野菜を包丁という刃物で切るという行為は、日常的には当たり前すぎて何も考えないで無意識に行っている行為である。しかしこの切断という行為、概念に焦点を当てた彦坂尚嘉先生が提唱する「切断芸術」という観点から見れば文明論につながる諸々の事象が見えてくる。
スーパーに並ぶあらかじめ切断された白菜一つ見ても様々な事象が見える。
分配。
核家族。
高齢化社会での一人暮らし。
一つの大きな野菜が腐る前に消費しきれない。
一つの白菜が重すぎて持ち帰れない。
単価を下げるための方法。
不景気の中での消費拡大。
経済格差の中での継続する不景気。
下流民に分断された人々へのサービス。
地域間格差。
切断という加工による原産地表示のすり替え、に近い錯誤効果。
葉物野菜の産地物が3.11以後に消費されない風評被害が6年たった現在も払しょくされていないのはスーパーの棚を見ればリアルな現実である。
包丁という刃物は文明の始まりの産物である。
その道具を用いる切断は文明的な行為である。
しかし葉物野菜は包丁で切断された部分の細胞が破壊されその部分から腐敗が進む。
よって私は葉物を包丁で切らず一枚ずつはがして、ちぎって調理するのである。
キノコ類も包丁で切らず裂くようにしたほうが香りが立ち味が良く絡む。
刃物を使用しない調理は文明に対する野蛮な行為であろうか?
合理的な行為は文明にも野蛮にも存在する。