2014年4月18日金曜日

140418 菜の花の絨毯


菜の花の絨毯 













2012年4月18日 18:15   橋本 公成さんは庄内川 松河橋付近にいます。

2014年4月17日木曜日

140417 I knead soil.



I knead soil.
I give water to dried-up clay and knead by hands. During that time, I hear a sound called KUCHYA KUCHYA. It is like the totally muddy play.
And, more than one year, it is forgotten again, and the clay becomes like the dried-up ground.
I give water to dried-up clay again and I knead it again. The repetition of such a thing.
I murmur "plowing the soil is the culture".


土を捏ねる。
ほったらかしにして水分が抜けた粘土に水を与え、手でくちゃくちゃ泥んこ遊び。
そして再び一年以上、忘れ去られ、粘土はまたもや干からびた地面のように。
粘土に再び水を与えて、また捏ねる。
そんなことの繰り返し。
「土を耕すこと、それはカルチャー」などとつぶやきながら。




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洞のアトリエに出勤二日目。リサイクル業者が撤収しだしたから、もう少しここで仕事続けるか。ところで、先日の若者たち、ヤモリのミイラは誰のお土産になったのかな。

2014年4月17日 19:51  橋本 公成

2014年4月12日土曜日

いろはにほへとちりぬるを ~ from wikipedia

メモ:
いろはうたについてWikipediaよりのコピペから整理。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%82%8D%E3%81%AF%E6%AD%8C

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いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす

色はにほへど 散りぬるを
我が世たれぞ 常ならむ
有為の奥山  今日越えて
浅き夢見じ  酔ひもせず 

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いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす京

色はにほへど 散りぬるを
我が世たれぞ 常ならむ
有為の奥山  今日越えて
浅き夢見じ  酔ひもせず 

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古くから「いろは四十七字」として知られるが最後に「京」の字を加えて四十八字としたものも多く、現代では「ん」を加えることがある。いろはかるたの最後においても「京の夢大坂の夢」となっている
京の夢とは朝廷で官位を極める「出世」、大坂の夢とは商売で財を築く「富貴」の夢。夢物語をする前に唱える諺。

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いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす

色はにほへど 散りぬるを
我が世たれぞ 常ならむ
有為の奥山  今日越えて
浅き夢見じ  酔ひもせず 

匂いたつような色の花も散ってしまう。
この世で誰が不変でいられよう。
いま現世を超越し、
はかない夢をみたり、酔いにふけったりすまい。

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文中の「有為」は仏教用語で、因縁によって起きる一切の事物。転じて有為の奥山とは、無常の現世を、どこまでも続く深山に喩えたものである。中世から現代にいたるまで各種の解釈がなされてきたが、多くは「匂いたつような色の花も散ってしまう。この世で誰が不変でいられよう。いま現世を超越し、はかない夢をみたり、酔いにふけったりすまい」などと、仏教的な無常を歌った歌と解釈してきた。

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いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす

色はにほへど 散りぬるを
我が世たれぞ 常ならむ
有為の奥山  今日越えて
浅き夢見じ  酔ひもせず

諸行無常
是生滅法
生滅滅已
寂滅為楽

諸行は無常であって
これは生滅の法である
この生と滅とを超えたところに
真の大楽がある 

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12世紀の僧侶で新義真言宗の祖である覚鑁は『密厳諸秘釈』(みつごんしょひしゃく)の中でいろは歌の注釈を記し、いろは歌は『涅槃経』の中の無常偈(むじょうげ)「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」(諸行は無常であってこれは生滅の法である。この生と滅とを超えたところに、真の大楽がある)の意訳であると説明した。

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いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす

以呂波耳本へ止
千利奴流乎和加
餘多連曽津祢那
良牟有為能於久
耶万計不己衣天
阿佐伎喩女美之
恵比毛勢須

— 『金光明最勝王經音義』

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文献上の初出である『金光明最勝王経音義』とは、『金光明最勝王経』についての音義である。音義とは経典に記される漢字の字義や発音を解説するもので、
いろは歌は音訓の読みとして使われる仮名の一覧として使われている。ここでの仮名は借字であり、7字区切りで大きく書かれた各字の下に小さく書かれた同音の借字一つ乃至二つが添えられている(ただし「於」〈お〉の借字には小字は無い)。

2014年4月5日土曜日

メディアアート ~メディア(媒介)による鑑賞とその誤読~ 切手からの模写「秋冬山水図(冬景)」雪舟筆

4~5歳くらいの頃、鉄腕アトムが始まると紙と鉛筆を持ってテレビの前に座り込みひたすらアトムのイメージを追いかけた。動く対象を線で追いかける熱中。クロッキーと言う言葉を知るのは10年後。
その後、小学生の頃に初めて美術品というものを自発的に写したことが記憶にある。初めての模写。現物は現存しないが、記憶は強い。模写の対象は、雪舟筆「秋冬山水図(冬景)」
模写の元になったのは画集や大きな図版ではなく、発行されたばかりの小さな記念切手。

日本郵便記念切手 第1次国宝シリーズ 第5集 室町時代 1969年2月10日発行
http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/philately/tokyo_nm_painting.html


かっこいいと感じて描きたくなった以外に、なぜ模写をしたかの記憶は無い。
1969年2月10日発行だから、たぶん11才頃。学校から帰ってきて、午後に。小さな切手からB5サイズくらいの紙に拡大して描いた。何がかっこよかったか、再度分析。

1)カラー
画面中央のエイッヤッとひかれた垂直の線はかっこいい。
同時に画面を覆う地のグレーのカラー。そのウオームグレーがカラー印刷により、その色にワクワクした。モノクログレーを色として感じた体験。
当時の媒体によるイメージ体験は天然色カラーへの移行期であった。
白黒テレビからカラーテレビへ。白黒写真からカラー写真へ。
見慣れていた白黒イメージがカラーになることでワクワクしたことはなぜか。
身の回りの日常風景は天然色カラーで広がっているのに、そのことにはカラーとして意識せず、媒体メディアになった時、初めて意識するのはなぜか。

2)小さいイメージ
小さい切手からB5くらいの厚紙に拡大して写した。
部分の比率を測って升目拡大したかは記憶に無いが、この頃の私は、小さい図から拡大して模型を作ることに熱中していたからそうしたかも知れぬ。
中公新書だったかの蒸気機関車に掲載されていた100/1くらいの側面図イラストから9mmゲージ用のペーパーモデルを作ることに熱中していた頃。当時はデジタルコピー機などなかったから部分部分の寸法を物差しで測り、想像した正面図から車軸の幅を9mmにあわせて比率を割り出し採寸する。算数で習った比例を実践で役立てることを楽しんでいたかも知れぬ。
小さい印刷メディアによる美術品は日常に在った。美術館に行かなくても、道端に落ちている東海道五十三次の浮世絵を印刷したマッチ箱。お茶漬け海苔におまけでついているカードなどより、道端で踏みつけられ雨にぬれてアスファルトにへばりついている東海道五十三次を見つけた時のほうが所有欲が高まったのはなぜか。

 *ゼロックスコピー機の登場は画期的なものであった。それまでの、升目を切って線をなぞるような拡大縮小作業はわずらわしくもあり、その行為の途中に感覚が入り込むことから、自身の感覚のイメージが信用できない部分が残るのだ。そんな感覚部分を排除し、機械的に一気に2倍、4倍、10倍に拡大したイメージが現前することはそれ自体感動する出来事だ。

3)書法
描いたのは水彩絵具であるが、水墨画、の書法、運筆をを真似るというものではない。
描かれていない紙の部分の色を再現するため、赤を少し混ぜた黒と白の絵具で油絵を描くように不透明の絵具で画面の隅々まで塗りこめた。画面を覆う褐色がかったグレーが何もかかれていない地色との認識は無かったかもしれない。

4)絵画空間
中央の線と、左側のとがった白い山々。中央の線は手前と奥行きを区切る岩の輪郭という認識は無く、遠景の山の天まで続く、とがった奇妙な輪郭と認識していた。だから画面右の筆の腹で刷いたような墨蹟が岩のテクスチャーを表すタッチであることの認識がなく、その部分は奇妙な木を表すタッチであるかと解釈していた。
岩の輪郭の線が中央の上部から始まっていなく、途中から始まっていることによりこの誤読に繋がった。遠景の空と手前の岩の面が画面上部で繋がっている。つまり私の目は絵画空間をではなく、墨蹟の線を追いかけて何が描かれているかの対象物に向いていたのであろう。
その線が、遠景と近景を分ける岩山の輪郭に見えだしたのは、十数年後、同じように画面中心に遠景と近景を分断するように手前の岩を描いたセザンヌの石切り場の油絵図版を見てからである。晩年作であるというこの絵も近景と遠景の色班は細かいタッチで溶け込み、面として見る時に遠景近景の区切りは曖昧である。雪舟の大胆な太い筆のと異なり、振るえるような細かい細い線がその輪郭を作り、その線は遠景近景の分断をたよりげながら表している。
頭の中ではっきり見えているこのセザンヌの図版を、今ネットで検索しても見つからない。あるいは私の脳の中で作り出された記憶によるイメージかもしれない。

5)大きさ
切手になった雪舟筆の原画の大きさは47.8cm×30.2cmというA3を少し大きくしたサイズである。
模写している時はもっと大きなサイズであると感じていた。

6)線
秋冬図山水図の中央の線が記憶にあったかは定かでないが、20年後、茶碗に描いた山中作画の図では山水画の中に入って、空に線を引く自画像を描いた。



「公成仙人山中作画の図」 貫入土に呉須と塩化コバルト(酸化焼成) 1989年頃


誤読と捏造による記憶のリライティング。それによっても時間は進行し、多くの人々が巻き込まれる事態へと繋がることもあるのは世の常。



*秋冬山水図に対する分析は以下に詳しい。
雪舟《秋冬山水図(冬景)》東洋的視座とオリジナリティ──「島尾 新」 影山幸一2009年02月15日号
http://artscape.jp/study/art-achive/1199351_1982.html