人が横断する
犬が横断する
自転車に乗った人が脇を走る
ほとんど走行車と出会うことのない高速道路
エーヤワディ平原を北へ北へ
時速120kmで約11時間
肩にもっこり骨が浮き出る灰色の牛
頭と足先が黒い山羊の群れ
高い山はほとんど見えず
エーヤワディ川と平行に川をさかのぼる
ヤンゴンからマンダレー、シューボへの旅は
文明の時間を遡る旅?
40年前の映画ならそんなストーリーがあったかもしれないが
そんなに単純なもんじゃない
家は葉っぱでできていても、入口には太陽電池パネル
人々は携帯電話を持っている
雨季になり水が氾濫すれば何もかも流し去ってしまう地で
頑丈な家はかえって無駄な抵抗と
そんな風に考えるかもしれない、と思ったりする
棕櫚の葉っぱの屋根に、葉っぱを編んだパネル
葉っぱでできた高床の家
それでも、棕櫚の木陰、家の前に寝そべる
吸い込まれそうな優しい目をした灰色の牛を見ていると
えもいわれぬ安寧を感じる
ほとんど走行車と出会うことのない高速を走ってると思いだすのは
20世紀末の中国福建省
泉州から福州まで、未完部分のある高速道路を
運転手がフロントガラスに国賓の看板を立て
黒塗りベンツは120km以上でぶっ飛ばす
あの時も、走行する車にほとんど出会わず、前へ前へぶっ飛ばした
雑草の茂った空き地にサーカス小屋のテント
露店ひしめくぬかるんだ道
夜の休憩時間中の工員達、あてもなくブラブラぞろぞろ
裸電球と点滅するLED
懐かしい昭和30年代の生活風景が時速120㎞の空間移動と同居する
そう、あの時は台湾人資本の工場に
ローカル工場の福建人 Xiao Yang を連れて行き勉強させたのだった
生産ラインの作り方、工場のしつらえ、工員たちの動き、等々
スパイというと聞こえが悪いが
台湾系の工場にもローカルな工場にも注文を出していた日本メーカーからすると
二つの柱となるサプライチェーンの道として
教育的意味合いもあった
今ではどちらの工場もなくなってしまったが
陶磁器より設備投資がかからず、技術的にも安易なポリレジンの工場が
雨後の竹の子のように中国沿岸地域あちこちでできていた頃
欧米輸出経験の豊富な台湾系工場とローカルな工場とでは品質管理に大きな隔たりがあったのだ
値は張るが品質の良い広東省の台湾系工場、
安価だが品質管理に難がある福建省のローカル工場
そんな時代だったころのお話
西尾昭貞社長の依頼でミャンマーの陶磁器工場の視察リサーチ。この地で日本国内向けノベルティ陶磁器商品生産は可能か?可能性のある生産拠点はあるか?
通訳は日本に滞在しているモウモウ。
マンダレーからさらに北。シュエーボのホテルで宿泊。シュエーボはミャンマー英雄の故郷の街。ホテルはヤンゴンからの長距離バスのターミナル前。町一番の中心地?ホテル横の小川で朝、沐浴をする人が数人。ただの水浴だろうか?
シュエーボの中心からさらに東に行ったエーヤワディ河の近くに数件の陶器工場がある街に行く。
一軒目はかなり敷地が広い、ザーサイ壺くらいの大きな壺を作っている工場。ちょうどトラックに出来上がった壺をのせて出荷するところに出くわす。壺はそのままトラックに乗せ緩衝材は藁。載せれるだけのせてロープで縛るプリミティブな方法。
トラックの行き先は川の船着き場だろうか?二日後に行くことになるヤンゴンからさらに海の近く、エーヤワディ河下流の陶器産地近くの船着き場近くに大きな壺を野ざらしで置いてある場所に出くわしてそう思った。エーヤワディ河は水運路として機能している。
2016年9月4日 Sheung Wan arrived YANGON ! |
2016年9月5日 ceramic village 場所: Shwebo (ミャンマー・ザガイン管区) |