2015年11月30日月曜日

day #21150: 151129




2年前の「鼻」から、季節が一気に真冬に進むこの時期に毎年FRPを制作している時の巡り会わせ。あれは何かの前兆だったのか。

外気と同じくらいの仕事場で仮眠後も硬化しないゲルコート。

「普段ぬくぬくと惰眠をむさぼっているからじゃ!コバルトの配合も忘れてしまったか!劣化しているのはお前の方だ!」
と光琳先生から罵声が響く。

場面はいつのまにか安城になり、
10メートルくらいに積み上げられたバラバラの発泡スチロールブロックにマジックで線描きされている巨大な龍が一気に形を成し、
天井から私を見下ろして嘲笑っている。



2015年11月28日土曜日

「写し」によって劣化する図称


100年ごとに劣化する風神雷神図は「写し」の上での運筆の困難さを示しています。筋肉を表す線がミミズが這ったような線になっていくマニエリズム。安定した四角形に納まる風神に比べ、傾いた平行四辺形の雷神図に表現の劣化が著しく見られるのは(光琳、抱一へとだんだん雷神が一層ひしゃげている)右利きの人が左向きの人物動物を描く容易さと、右向きの人物動物を描く困難さが表れている。初窯時に茶碗に描くの左馬のように。
私は高校三年生の秋に友人から頼まれて宗達の風神雷神図を「写し」ました。体育祭のはっぴに描いた雷神の困難さと風神の容易さを実感すると同時に、幼少期より手が覚える運筆の「写し」は書の臨書に通じるものと実感しました。


俵屋宗達 雷神
尾形光琳 雷神
酒井抱一 雷神


宗達、光琳、抱一の三つの風神雷神図屏風が並んで同時に展示されることで話題になった「琳派 京を彩る」展を結局見に行くことができなかったがこの三つの図版(透過光で見るモニター画像)より考察を試みたい。


風神雷神図を私が模写(写し)したのは高校3年生の秋だった。体育祭の時に着る応援団のはっぴに雷神図を描いてくれと頼まれたからだ。私が通っていた東住吉高校の体育祭は赤白黄緑の4色に全校生徒を振り分けて競う。応援部、建設部、もう一つ何かあったが忘れてしまった。建設部はマルタを組んで仮設の観客席、矢倉を土建屋さながら組み上げる本格的な現場作業だ。やわな管理された祭りというより、河内の荒っぽい男たちが繰り広げる祭りといった感じだ。
当時私は黄組の応援部にいた。応援団長は一番豪華なはっぴを着て先頭に立って行進する。私も何らかの役があったのかはっぴを着ることになっていた。団長の注文は、はっぴに雷神を描くことで、自身のはっぴには風神を描くことにした。しかし、頼まれて描いた雷神図より自身のはっぴに描いた風神の方が力強く大きな表現になってしまった。

雷神はうまくかけない。なぜか。傾いた平行四辺形の構図の中にはめ込まれた動きのある身体の動きは、写しにはことのほか難しい。宗達を写した光琳、抱一の雷神図もいっそうひしゃげて貧弱である。それではなぜ風神は形が取りやすいのか。風神は安定した正方形に身体の動きがはめ込まれ、太ももとひざから下の足が直角をなす安定した構図である。袋を広げるために伸ばした左腕も水平に伸ばされ、安定感を与えている。
身体の動きによる構図のほかに、雷神が描きにくいのは右利きの人が左向きの人物動物を描く容易さと、右向きの人物動物を描く困難さが表れている。初窯時に茶碗に描くの左馬のように。



胡粉と金箔地
明暗法でいえば胡粉の白は光を反射する明るい面として表れる。白よりも光を反射する金箔地。
金箔地に描かれた胡粉の白は逆光、後光の効果によって影になる。
光琳は雷神の周辺金箔地に垂らし込みの墨彩の面積を多くとることで、逆光効果により暗く見える胡粉の雷神ボディをより明るく際立たせている。そのことがかえって雷神の傾いた平行四辺形のボディを強調し、宗達の雷神と異なる不安定感を表している。


3Dからトランスレートされた2Dと、2D→2Dの「写し」
三十三間堂の風神雷神像や清水寺の風神雷神像が宗達の元になったと言われている。もしそうであるなら(今のところ宗達のもとになった2D図称を探せていない)宗達は過去の風神雷神に類似したイメージ2Dと3Dである像を元に風神雷神のイメージを定着した。3Dからトランスレートし2Dに線を抽出した。ここでは大きな飛躍が起こっているのである。その宗達の2Dイメージを本歌とした光琳、抱一は2D→2Dである。同じ「写し」といっても、3D→2Dと2D→2Dでは創作原理の意味が異なるのである。





* 特別展「琳派 京を彩る」は2015年10月10日から11月23日まで京都国立博物館で開催されました。

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* 参考ブログ
リアリティとオリジナリティはこれからも有効か? 岡田萬治金箔美術/岡田武氏ブログ
2015年11月23日 (月) 三つの風神雷神図屏風

http://manji.blog.eonet.jp/art/2015/11/post-9c71.html

岡田さんのブログで興味深いことは、キャラクター版権ビジネスへの言及です。


* 参考ブログ2
クリーブランド美術館所蔵 雷神図屏風
劣化というのはこういったものかもしれません。しかし運筆はしっかり描かれている。

http://blog.goo.ne.jp/teinengoseikatukyoto/e/dcd62f45056b057c5c16c0ee07e97702

2015年11月25日水曜日

dome project HIROSHIMA

making of 1/100 scale model "Atomic Bomb Dome HIROSHIMA" / 2000
1/100 scale model of Atomic Bomb Dome HIROSHIMA / 2000 ; original mold and resin parts
1/100 scale model of Atomic Bomb Dome HIROSHIMA / 2000 ; open mold
1/100 scale model of Atomic Bomb Dome HIROSHIMA / 2000 ; original mold
1/100 scale model of Atomic Bomb Dome HIROSHIMA / 2000
1/100 scale model of Atomic Bomb Dome HIROSHIMA / 2000
1/50 scale model of 広島県物産陳列館 /July 2001
1/50 scale model of 広島県物産陳列館 /July 2001
1/50 scale model of 広島県物産陳列館 /July 2001
1/50 scale model of 広島県物産陳列館 /July 2001
1/50 scale model of 広島県物産陳列館 /July 2001
1/50 scale model of 広島県物産陳列館 /July 2001
1/50 scale model of 広島県物産陳列館 /July 2001
1/50 scale model of 広島県物産陳列館 /July 2001
1/50 scale model of 広島県物産陳列館 /July 2001
installation view at ZONE gallery  ex. "Recording Angel" /July 2001 
installation view at ZONE gallery  ex. "Recording Angel" /July 2001 
installation view at ZONE gallery  ex. "Recording Angel" /July 2001 
installation view at ZONE gallery  ex. "Recording Angel" /July 2001 
installation view at ZONE gallery  ex. "Recording Angel" /July 2001 


広島県物産陳列館(1921年(大正10年)広島県立商品陳列所と改称→1933年(昭和8年)広島県産業奨励館と改称)  設計:ヤン・レッツェル(Jan Letzel チェコ人の建築家)1915年(大正4年)4月5日竣工、同年8月5日に開館。




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from NHK news ----------
原爆ドームの一部を川から引き上げ 広島
11月24日 20時32分

「広島市の原爆ドームのすぐ脇を流れる元安川で、70年前の原爆投下で壊れたドームの一部と見られる石材などを引き上げる作業が行われました。
この引き上げ作業は、原爆による被害の記憶を受け継いでいこうと、広島大学の職員、嘉陽礼文さん(37)と学生などのグループが行いました。
原爆ドームの脇を流れる元安川沿いにクレーン車を設置し、ドームの一部と見られる石材やれんがなどおよそ20点を川から引き上げました。このうち最も大きいものは、長さ1メートル60センチ余り、重さおよそ300キロの石材で、被爆前、建物の5階にあったバルコニーの手すりの一部とみられるということです。石材の左右の端には、当時はめられていた金具の一部が原爆の熱線で溶けて付着しているのが確認できたということです。
このグループが引き上げ作業を行うのは去年に続いて2回目で、回収した石材などは、来年の春までに広島市南区にある広島大学の医学資料館で展示される予定です。
嘉陽さんは「爆風のすさまじさを改めて感じます。原爆でいまだに家族の遺骨が見つかっていない人などにこの石材を見てもらいたい」と話していました。」


2015年11月21日土曜日

day #21142: 151121 washing information

今日は天気が良いので情報の洗濯




洗濯をしながら、昨日90cmH JOE COOLの原型を引き取りに来たI君との話を反芻する。

彼の奇妙な体験談は人によって拒絶されるらしいが、なぜか私とは馬が合うようだ。それもまた奇妙な話だが、その手の神秘体験を全く否定せずに受け入れる私の側のことを、彼は神秘体験によってすでに見ているのかもしれない。彼はそういった話を広めなければならない使命もあると言われているらしいのだ。私はそのことを聞いて、今、話している相手は使徒ヨハネかと感じたのだが、そういった宗教的な話でもないらしい。
私もそういった体験がないことはないということをかなり昔に体験しているから、それはほんの一瞬「即」というものを実感した時の感覚に近いものだと思えるのである。問題はそういった体験を、偶然訪れるのを待つのではなく、いついかなる時にもその瞬間に移行できるようになることが修行というものであるということらしい。囚われは過ぎ去った過去を基に訪れるであろう未来を志向し、考えてしまうことだと彼は言う。そんなことに囚われることなく、考えることをやめ、今この瞬間のことに集中することが生きやすくなるということらしい。そのために自己に囚われるのではなく大きな存在に身を任す。
また、今朝偶然目にしたFBでは、自己に目を向けるのではなく、自己なんてものは口から肛門までのくらい空洞にすぎないと言った羅漢の言葉を引用し、外に目を向け続けることを提唱する別の彼の言葉。

穏やかな小春日和のキッチンでそんなことに思いめぐらしていると洗濯機がカラカラと鳴く。
一瞬、んっ?と思ったが、引き続き二度目のすすぎのスイッチを押す。
脱水が終了し、衣類を干し終わったら洗濯層の中からUSB。ズボンのポケットに入れ忘れたままデータの洗濯をしてしまったらしい。

washing information, washing data, washing brain ....
washing .. 洗濯は時に意識せぬことを連れてくる。


2015年11月17日火曜日

day #21136: 151115





去年と同じ 朝靄霞む観覧車
去年と同じ 一面玉露ダイヤ、秋桜

去年と同じ 大草万年咲き蓮花の横に満開桜
去年と同じ 黄金輝く祖母壊の銀杏

去年と同じ 洞、窓外に皇帝ダリア
去年と同じ 朝露がバイクをぼとぼとに濡らし、朝帰り


なにもかもがなぞるように去年と同じ 霜月
なにもかもが決定的に変わってしまった 霜月


今日も柿を喰らう



柿のサラダ (キャベツ、大根千切り、柿)


2015年11月15日日曜日

day #21131: 151110-12 藁稭長者的一日

day #21132-21133: 151111-151112


仕事場の隣人、ペルー人と少し話す。
「コナイダハ、ゴメン。」

数日前のことを彼は謝っている。
散らかし放題の仕事場入り口を不機嫌にかたづけていた時、外回りから帰ってきた彼と一瞬目が合った。
雨が降ってきて、バイクを屋内に入れる入り口がガラクタ散乱で入れない。
いらだっていた私はこれ見よがしなヒステリックな行動で彼を無視して戸を閉めた。

「共有場所はあなただけのものではない。」
彼もそんなことはわかっているのだ。


日本人同士の場合、賃貸マンションにおける隣人とのトラブルはトラブルを抱えている当人同士は面と向かって話し合いをせず、管理会社という第三者を仲介にオブラートに包む、一方通行。


「アレハ、ナニカ?」
彼は、戸が開いている私の部屋を覗き込み、興味を持っているようだ。
部屋に招き入れ原型制作を説明。

「アナタ、アタマイイ。」
あなたは、手に職があると言いたいようだ。

「柿を食べるか?」
柿を彼に見せる。
「カキ、アアシッテル。」
いただきものの柿を両手いっぱい彼に渡す。

「ギター、スキカ?」
飾ってあるクワギタを見て彼は尋ねる。
「ギターは好きではない。これは作品だ。」
すると
「コンプレッサー、イルカ?」
「ああ、コンプレッサーはいいね。」
親指を突き上げ、彼は自分の部屋からコンプレッサーを持ってきた。
コンプレッサーをくれるようだ。彼は彼なりに迷惑をかけていることを気にしていたのだろうか。
こうして、ペルー人との第一次接近遭遇が終了した。


あちこちから柿をもらって困っていた柿の嫌いな人から大量の柿をもらった。

もらい物の賞味期限切れ焼き海苔を大量に海苔の嫌いな人からもらった。

もらった柿をあげると、コンプレッサーがやってきた。

ペルー人の彼と同じ
藁稭長者的一日。

2015年11月14日土曜日

Roger Waters The Wall

遅れてきた20世紀少年が映像表現に興味を持ったのは、映像史や美術館の中にではなく、ロジャー・ウォーターズのThe Wall ライブとそのプロモーションビデオだった。プロジェクションマッピングという言葉がまだ一般化していない35年前、巨大な発砲スチロールでできた万里の長城を思わせる壁にプロジェクションされる絵巻物は、アクターとオーディエンス、実写とアニメーション、映像と物理的な壁、こことあそこを高速で行き来する完璧な装置に見えた。

2015年の今、閉塞感を紛らわすカタルシスがここにはある。

http://noisey.vice.com/blog/roger-waters-the-wall-interview-2015

2015年11月5日木曜日

day #21126: 151105 06:50






朝露にキラキラ秋桜、日の出、前熊、徹夜明け

2015年11月2日月曜日

1958

I was born in 1958.

In that year, F. Stella drew "DELTA".

I watched this painting in DEC.1987, at LA MOCA.


http://whitney.org/WatchAndListen/AudioGuides?play_id=1354