと鉄道(1):19世紀における視覚の変容

Cézanne and the Railway (2): The Earliest Railway Painting Among the French Impressionists
セザンヌと鉄道(2):フランス印象派の最初期の鉄道画

Cézanne and the Railway (3): His Railway Subjects in Aix-en-Provence
セザンヌと鉄道(3):エクスアンプロヴァンスにおける鉄道の題材
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論文と試作品 (prototype)
作品「エレクトリック・ハート・マザー」(Electric Hart Mother)について


 さて、私が車窓の視覚に興味持ったのは名古屋から大阪の実家にいつも使用する近鉄電車の車窓から見た風景で考えたことでした。ある日たまたま乗った車両の喫煙席がかなり豪華な個室が作られていまして そこの部屋が大きな車窓になっていてすごく映像体験装置的な空間であったということに驚いて、その時の体験を論文のようなメモとして書いたわけです。(注01)

鉄道と映像っていうのは以前から関心がありました。92~93年に作った作品の「エレクトリック・ハート・マザー」という大きな構造物があるんですけども これは 観客が作品を見る 正面に立てば、その観客自身が2台のビデオカメラで写されて写した映像がライブで2台のブラウン管テレビに表示され、それが見てる人の正面のに取り付けられたハープ ミラーに映る。でそのハーフミラーの内側っていうか奥というのが ダイオラマ 実際に奥行きを持ったダイオラマとして作られている風景の中に合成されるという感じなんです。2台のビデオカメラと2台のテレビブラウン チューブってのは それぞれ動いてまして、カメラは左右にパンしています。テレビのブラウン管は上下に動いてる。その機械的な仕組み、構造自体がをSL の車輪とロットを模したような仕掛けにして見せています。
イメージとしてはこうなんですけど、映像装置的に視点で見ればライブカメラによるビデオインスタレーションであるわけです。


  作品の下の部分はそういった機械的な仕組みを見せているっていうことなんですけども、上の部分っていうのはイメージの世界として作っています。窓のような部分 開口部みたいな部分から見た奥は先ほど説明しましたように風景のダイオラマになっています。廃墟のような感じで一部 原爆ドームのレンガ壁を模倣しながら現実の風景の再現ではない様子も加えながら、風景を創ろうとしたのです。その風景の中には 実際 水が流れる川のようなものが作られてます。その川は正面から見た時にははっきりとは水の流れは見えないんですけども 水が流れてる音はしているのと光源によってキラキラしてるので水の流れの気配は感じれるようになっています。流れる水は下の水槽にチューブでつながって水を溜めながら またポンプで上に循環しているという構造になってます。
 この上部には形が与えられていて、まあ言ってみれば風景(ダイオラマ)を覆うようにパッケージとして外観もデザインしているわけです。その形というのが子宮とそれを囲む骨盤のイメージで作られています。まあこの唐突な形状が上から見なければ形状の全体像が分からないということで、そのことがより一層この作品のわかりにくさを露呈しています。

 このように外観の説明だけでも、作品「エレクトリック・ハート・マザー」(Electric Hart Mother 以後EHMと表示)は様々な切り口で作品を成立させようとした結果、要素が多くて何を言いたいのかわりにくいものになった。わかんない上に ガチャガチャ動いててなんか動いてるだけで興味は惹くんだけど、大きさもまあまあ大きいので興味は惹くんだけど何かよくわからないっていうような感じでもあったりするわけなんですね。
ここに説明していない部分では音と光(光源の調光)の要素も複雑に映像、視覚的要素と関係しあっています。



私の作品ってのは全部このプロトタイプ(試作品)で完成作というものがあるのか?という感じなんですね。この作品EHMもバージョン1から2、3という風にどんどん付け足しながら より はっきりさせていくような感じで作っていったわけです。1年ぐらいかけて バージョンアップしていったわけです。制作にはそれなりに費用もかかるわけで、その費用は制作補助金として企画展に選別されるたびに支給された制作補助金をあてて、つづけたわけです。
最初の展覧会 cool break (クール・ブレイク) 次に名古屋国際ビエンナーレ アーテック  アペルト展 (名古屋市美術館、名古屋科学館)ふくいビデオナーレ(福井県美術館)そのあとキリンビールのアワードに出して受賞昨展示でキリンプラザ大阪と横浜、キリン生麦工場のキリンビアビレッジで展示しました。制作展示補助金だけでは費用が足らないので持ち出しっていうか 自分がサラリーマンで働いた給料 つぎ込んで作ってたわけですね。

 「セザンヌと鉄道」 という 論文を読んでいて 自分の まとめようとしていた論文と関連ありそうであり、それを反映した作品が本当は何を言わんとしていたかをはっきりと言葉としたかった。20年ぐらい経てば 何をやりたかったのがっていうのが時間の距離ができるということで対象が逆照射されて以前よりはっきりと見えてくるわけですね。まあ自分の頭の中なんですが。逆照射されるっていう事ですね。 だから今これをもう1回はっきりと言語化しようと思い立ったわけです。


自作品 EHM 上部のイメージと仕組み



 上部はそのイメージの世界って言いましたけども 外観はそういった人体の生物学的な有機的な形状を持った部分。内部にはジオラマがある だからそれは絵画の問題でもあるわけです。 絵画の奥行きの問題が最初にあり、その部分が発展した装置 というふうに見ることもできます。ですから彫刻作品を作ろうというよりも絵画の構造をもったっていうか、その絵画の構造 奥行き の構造っていうのを見えるようにするために作ろうと思った実験装置的なものなんです。それがたまたま 見え方としては 動く彫刻 キネティック・アートのようなものにも見えたというだけです。 ですからアーテックの時のカタログに作品ジャンルを書くところがあったんですけども 私はこれを映像装置というふうにも書けなかったし 彫刻でもないし結果 構造物 と、とりあえずは書いたわけでしてカタログにはそういうふうに表示されています。
  ライティングを行ってるんで光をあの時間にタイマーによって制御してるんで消えたりついたりもするんですけども バスの 消えてる時ってのはハーフミラーに内側からまたビデオ プロジェクションをしていていろんな映像が逆にまたそのハーフミラー上に映るようにもなってるんですね だからその部分は ジオラマが見えてる時ってのは固定して 固定視線つまり 見てる人は同じ 動かない景色を見てるということなんですけども 映像としてリフレクト表示されている観客は移動してる。 観客はそれを見てる観客はそのダイオラマの中を 移動してる映像として移動してるってのが ミックスされてるが見るっていう 構造になってます。
 話が 「セザンヌと鉄道 車窓と視覚」っていうのとちょっと離れますけども そういったことを考えていたってことですね。 だから自分の作品の中ではそういったことを考えていたということです。この続きはまた別稿で続けます。



鉄道と映像体験


 19世紀 産業革命で鉄道ができて 移動の制限がすごくなくなりました。人々はあちこちに出かけることが自由になったっていうことですね。そしてそんな新しい環境の中で移動中の風景を見る。視覚体験が大きく変わるって言うことなんですね。

だから僕はいつも体験してた 近鉄特急のスピードとその当時のスピードって全然違うわけなんですけども 今はもう矢のように風景が飛んでいくわけですけども、すごく近い部分 なんですね近景、中景、遠景 という3つの奥行きから見れば近い部分ってのはすごく
 ONE ということで また 中断してしまいましたか ということもあります 

セザンヌが鉄道で車窓の風景を見てた頃 1845年の SL の最高速度は時速 64km だったそうですね。今の自動車で市街地の普通道路を走るスピードです。新幹線や特急列車ほど速くないわけで 風景は意外と見やすかったかなと思います。 近景もそこまで流れていかなかったのかな とか思います。 



 もう一つ セザンヌのサント・ビクトワール山の絵で思うことっていうのは、アーチ型の鉄道の橋ですね。 かなり長いアーチ型の鉄道の橋が描かれてるんですけども そのアーチ型の橋が あの レオナルド・ダ・ヴィンチのモナ・リザの向かって右側の遠景に描かれてるアーチ橋を思わせてなんかすごく興味深いなあと思うわけですね。 モナ・リザ の風景の話ですけども モナリザの左肩にかかってる布のショールの襞を陰影を表してるんですけどもそのひだの線が円弧を描いてそのまま遠景のアーチ橋がる。あの視線がその橋に誘導され遠景に抜けてゆく。アーチの橋は遠景と近景をつなぐような 効果があるわけです。
 セザンヌの場合は近景に人物はいなくて、近景に松の木などがあるのですが全部風景になってる。遠景、中景、近景っていうのが 絵の中ですでに筆触ととぎれとぎれの線、タッチに還元されたシミとして対象は描かれています。絵画空間はすごく 平面的に浅い 奥行き 空間になってる ていうことが ダ・ヴィンチの絵画とは違う 奥行き 構造になってます。 その中で2つとも そのアーチ橋が 果たしてるなんか 効果っていうのはちょっと興味深く持って見てしまったっていうことが この論文を読んで 気づいた部分でした。
以上
2024/09/10 火曜日 09:33 ボイス入力





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2024年8月15日木曜日

「夫人Aを見る観者とそれを視る監者」

奇跡的なⅠ枚が撮れた。
夫人像Aを見る観者とそれを視る監視者。

「夫人Aを見る観者とそれを視る監者」2024 Apple ipod touch
(松本竣介<街>と昭和モダン 碧南市藤井達吉現代美術館にて)


何が奇跡的かというと、三者の視線と大きさが絶妙な構図に収まり、なによりもこの一枚の写真で自身がかつて大掛かりな構造物とインスタレーションで行おうとしていた意図が示された謎解きのような画像であるということだ。


(松本竣介<街>と昭和モダン 碧南市藤井達吉現代美術館にて)
 対象と向き合う観る者が対象と一緒に映り、その状況を他の見る者が見ている。

こういった環境を作品の作用空間として始めたのが1991年の秋以降のことだった。その時期がなぜ特定できるかと言えば、ちょうどその頃に山本圭吾先生のアーテック '91出品作のビデオインスタレーション「地の呼吸」の外観イメージを伏見の砂糖会館3階で制作し手伝ったこと、その後92年5月の2回目の個展の作品を映像装置を組み込んだものにしようと構想して取り掛かっていたことによる。そして、その実験的な作品とはちょうど先日破棄したばかりの作品だ。
論理的思考に沿って制作を行うことが苦手な者にとって、なぜそのような形を成す作品に至ったかや制作意図などを明解に言語化することは難しい。しかし三十数年たてば過去というものは遠くなることで焦点を結び対象としてはっきりピントが合ってくる。その当時ぼんやりしていた幾多のことが明快な言語として時に降りてくる。改めて、その詳細については別稿しようと思う。今回はそのとっかかりがたまたま見に行った 松本竣介<街>と昭和モダン(碧南市藤井達吉現代美術館)で撮影した写真によって顕在化したことに驚いたのだった。



青春美術

 松本竣介の絵を初めて図版で見たのは中学校だったか高校だったかの国語の教科書だったと思う。分厚い教科書の薄い表紙を開けるといつも赤茶っぽい「画家の像」の艶のあるカラー図版が目に飛び込んできた。どういう経緯で教科書の初めに掲載されていたかは推測するしかないが、その絵は1941年8月作であることなど今になって知れば同年の『みずゑ』4月号(437号)に発表した「生きてゐる画家」で軍部による美術への干渉に抗議したことと関係しているのかとみることもできる。それとも仕事をしていたという育英社との関係によるのだろうか。あるいは自身がすっかり忘れているが教科書の中に松本竣介が書いた文筆があったのかも知れない。などと当時、全然意識していなかったことや思い出すこともなかった絵のことを思い出し、意外と思春期の頃より頻繁に見ていたことに我ながら驚いた。
「画家の像」は1941年8月作で28回二科展に出品されたP100号の板に描いた油彩で29歳頃の作品である。その絵は今回の出開帳には来ていないが、翌1942年作の絵が数点展示されていた。
松本竣介の絵は学生時代に東京で見たり、作品集で頻繁に見ていたが、当時、フジタやキスリングとの比較で見たことはあまりなかった。今回見た模造紙に鉛筆で描かれた風景やこの写真の婦人像Aは確かにフジタの影響を見ることもできるし、今回特別出品された「黒いコート」もキスリングを思わせるし、風景画はユトリロを連想させるかもしれない。しかしエコールドパリ、池袋モンパルナスといった日本でのロマンチックな言葉が示すような弱さは竣介の絵には見られない。


頭部の小さい構図と色彩がキスリングを思わせるが、キスリングのようにロマンチックでない。










2024年7月28日日曜日

240728 洞

 


fb詠み人知らずコメント
つきの さちこ
こんにちは,Hashimoto様
部屋の外で撮った写真を見たのですが、とても感動しました。どこにいても自然の美しさを捉えることを楽しんでくださいね。それを見た人の注目を集めるような景色を作るために、何をしたのか教えていただけますか❓

橋本 公成
大昔に景色を創ろうとしたことがありました。しかしそれは枯れ、廃墟の模型になりました。そう、三十数年前この場所を借り始めた頃のことです。
そしてこの窓の風景は何もしなかった結果です。窓の横にある換気扇の隙間から侵入した植物は、再び光を求め体をよじって自力でガラス戸の隙間をこじ開け太い幹の木に成長してガラスを割りました。幹は窓外に出て涼しげに葉を茂らせています。
自然は恐ろしいのですよ。家を飲み込んでゆくのです。何もしなければ。