2015年4月12日日曜日

150412 蹴上インクライン、琵琶湖疎水



【Kyoto Notes #02 蹴上インクライン,水路,祇園】
京都市美術館~蹴上インクラインでブラタモリ復習~南禅寺~疎水枝分かれの白川沿いを下って祇園お茶屋街へ、2万歩歩いて時間切れ。桜も見納め、将軍塚はまた今度。





蹴上インクライン


亀釘ー 蹴上インクライン
 犬釘、発見!ー 蹴上インクライン
南禅寺船溜り

蹴上からは北に向かう疏水分線は南禅寺の境内を水路閣でまたぐ。ー 場所: 南禅寺 水路閣


疎水は奥から手前に流れ北進。銀閣寺付近までの疏水分線の堤は哲学の道として整備されている。
ー 場所: 南禅寺 水路閣


 南禅寺



南禅寺船溜りから西(写真手前)へ流れる疎水。

疎水白川分流

疎水白川分流 光照院付近。



疎水白川分流 祇園、白川南通付近。

祇園新橋。新橋通(右)と白川南通(左)のV字二点透視路。



 おまけ
















2015年4月12日 橋本 公成

2015年4月4日土曜日

150404 【HIROSHIMA NOTES Ⅳ】



ピロティで雨やどり

訃報はいつも突然訪れる。
叔母の骨を拾った後、花曇の夕暮れは、やがてポツリポツリと花散らしの雨にかわり皆既月蝕の月を隠す。
保存調査で全面足場で囲われ、正面はメッシュパネルで覆われた広島産業奨励館(原爆ドーム)偶然にも建設百年目前夜。雨はよりいっそう激しさを増し、雷鳴とどろきながら何度も何度も落ちるピカッが延命処置中の身体のようなドームのシルエットをはっきりと浮かび上がらせる。
こんな時、丹下健三の大きなピロティはありがたい。過去三度、訪れていて今回初めて意識するピロティ列柱の形状。慰霊碑の埴輪屋根形状と呼応する曲面。雨やどりをしなかったら、こんなに曲面を多用した柱で平和記念資料館が支えられていたことに気づかなかっただろう。
雷雨の中、燃え続ける灯火。
叔母を送った広島の夜。

ー 場所: 広島平和記念資料館 / Hiroshima Peace Memorial Museum









fb:春日井 未琴 >
ピロティを抜けると緩やかに下り原爆ドームが慰霊碑の中に納まるという広場の設計。サンピエトロの影響だそうです。知らず知らずそこを通る人々を祈りの中心に引き寄せる。素敵な設計です。
2015年4月6日 14:25 

fb:橋本 公成 >
なるほどサンピエトロですか。緩やかな傾斜、平和の灯~慰霊碑あたりが水溜り激しくピロティに近づくにつれ水たまりがなくなっていくことで実感しました。中島地区全体の広い全体計画のなかで微妙な高低差がそこかしこに仕組まれているんですね。
2015年4月6日 16:07


中央棟を支える四隅の柱はフィンランド建築家、アルヴァ・アアルトの花瓶のような曲面を連想させる。アアルトの花瓶が湖の形からインスピレーションを得たとされるのに対し、丹下の柱は構造的な理由と日本的エンタシスから導かれたように推測できる。



iittala 製アルヴァ・アアルト花瓶
http://www.scope.ne.jp/iittala/alvar_aalto/



保存調査で全面足場で囲われ、正面はメッシュパネルで覆われた広島産業奨励館(原爆ドーム)偶然にも建設百年目の前夜。






20数年ぶりの広島。路面電車はヨーロッパ風のトラムに。
















橋本 公成  2015年4月4日 19:40

2015年3月24日火曜日

150308【「記述」されたこと、「記述」されぬもの】「愛知ノート」


【「記述」されたこと、「記述」されぬもの】
私の「愛知ノート」~備忘メモ、「記述」されぬもの~
2015/03/08 愛知県陶磁美術館 "AICHI NOTES" 展にて


●学際的観点からの「愛知陶磁」についての「記述」は、ある意味、今までにないプレゼンテーションではあったが。。

●忘れ去られた産地、「猿投古窯」の記述。なぜ衰退し、中世産地、瀬戸へとってかわられたか。<岩崎、高蔵寺、鳴海、黒笹、折戸、東山など現、東郷町から日進市、三好市、名古屋市緑区にかけての「猿投古窯」中心地について>

猿投古窯、岩崎45号窯
猿投古窯、岩崎45号窯
猿投古窯、岩崎45号窯

●780年頃、黒笹7号窯(東郷町)で須恵器や原始灰釉陶器が焼成される。
●東郷町の歴史;奈良、平安時代、猿投山西南麓古窯跡群の中心として栄えた(都に献上する陶器類の生産が、この土地の生業であったと考えられる)についての記述。
●1957年、愛知用水の大規模工事の開始に伴い、沿線の古窯跡が次々と破壊されるのを憂いた本多静雄、名古屋大学の考古学教室が中心となり大規模な発掘調査。
●結果、それまで瀬戸・美濃の中世窯が発生とされていた灰釉陶窯が次々と姿を現し、空白であった奈良~平安期の陶磁史が一気に埋められる大発見となる。

●「猿投古窯」とはどこか?;
猿投山麓周辺の中世瀬戸系の窯と混同されやすく、紛らわしい名称。<名大、澄田教授、楢崎助教授たちは、黒笹の窯跡に立ち「名前をつけないと具合が悪い」ということになり、澄田教授の「まだ後から後から見つかるかもしれんから、広い名前がよかろう、ここから見ると猿投山の頂上が見えている。あそこから西の方と南の方、猿投山西南麓古窯址群としたらどうか。」との提案により略して「猿投古窯」と命名された。しかし、その後の発掘調査により、窯跡の分布は尾張東部から西三河西部であることが判明し、遠く離れた猿投山麓周辺の中世瀬戸系の窯と混同されやすく、紛らわしい結果となったのは否めない。>from wiki
●猿投古窯の特殊性は、地元の原料を用い、朝鮮半島から5世紀半ばに伝えられた須恵器の技術をもって、大陸から舶載される美しい青磁の国産化を図るという、当時の文化・情報・技術の粋を結集したハイテク窯であり、青磁を模索する過程において、本邦初の高火度施釉陶器・猿投白瓷(さなげしらし:灰釉陶器)を産み出した点である。from wiki
●確かに2点の展示物はあったが、カタログにも「猿投」と書かれているだけで、地名と歴史的産地の誤解、混同をあたえるのではないか。
●愛知用水ルート知多半島から瀬戸へとつながる台地に区切られた東海湖東部=猿投古窯。
●造成で掘り返すと白い粘土層がでてくる、地名に残る「白土」(東郷町)。猿投古窯の中心地での窯業原料産地?「祖母懐」の土はあっても「白土」の土サンプルはない。

祖母懐土と蛙目(ガイロメ)

●地形と技術(猿投古窯);高低差を利用した当時最新ハイテクの窖窯(穴窯)5世紀古墳時代、朝鮮半島百済帰化人とともに須恵器の技術が穴窯と同時に伝わる。
●瀬戸、常滑、高浜といった現在につながる産地中心の記述。

●人の移動;有田からの磁器技術はよく知られるが、他産地からの職人の移動、流通について。
●三階常設で出くわしたなじみある「ひだりうま」の図柄、相馬焼。双葉郡浪江町の焼き物。
●他産地からの職人の移動、流通について;農業との兼業、出稼ぎ、国内流通。知人先祖は会津から瀬戸へ移住した家。愛知と他産地との人の移動。
●相馬焼;縁起物の絵柄「ひだりうま」顔はどっち向き?
●相馬焼;江戸時代元禄、下男の左馬に命じて日用雑器を焼き始めたのが始まり、2011年3月11日釉薬の原料、砥山石が原発事故の放射能汚染により採掘不可能となる。


●20年ぶりのインスタレーション「三重のガラス越しに見る土」。
"THIS END UP 0606-1501" 戸田守宣
●20年前、同じ部屋、同じガラスケース内壁全面に直接インスタレーションされた圧巻の作品との差異。パッケージされた、三重のガラス越しに見る土。








2015年3月24日 3:28 記

2015年3月21日土曜日

150321 サクラサク やくざな道に 仲間入り

 

満開、角丸の枝垂れ桜


サクラサク やくざな道に 仲間入り
おめでとう!!
しかし、これからが本当の地獄!精進!精進!!



今は切られて亡くなった角丸(廃業)の見事な枝垂れ桜 (2025年追記)

新年度から愛知県民の方々が支えているまなびやに、息子がお世話になることになりました。オヤジと異なる高尚な芸の世界。「何の根拠もない自信」だけで臨んだ姿を見ていると40年前の自身を見ているようで危うく、恐ろしさすら感じます。親の責任を放棄するわけではありませんが、人は他人様が作ってくれるものと実感しております。知合いの方々も多いところ。どこかで生意気なこと言ってる若造に出会ったらパッカーンと頭叩いて叱咤、ご指導よろしくお願いいたします。  <親バカの冷や水>

fb-橋本 公成
2015年3月21日

2015年3月18日水曜日

【愛知用水 矢田川サイホン】


【愛知用水 矢田川サイホン】
高低差を駆け上ってきた水、いきなり本地の丘上から始まる。高低差を利用した逆サイホン。今日も来てしまった、お気に入りの場所。






ぷっつりと水は落ちて終わる開水路。と、錯覚するが、流れは逆。いきなり始まる愛知用水 本地第一開水路。不思議な風景









三郷開水路から瀬戸街道にぶつかるところで折れ曲がってから一直線にこの高低差まで駆け上る、見えてないようで、はっきり見える愛知用水。






流れに逆らい、進まないカルガモを見て、やはり水の流れは矢田川サイホンの方から













愛知用水
https://www.google.com/maps/d/viewer?oe=UTF8&msa=0&ie=UTF8&brcurrent=3%2C0x6004bad5499332e7%3A0xeb5fa65d181541a7%2C0&mid=1qo6tR-jk8r-un7oiP7RRJl-_vWU&ll=35.36568447962126%2C137.31055449999997&z=9


逆サイホン用水の最初は、金沢の辰巳用水とな
http://www.geocities.co.jp/drpwd695/tatsumi.html
「兼六園の霞が池に貯めた水は、低地の百間堀の導水石管を使用し再び高い二の丸へ上げる技術は逆サイホンの原理と呼ばれ、高低差を利用している。この原理を用いたのは辰巳用水が日本最初といわれ、その導水石管の工法や技術レベルの高さ、正確さは現在でも賞賛されています。」


矢田川サイホンのすぐ西には水量調節の堰が矢田川に落下するように。
水たまりはキセキレイやカワセミの餌場。



































カワセミの枝。不在











2015年3月18日 16:10

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追記
2015年3月9日 12:50 fb
工事迂回で偶然発見。愛知用水幹線水路本地第1開水路から矢田川へと落ちる高低差の調整水路?キセキレイ、カワセミも飛来し思わず興奮。
木曽の長野県王滝村から愛知池を経、最終的に海底導水管で日間賀島、佐久島、篠島へと続く愛知用水、高低差目線でも面白い。