冬羽(繁殖羽)にほぼ移行している個体 |
天白川本郷橋西 |
2か月前の9月中旬、この地方にわたってきたコガモですが当初に比べ冬羽(繁殖羽)への移行がだいぶ進んでいるのが観察できます。
頭部の構造色部がほとんど生え変わってるものと、まだ禿げたようになっている個体。換羽の個体差は誕生して冬羽(繁殖羽)の換羽を経験した成鳥と今年生まれで初めて冬羽に生え変わる若鳥の差であると推測します。
220918-02 コガモ 夏羽エクリプス
オスの顔の構造色の生え際、境界を残した塗り分け絵画のようなそれに目が行きますが顔以外の部分の羽毛も複雑な模様に覆われていて興味深いのです。冬鳥として身近な鳥であるコガモ観察が飽きないところです。腹部から翼にかけて、遠目で見ていると白とグレーの色差あるいは銀灰色の面に見えているものが、望遠でより目に引き寄せる、あるいは対象に近づくとグレーと認識していた面がじつは白い羽毛1枚1枚に入った斑入りの模様の集合であることがわかります。そしてこの斑は体の場所によっていくつものパターンがあり又、羽毛1枚の大きさも異なっています。こうしたカモ類の羽毛を見ていると僕はいつもリキテンスタインの網点絵画のことを連想するのです。
限られた版数の印刷でより多くの色調を増やし網膜に届け脳に認識させる網点による印刷効果。この構造を用いた印刷技術をリキテンスタインは発明したのではなく、印刷物を巨大に拡大した絵画を作ることでその構造をより見えるようにしました。アンディ・ウォホールが印刷メディアを原稿として肖像や事件写真を拡大しシルクスクリーンで作ったことが網点が画面に現れた先行かもしれませんがリキテンスタインほど網点構造に着目していたとは思えません。リキテンスタインが拡大した網点効果による絵画は、しかし元の印刷物での効果と逆の効果を現前させています。印刷物で使用されていた網点はその印刷物自体の大きさからイメージの奥行き効果に向かっています。印刷面から向こう側にイメージが後退していってる効果。それに比べてリキテンスタインの網点は拡大されて絵画鑑賞する目と対峙して、壁からこちら側に向かってくるような効果を感じます。むしろ網点の大きさを調整してドットによる視覚効果を表現の効果にしている。効果というより、フランク・ステラが言ったような絵画の「作用空間(working space)」といってよいかもしれません。実際ステラもアルミレリーフがより物理的に壁から突出し複雑化していったモービーディックのシリーズに至る頃、さらにより大きな壁画のため、自身の版画作品で作った版を利用したコラージュ手法で、網点や拡大鏡でしか見えない4色印刷のコンタクトスクリーンによる色版掛け合わせを巨大に拡大したパターンなどを使用して、行き過ぎた物理的な奥行きに逆行する平面による表現も同時に行っている。
こういったリキテンスタインが気づかさせてくれた壁からこちらに向かってくる絵画の作用空間。この源泉を西洋美術の歴史にたずねてみれば、イタリアルネサンスのレオナルド以降、バロックのカラバッジオに行きつくのです。これはステラの論文でも語られていることですが。
絵画平面上を壁と同一面ととらえ、その向こう側に後退しているか(レオナルド)、壁のこちら側に突出してくるか(カラバッジオ)この時代の転換が絵画のイリュージョンの方向にも同期してると考えることもできるのではないか。
ルネサンス以降にこの問題がより目に見えるようになる方向は印象派に見るイメージを描写する筆跡を抑えるのではなくマネ頃から抑えなくなったこと。モネの後期にかけて筆跡はより強調されるように画面に現れるようになった。銀塩写真が登場してからは絵画が写真にとってかわられたから?画面上で絵具の物質性や手で描いたとわかる筆跡を隠さなくなった。むしろ強調しだした。その効果は今まで1m離れたところから鑑賞していた画面と同等の感じを得ようとすると2m以上離れて見れば筆跡はイメージに回収され気にならなくなる。リキテンスタインの印刷網点も同様に画面から離れれば離れるほど印刷本来の網点効果を感じることができる。
つまりはどういうことかというと、壁という平面に対峙してその奥に奥に向かっていた絵画の奥行きがルネサンスからバロックへの転換点から壁からどんどんこちらに向かってくるイリュージョンが印象派からアメリカ抽象表現主義に引き継がれた絵画のフォーマリズムの歴史展開であり、それをイラストレイトで分かりやすく示した流れがステラの制作展開であったのではないかということだ。
コガモの羽毛パターンからはじまって、すっかり脱線してしまった。
途中、つづく