40年前の冬の日本海の一月。
人影のない雪の積もった夕暮れの海、周りはすでに暗く水平線あたりだけに沈みゆく太陽の光が天使の梯子をつくり、そこだけスポットライトの当たった舞台装置のような風景は埋めようのない若い空虚の隙間に、何か啓示のようなものをもたらしたような錯覚。
たった一人で海を求めて地図のない雪の原を歩き回っていきついた海岸。
少女が日本海の街で拉致されて40年目の日という。
このニュースを聞くたびに、自身の40年前の日本海の風景がよみがえる。
あの日の、人影のない光景を思うと、40年前という同じ年に日本海に一人いたということだけで不思議な親近を覚えるのである。
なぜ、少女は拉致されて、私は拉致されなかったか。
40年前に不明になった彼女の肖像は、若きda vinchiの描くジネヴラ・デ・ベンチ嬢の肖像と、晩年のモナリザの肖像を連想させる。
40年前拉致された当時の少女の肖像写真と北朝鮮によって公開された40代の写真に見る同一人物の変化。
学生服を着てこちらを見ているのっぺりと平面的な顔と、頬の肉がついて不思議な微笑みでこちらを見ている30年後の写真。
ダビンチの描く初期の肖像画と晩年の肖像画は、別の人物を描いたものだが、拉致された少女とその後の30数年後の写真を見ると、同一人物の変化にオーバーラップして見えてしまうのである。