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2023年10月3日火曜日

【メディアアートの歴史】「タンクマン」から「う」の頃を振り返る

「タンクマン」 1989/06/05

 【メディアアートの歴史】「タンクマン」1989
ハプニングは起こらない。
歴史ははっきり意図をもって作られる象徴である。
と、昨晩NHKテレビでお勉強、
と、いうのも笑えるw

「映像の世紀バタフライエフェクト」で中国共産党の歴史が映像で振り返られる。1949年2月3日「北平入城式」を見たソ連のアドバイス「カメラマンは受身的に撮るのではなく 現実を加工し 創造すべきである」によって、8か月後の10月1日、中国人民政府が正式に成立した日の映像では、はっきり意図を持った象徴が成立する。世界に向けて発信されたところから番組は始まり、1989年の天安門で終わる。



その象徴性が2年後の象徴を連想させる。

そして2年後の991年
象徴である「油まみれのウ」は今、検索しても出てこない。F1スポンサーだったBとかのイメージが
静岡新聞  2019.01.10
「嘘つきは、戦争の始まり。」の嘘


湾岸戦争は、戦争のイメージを変えたと話題になった。
テレビを見てる人がテレビ・ゲームのような画面でゲーム気分で戦争に参加してるような錯覚にさせる。テクノロジーの進化によってメディアが出来事(サブジェクト)と観客の間に立った「媒体」「仲介」という役割から変容する。出来事(一方の主体+伝達者)の視点と観客(受容者)の視点が同一化するという錯覚を助長するようになる。ヴァーチャル・リアリティということばが頻繁に登場した時代。戦争のイメージもバーチャル・リアリティと混在し、ブラウン管の中で起こっている戦争が、現実の戦争かフィクションか曖昧になり血を流す肉体を介す野蛮な暴力が、メディア・テクノロジーの進化によってボタン一つで建物が消える非肉体的な出来事に置き換わる。
 湾岸戦争とメディアの関係は、メディア・アートの国際展、1991年の第2回名古屋国際ビエンナーレARTEC'91でも批評的に取り上げられた。
湾岸戦争のニュース番組に連日登場していた特徴有る髪型の江畑謙介さん(軍事評論家)を招いてシンポジウムが開かれた。
私はこのシンポジウムを聞きに行っているが、この時、江畑さんの言葉で記憶に残っているのは「メディアが神の視点を手に入れた」で、この言葉でもってシンポジウムが締めくくられた。出品作品に直接政治的なテーマを扱ったものはなかったが、

2022年11月6日日曜日

221106 『起点としての「アートポート」』を聞きに行った。

year card 2004: Kiminari Hashimoto



かつて「茂登山組」であったこともあり、今日は3月に亡くなったPHの池田修さん、8月に亡くなった茂登山先生の供養の意味を込めてイベントに参加してきた。
思い返すと茂登山さんとの付き合いは92年のcoolbreak展に誘っていただいた時からで、港に名古屋港水族館がオープンし併設のJETTYが栄の市民ギャラリーとともに展覧会場だったことでアートポートに繋がる伏線の展覧会だった。
ISEA2002の展示空間を担当していたPHの池田さん指導のもと巨大な白い壁塗りを手伝ったのはいずれここで巨大作品を展示しようと思ってたからで、しかし翌2003年には窓枠が落下し耐震の問題とかでこの巨大壁内装リノベの3号上屋だったかが使用不可に。
そしてこの年の秋にはアートポート自体の打ち切りが決まる。簡単な柵を一つ隔てて保税地区でのアート事業。
授業の講評会をここでやったこともあったが、ここを市民芸術村にという実験は5年で終了。
2004年3月横浜でBankARTがスタートする。


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ストリーミング・ヘリテージ リサーチプロジェクト
『起点としての「アートポート」』
日時:11月6日(日)14:00-17:00(30分前より受付)
会場:名古屋都市センター 11階まちづくり広場 ホール(名古屋市中区金山町1-1-1 金山南ビル内)
ゲスト:武藤勇(N-mark)

「子ども、遊び、アート」という視点はあまり重視されてないところがあってかアーカイブ的にも途切れてるのですが、茂登山先生は愛知県児童総合センターのプログラム公募審査などセンターとの関わりもあったので、アートポートの遊びのアジトと児童総合センターの活動はある部分では連動していたのですね。


 fb 橋本 公成
2022年11月6日 
プライバシー設定: 公開
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2021年12月1日水曜日

「古い3D」と「新しい3D」(その2)

 

8年前の投稿をfacebookが知らせてきた。
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https://www.facebook.com/kiminari.hashimoto/posts/566359226776687
橋本 公成  2013年12月1日投稿 プライバシー設定: あなたの友達
片目で見るとリアルなダイオラマ。20年間放置していた両眼視について、思考を再開しよう。
西山 禎泰, 杉山 健司, 加藤 令吉, 高橋 和生, 大平 隆文, 鈴木敏春, 松本 知子

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https://www.facebook.com/masakimuseum/photos/a.133393193499771/213260528846370/
正木美術館 2013年10月29日投稿 公開  

「カリフォルニア コンドル」と杉本博司氏、鈴木芳雄氏。

物黒無の名付け親・杉本博司氏が、展覧会「物 黒 無―モノクローム」をみに来てくださいました!

展示室の杉本作品と杉本コレクションも、生みの親の訪問に、少々緊張しているかのよう…。

11月5日(火)の東京レクチャー 
http://masaki-art-museum.jp/20131018_masaki.pdf 
で、モデレーターをつとめていただく鈴木芳雄氏も、時間をあわせ、来てくださいました。
みなさま、外苑キャンパスでおめにかかれますよう! 
コメント10件
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>高橋 和生(8年前)
心理学ですか。少しかじろうと、図書館で借りて・・・・無理でした。騙し絵の方が楽しいです。(^◇^)

>橋本 公成(8年前)
この画像の掛け軸は現代美術家の杉本博司氏の写真作品です。アメリカ自然史博物館のダイオラマを写したものです。
20数年前、映像の歴史に興味を持っていた私はダイオラマと2つのCCDカメラ、そのライブカメラから取り込んだ観客の映像を出力する2つのブラウン管を遠近法的にダイオラマに合成する装置を発表しました。
その装置は両眼視についての思考以外のほかに多くの要素を含んでいたため、その後の私の作品は複数の興味に分散し両眼視については放置され忘れていたのですが、先日この作品を評価してくれていた人から両眼視についてあらためて気付かされたのでした。
そんな時に今朝、日曜美術館の展覧会紹介のコーナーで正木美術館で開催中の展示で杉本博司氏のこの作品説明でダイオラマと両眼視、単眼視(カメラによる視覚)のことに触れられ忘れそうになっていたことを又、思い出したのです。

>橋本 公成(8年前)

杉本博司氏のwiki、下記にダイオラマに関する部分抜粋  

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E6%9C%AC%E5%8D%9A%E5%8F%B8?fbclid=IwAR3bxp3T_c6G0ua2SxiZLoAo3cWjp9sEK0GmF5DRBlK17JucvBq59nTd8iA

..最初のシリーズの『ジオラマ』では、ニューヨークのアメリカ自然史博物館の古生物や古代人を再現したジオラマを撮った。
片目を閉じた「カメラの視覚」のもとでは、両目で見ると模型だと分かるジオラマが遠近感の喪失によりリアルに見える、という発見からこのシリーズは始まっている。
精巧なジオラマを本物に見えるよう注意深く撮ったシリーズは、「写真はいつでも真実を写す」と考えている観客には一瞬本物の動物や古代人を撮ったように見えてしまう。..



>高橋 和生(8年前)
現実化してみせるには、遠近法。これは私の世界でも。両眼視は、遠近感の為に必要ではあるが、片方の眼だけでかえってジオラマを現実化してみせられるということ。
で、いいのかなあー?
さすれば、他の遠近法を使っていみているのでしょうが、ハテサテ?E.T.ホールの本をよみかえします。

>橋本 公成(8年前)
E.T.ホールの何ていう本ですか?

>橋本 公成(8年前)
エドワードホールの「かくれた次元」でしょうか?昔、本棚にあったような。。

>橋本 公成(8年前)
産業革命とともに始まる人間の大移動、大観光時代と写真、イメージ、視覚について書かれた伊藤俊治著「ジオラマ論」があります。


>橋本 公成(8年前)
20年前から放置された装置です。









>杉山 健司(8年前)
凄く面白そうな話!今度会ったら、このことについて話をぜひ!

>橋本 公成(8年前)
>杉山さん まだ、直感的に思いついたことを試している段階です。何らかの成果に結実するのか?

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「古い3D」と「新しい3D」(その1) 2021年11月7日日曜日
https://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.com/2021/11/dd.html


2021年11月7日日曜日

「古い3D」と「新しい3D」(その1)



この深田さんの番組、本題のことは置いておいて、話の中に登場する「古い3D」と「新しい3D」の技術的なさわりが分かりやすいです。

https://www.youtube.com/watch?v=MKi_aUQWYZ4


ここで語られているホログラム、3Dは、つまりはディスプレイ技術。
古い技術=両眼視差によるホログラムディスプレイ
新しい技術=ディスプレイをのぞき込む人の視点を検知して内部サブジェクトが追尾対応変化する多視点型ディスプレイ
SONYによる多視点型ディスプレイはセンサーとディスプレイをインテグレイトする3Dディスプレイ技術で、イメージセンサーチップの上にメモリを積層するという新技術を確立。センサーで映像を取り込みながら、そのセンサーの裏にメモリがくっついてるので短期記憶保持などにより、オーディエンスの目の位置(視線)が映像のどこを見ているかが変わっていくのを感知し、見せる映像の角度をちょっとずつ変えてゆく。多視点型ディスプレイが一枚のフラットパネルで実現できるというもの。
この、オーディエンスの視点をセンサーで追尾し、オーディエンスが見ている映像に影響を与えるという技術は、第2回名古屋ビエンナーレ、アーテック91で発表された、  さんの作品にありましたね。



Electric Heart Mother  Version03 (1992) のこと

僕も2台のライブカメラ(SONY Hi-8) と2台のブラウン管 (SHARP 14inchTV) を動かして現実空間に両眼視のホログラム風イメージを合成した大雑把なモデル化を作ってみたけど、30年間放置してる間に、どうしようもない粗大ゴミ化していて何とかしなければと焦る。



ふくいビデオビエンナーレでの展示 (1992)




そもそもこの作品を作ったきっかけは、「絵画の遠近法」「絵画の奥行き」についてというフォーマルなテーマから発展したものだった。そのため、この立体的な構造物は「その大きさが遠近法の影響を受ける大きさでなければならない」というのが始めの取り決めの一つであり、その内部にやはり奥行き(遠近法の消失点に向かう先細りの台形を底面に持つ画箱としてのダイオラマ)が作られた。「内部空間を持つ彫刻」ということも一方でのテーマであって、「絵画(2次元)と彫刻(3次元)両方の次元がオーディエンスの視線上で交差する映像装置でもある。」
<実際のダイオラマを実見するよりも、それがカメラで写真になった時により奥行きを持った深い空間を提示する。>ということを示したのは杉本博司氏のデビュー作?ニューヨーク自然史博物館のジオラマ装置を写した写真作品だったが、




another story
<30年間放置してる間に、どうしようもない粗大ゴミ化していて何とかしなければと焦る。>からの  another story 
 日常の生活スペース以上の大きな作品の場合、発表空間の大きさに合わせて分割して作るため会場での設営時にしか改良や銀杏性ができないという欠点がある。普段の制作スペースがそれ以下である場合、毎朝起きて作品に対峙して問題点を少しづつ調整してゆくといった制作方法に至らない。パーツごとの部品は別々に梱包されたりしていて、ましてや電気の来ていない倉庫にあっては実験さえできない。まあこういうことは作家の言い訳にしかすぎず身から出た錆で、泣き言言うな!と天から叱られるが、組み込んだ機材さえもが前世紀の仕様からアップデートしていないとその部分でも機能させるのが困難なゴミになってしまう。こういったことは制作初めのころにもすでに想像がついていたし家電を素材にした作品を美術コレクターなどは手を付けないという一般的認識もあった。それでも後先考えない若気の至りは「青春美術」の無謀のなせることであり、力技で強引にねじ伏せるといった狂気じみた行為であったのかもしれない。

another story 02
 この作品は、茂登山清文先生に声をかけられた1991年末~1992年年始にかけてのグループ展 cool break へ出品することを決め、91年秋より制作を始めた。勝川のアパートでの制作が限界だったので、年末二つのグループ展出品のため、瀬戸に仕事場を借りたのである。陶芸家中村康平氏が陶壁制作用に借りていた栗木製陶所の一角をシェアさせていただいたのが始まりで、康平さんが金沢に帰る94年頃まで制作場のシェアは続いた。

(つづく)

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about my work: Kinetic structure  2016年10月8日土曜日

ライブカメラ ビデオ ストラクチャー  2015年12月20日日曜日

Diorama of EHM 1992 -01  2014年5月12日月曜日






2019年2月16日土曜日

New project of "佐竹本三十六歌仙絵巻"

Kodai no Kimi (Yamato Bunkakan)
小大君      (大和文華館)



2019年秋に分断されてバラバラになった絵巻が京都国立博物館に集結する展覧会が開かれるというニュース。

旧秋田藩主 佐竹侯爵家に伝来した三十六歌仙絵巻は1919年(大正8年)に分断、軸装され所有者がばらばらになったという。
この絵巻の運命は明治、開国による日本の近代化、社会構造変化の中で、日本美術の受容鑑賞方法に変化をもたらした事件でもある。
藤原公任によって11世紀初めに撰された三十六歌仙、そしてその36人をもとに13世紀鎌倉時代に制作されたという、いわば編集された肖像イラスト付きの本のような美術であると考えるならば、鑑賞形式としてバラバラに個別に鑑賞されてもよいと言えなくもない。現代から見ればその方が民主的と言える。

絵巻物は個人向けに鑑賞されるメディアであるが、ある特定の個人(所有者)によってのみ受容鑑賞されたのだろうか。貸本のように、所有者のつながりの中で回し読み的に鑑賞されたのだろうか。いずれにせよ、庶民の目には触れることのなかったものであろう。
その絵巻が分断され、再集結し博物館で展示され老若男女を問わず庶民にも鑑賞可能となるということではあるが、庶民の鑑賞方法は限定されるだろう。
しかしはたして2019年現在、庶民とはだれかということだろう。見に行く人は、この絵巻物に興味のある趣味人であるだろうし、博物館の入場料金すら日々の生活費の中で生きるためにのみ必要とする者にとっては、たとえ興味があっても二の足を踏むだろう。というかその情報すら耳に届かないかもしれない。つまり、依然として美術鑑賞は特定の生活安定環境にいる人々の間で成り立っているのであり下層民は下層民の中でのコスパによるエンタに時間を消費するだろう。

そういったことをいろいろ考えていると、今、この絵巻をテーマとする新しいプロジェクトとしての作品化は意味深いものであると思う。そこであらわされている雅な世界は誰に向かって発せられるかという問いを含んだ日本美術の現代の作品として。

ISE Satake36poets
伊勢  (個人蔵)



引用元
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E7%AB%B9%E6%9C%AC%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%85%AD%E6%AD%8C%E4%BB%99%E7%B5%B5%E5%B7%BB


歌仙名   1919年当時所有者                              現所蔵先
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柿本人麿   森川勘一郎           出光美術館
凡河内躬恒  横井庄太郎(古美術商)               個人蔵 (狩野探幽筆の補作)
大伴家持 岩原謙三(芝浦製作所社長)           個人蔵
在原業平 馬越恭平(大日本麦酒社長) 湯木美術館
素性法師 野崎廣太(中外商業新報社長) (所在不明)
猿丸大夫 船橋理三郎(株屋) 個人蔵
藤原兼輔 染谷寛治(鐘淵紡績重役) 個人蔵
藤原敦忠 團琢磨(三井合名会社理事長)        個人蔵
源公忠 藤田彦三郎(藤田組) 相国寺承天閣美術館
斎宮女御 益田孝(三井物産社長)                 個人蔵
源宗于 山本唯三郎(松昌洋行社長)           文化庁保管
藤原敏行 関戸守彦 個人蔵
藤原清正 藤田徳次郎(藤田組)                    個人蔵
藤原興風 大辻久一郎 メナード美術館
坂上是則 益田英作(益田孝の弟) 文化庁保管
小大君 原富太郎(生糸貿易商) 大和文華館
大中臣能宣 高橋彦次郎(相場師) サンリツ服部美術館
平兼盛 土橋嘉兵衛(古美術商)   MOA美術館
住吉明神 津田信太郎 東京国立博物館
紀貫之 服部七兵衛(古美術商) 耕三寺博物館
伊勢 有賀長文(三井合名理事) 個人蔵
山部赤人 藤原銀次郎(王子製紙社長) 個人蔵
僧正遍照 小倉常吉(小倉石油社長) 出光美術館
紀友則 野村徳七(野村財閥創始者) 野村美術館
小野小町 石井定七(相場師) 個人蔵(東京国立博物館寄託)
藤原朝忠 小林寿一 (所在不明)
藤原高光 児島嘉助(古美術商) 逸翁美術館
壬生忠岑 西川荘三 東京国立博物館
大中臣頼基 益田信世(益田孝の子) 遠山記念館
源重之 嶋徳蔵(大阪株式取引所理事長) 個人蔵
源信明 住友吉左衛門(15代)(住友銀行創設者)       泉屋博古館
源順               高橋義雄(三越呉服店理事) サントリー美術館
清原元輔 高松定一(3代)(名古屋商工会議所会頭)      五島美術館
藤原元真 嘉納治兵衛(7代目)(白鶴醸造) 文化庁保管
藤原仲文 鈴木馬左也(住友総理事) 北村美術館
壬生忠見 塚本與三次 個人蔵
中務 山田徳次郎 法人蔵

*1919年当時の所有者については、参考文献に挙げた『秘宝三十六歌仙の流転 絵巻切断』による。
(馬場あき子、NHK取材班『秘宝三十六歌仙の流転 絵巻切断』、日本放送出版協会、1984)


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7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集であり、天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたものとされる万葉集。その中からも三十六歌仙の人物が撰されている。さまざまな身分の人間といっても歌を詠めない人は含まれないだろう。

万葉集
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86


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久米の岩橋
2019年11月11日
https://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.com/2019/11/blog-post.html



2018年6月12日火曜日

Woods's chair ウッズの椅子

"newspaper for PUBLIC MOTHER"  Kiminari Hashimoto  Sep.1997:  photostat work


The Radical and Contagious Ideas of Lebbeus Woods
Aida MironJune 11, 2014
https://hyperallergic.com/131802/the-radical-and-contagious-ideas-of-lebbeus-woods/?fb_action_ids=659130090832933&fb_action_types=og.likes
2014年6月12日 12:31



In 1997, I borrowed the design of the chair of Mr. WOODS for the purpose of giving information science symbolic form.

'97 私は、情報科学にウッズとは異なる象徴的な形を与えるためウッズの椅子を借用した。

installation view at ORIBETEI ex. Kiminari Hashimoto


DM of 1997ex. Kiminari Hashimoto : post card


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Lebbeus Woods, “Centricity” (1986–88), graphite, ink colored pencil and sepia wash on paper, part of a series of eight drawings, dimensions variable, San Francisco Museum of Modern Art (image courtesy the Drawing Center)
レベベウス・ウッズ「Centricity(中心性)」(1986-88年)黒鉛、紙のセピア・ウォッシュ、8つの図面のシリーズの一部、可変寸法、サンフランシスコ現代美術館(イメージ礼儀作図センター)

このドローイングイメージはテリー・ギリアム監督の映画「12 Monkeys」に登場します。
96年当時、私も非常に熱中してVHSまで買って制作中流しっぱなしにしてました。
ストーリもさることながら興味深いのはアンビルド建築家レベウス・ウッズのドローイングが尋問椅子などが映画中のインテリアで借用されていること。
無断借用されたウッズは本気で知的著作権を争いたかったわけではなかったらしく、勝訴しても作品内のその映像が残ることを許し、金銭的和解したこと。


テリー・ギリアム監督の歴代映画の撮影現場を写した舞台裏写真が映画系ブログに大量アップされ話題に    2015/01/22 16:55掲載
http://amass.jp/51277/

テリー・ギリアム 映画「12 Monkeys」
https://ja.wikipedia.org/wiki/12%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%82%BA



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The Radical and Contagious Ideas of Lebbeus Woods
Aida MironJune 11, 2014

https://hyperallergic.com/131802/the-radical-and-contagious-ideas-of-lebbeus-woods/?fb_action_ids=659130090832933&fb_action_types=og.likes

---google 機械翻訳

ドローイングセンターの建築家Lebbeus Woodsは、待望のLebbeus Woodsの急進的建築の35年に及ぶ作品を展示しています。 この展示は、図面、ノートブック、ゆるいスケッチ、コラージュ、物理的構造、スケールモデル、本格的な絵画、出版物、マニフェスト、および彼からのエントリーからのテキストの断片の光とテクトニクスの分野での驚異的な ブログ。

ギャラリー空間の制約に常に挑戦し、壁に絵を吊るしたり、架台にモデルを展示したりする常用の実践を展示することは、どのキュレーターにとっても挑戦です。 ウッズは、2000年代初めまでに、建築出版物やパンフレットの出版図面から構造的なフィールドや一時的なインスタレーションの物理的な構築に移った。ニューヨークのCooper Union Houghton GalleryのThe Storm(2001)、The Fall )、ウィーンの応用芸術院のシステムウィーン(2005)などがあります。 ウッズは、先例のない建築作品を展示するリスクを冒す意欲があったため、これらの展示スペースとそのキュレーターが最初の顧客であると冗談を言っていました。

ドローイングセンターでは、プレゼンテーションに関しては、過激主義は勝利しません。 ウッズの図面は、慣習的に時系列にフレーム化され、モデルとノートブックはペデスタルに表示されます。 しかし、おそらく私たちはこれを無視して、作品の空間に直接入り込んで、1つのグレーの部屋に圧縮された膨大なエピステムを直接探索することができます。 ウッズの作品は「ファンタジー」と呼ばれ、サイエンスフィクションのイメージと比較されていますが、この回顧は、サンフランシスコ近代美術館(San Francisco Museum of Modern Art)の元の場所で2013年に開催された建築とデザイン展の4番目に大きなものでした。 おそらく、ウッズのビジョンは制度的教授法に挑戦し、その根本的な実験、政治と建築との関係の妥協のない質問、強力なイメージ、そして変容の道具としての光、人間の知覚、建築の現象論を探究するためです。

ドローイングセンターでギャラリーに入ると、ボイドのあるセンターとその側から発せられる建物のような構造を持つスチールクロスと、宇宙に浮かぶ墓の4つの図面があります。 アルバート・アインシュタインに捧げられたこのプロジェクトは、1980年にパンフレット・アーキテクチャーのために創設されたウッズの最初の出版作品のひとつです。建築家は、「地球から放出された光線を外側に飛び越し、 「この墓の提案は、アインシュタインの時間、相対性理論、場理論、物理学のアイデアからインスピレーションを受けたものです。 白くエッチングするような背景にインクとグラファイトで描かれた図面は幾何学的なボリュームの静物を描いています。 それらは、銀河間の光と重力のない物体の浮力を捕らえ、映画のように、ダイナミズムと次の方向性の変化を予期する1つのフレームの静寂と正直さを捉えています。

「アイオン」(1981年)、「セントリシティ」(1986年)、「A市」(1987年)のようなプロジェクトでは、ウインズは新しいレンズを使ってアインシュタインの考えを探求しました。都市システムとサイバネティックスハインツフォンフォスターのVon Foersterは、1950年代と60年代のオーストリア系米国人科学者であり、初期のサイバネティクスの建築家でした。ウッズはアーバナ・シャンペーンのイリノイ大学の建築学校で彼に遭遇しました。ボーン・フォースターは電気工学の教授でした。これらの初期のシリーズでは、ウッズは技術と認知科学に非常に関心があり、自己組織化や通信ネットワークなどのサイバネティクスの概念を実験的な都市計画に統合しました。これらの都市は、階層化されていない都市構造である「異端者」として配置されています。一見すると、彼らは荒廃した、無人の、黙示録的で終わりのない、廃墟のように見えますが、スクラップメタルのさまざまな部分や再建された戦争機械で構成されています。まだ居住の痕跡、器具で満たされた研究室の塔、コミュニケーションのための球状の照明器具があります。軽量構造は、複雑なネットワークで様々な規模で接続されています。

これらの都市探検の期間中、ウッズは1985年のロンドンでの大規模な展覧会と1987年のサンパウロのfavelas訪問の2つのイベントの結果として「急進的」でした。展覧会は彼のニューヨークスタジオ 2004年出版のLebbeus Woods、Experimental Architectureによると、教授と過激な思想家として国際的に彼の名前を確立している。 この本は、ブラジルの訪問が彼の考えに及ぼす影響についても述べている:「彼のプロジェクトは、サンパウロだけでなくどこでも緊急の人間の問題に直面するには不十分であった」 重要な疑問を浮き彫りにし、アーキテクチャに何らかの行動が可能であることを実証している」

1988年から1995年にかけて、ウッズの有名な出版物「アーキーアーキテクチャー:政治法(1992年)、戦争と建築(1993年)、ラジカル再建(1997年)」で見つかった図面は、戦争、再建、領土分割、 。ウッズは、第二次世界大戦中の彼の育成によって大きな影響を受けた - 彼の父親は、ニューメキシコの原爆の開発とテスト、そしてその後のこれらの場所への近接によるガンの希少な形態による死亡と、その後のクロアチア戦争の経験ザグレブを訪問している間、独立した彼の将来の妻に会った。このシリーズの最も一般的な形式は、ArchigramのPlug-In Citiesとコラージュ実験からインスピレーションを得た、自由に動く街の照明構造です。たとえば、 "空中パリ"の家は、エッフェル塔と密集した都市の上に凧や断片化されたツェッペリンのように浮かびます。それらは構造的で、窓と内部の階段を備えていて、さまざまな部分で構成され、ケーブルと軽い布でつながっています。それらは機械的であるが、奇妙なことに昆虫に似ており、殻が互いに移植されている。

ベルリンの壁崩壊前の1988年、ウッズはドイツの首都を訪れ、街の政治部門、乱れ、活気に満ちた地下の風景に魅了されました。この旅の間に、彼はUバーンのラインに沿った地下自治コミュニティのための注入されたフリーゾーンとして構想された "アンダーグラウンドベルリン"(1988年)のコンセプトを開発しました。彼はブログのエントリー「Underground Berlin:the Film Treatment」のこの根本的な不安定化を「建築的手段によって達成された既存の社会統制の権威主義体系の破壊」と表現している。

ベルリン自由地帯(1990年)では、「地下ベルリン」に続いて、コネクティビティとフローティングチェアの「白い箱」が住むフリーゾーンで噴出する創造力を調べます。これらのコラージュされた図面では、ダイナミックな建築構造が過去数世紀から固定された建物に衝突し、デカルトデグリッドを破壊する内部空間に爆発します。これらの空間は、宇宙船に似た金属構造から構成され、時には硬く、構造力の圧縮下で折り畳まれ、時には布のように柔らかい。これは冷戦後の都市計画の代替案を提示する自由思想の光、コミュニケーション、破壊的な自治についてのプロジェクトです。ウッズは明らかにベルリンの崩壊、半分占領された空間、そして資本主義の新しい覇権の下で都市が清掃されれば消えていく痕跡を念頭に置いていた。これらの図面は、明るく暗い、硬くて柔らかい、古いものと新しいものとの間の完全なバランスをとる。

ベルリンフリーゾーン(1991年)、ザグレブフリーゾーン(1991年)、および「サンフランシスコ:震災に生きる」(1995年)は、いずれも紛争地域を探検し、 流体および動的形態の構造を通じた無指定の空間。 ウッズが作成した空間は、モダニズムのマントラとは対照的に、それぞれの用途と各ユーザに適応する「意味のない自由」(やはりLebbeus Woods、Experimental Architectureのもの)である。 彼は新しいサイトに自分自身を注入するにつれて、自分自身を常に発明しているアーキテクチャです。

Lebbeus Woods、Architectは6月15日までDrawing Center(35 Wooster Street、Soho、Manhattan)で続きます。





2016年10月8日土曜日

about my work: for image experience

"MOTHER 2 prototype" Kiminari Hashimoto 1999;AV機器,アクチュエーター,光源類,アナログ制御回路他 photo by Ito tetsuo 撮影:怡土鉄夫



①体験者が映像を動かす

体験者の発汗などによる、身体の電気抵抗値の変化をスイッチとして映像機器,光源,アクチュエーター類を作動させる。


Title of work: MOTHER 2 prototype
date: June 1999
scale: 600(H)500(W)500(D)cm/installation area
materials: medical instrument, monitor, projector(video,slide), control circuit,VTR,lights,headphone,mirror,etc.
exhibition: MEDIASELECT 1999

 description ----------------------
The person who tries to experience this work must sit on a chair and put on a headgear and are forced to listen to baby's squall and see squalling baby's mouth. The change in electro resistance level of bodies by secretion of sweat etc. activates visual devices, lights and actuator and influences the visual image (gigantic image of a pregnant woman who is rubbing her abdomen slowly) projected on the wall. The image projected on the wall all the time seems to appear like a spiritual medium in the real space, as the image is taken with black background. It has a significant meaning for the work and for the exhibition space (a grain warehouse with the ceiling of six-meters high) to use the image as a spiritual medium that appears in the space, instead of using a screen and showing it as a framed flat image. It was impossible to show this gigantic woman's image with the height of six meters if it were not in this space. Therefore, this work can be called a site-specific media installation.
Two kinds of other images are overlapped on this image of a woman. One of them is 100-cut still pictures shown by a slide projector. The image of the back of a man and texts, empty cuts (light only) are reflected on a mirror with an actuator installed and they move vertically with high rapidity. The other image is a visual image of a fetus filmed with a supersonic camera and it moves horizontally at the level of the woman's abdomen. Both images are made that audience do not become aware of camera's frame, and they seem to be synthesized with the woman's image. However, unlike digitally edited images, these images can move around in 3-D space by moving each device separately.

The change in detection of body electro resistance level, which is set with five levels, activates visual devices, lights and the actuator for projecting them to the space. When the electro resistance level of the experiencers reaches the highest level, all the devices are activated and lights white out the image on the wall. This situation is rather violent.

This work replaces experiencers' physiological reaction with visual phenomena and creates spectacular visual spaces out of them. It can be seen as a visual-image mixer which takes the experiencer as a media. The audience sees the experiencer (=media) and the change in the image on the wall, which exteriorizes the experiencers' physiological reaction. Lobotomy device which stimulates maternity by perforce and the visual space which is programmed to change in advance (closed-circuit-installation).
This is a meta-media installation which metaphorizes the brainwash of women by the paternal society (culture), and presents a model of the information society.

M2-system Kiminari Hashimoto 1999

Background of the work -------------------
"Why do baby's squall make us feel fear or even hideousness?" -Consideration about maternity in the environment where corporeality is weak.-

The title of this work "MOTHER 2 prototype" implies not only an experimental of the work with the same title presented since 1997, but also a prototype of the secondary "mother" and the secondary "motherhood" "Does a mother react to the digitalized baby's squall and mother's milk would be induced?" With this rather non-sense question and the production of a device that draw the experiencers' physiological reaction (milking suit), this series of works has started. The below is the original interest points. A question about "motherhood" which we are told to be invested in women as instinct from the beginning.

Empathy and physiological reaction to life and body that are made into digital information. It is not communication between real human beings, but that through media.
The possibility of biological human being which is changing in the digital information society. The information provided by perforce to experiencers (image of baby's mouth and squall) is the same in the first work and this work. The image and sound is cut out from daily life for several minutes and framed and edited into endless VTR. By putting them in different space, it gains different meaning.

Why do baby's squall make us feel fear or even hideousness?

Our history has been modernized by deleting hideous nature as its dark side. It is often said that to us, who stand on such a history, the only nature left is body, and events of birth and death. But today, even that recognition is becoming weak. Life appears in such a civilized human society all the sudden as hideous nature. Sometimes our confusion about how to communicate with life comes up to the surface as incidents like abandonment of mothering and child abuse.
Provided that "motherhood" is invested originally and biologically from the beginning, the secondary motherhood can be considered to be inprinted artificially and a posteriori by information. It is possible to say that it is the history of paternal society (= culture) that prewires women that female is the gender which born and raise children. The presentation of this work metaphorizes such messages.




②映像を巻き取る


"CLOTHO" Kiminari Hashimoto 1995;スライドプロジェクター,100カットの35mm ポジフィルム,綿ロープ,木,鉄,下駄

 体験者はロープを巻き取りながら投影映像を変化させる。奇妙なアニメーション装置。




③映像の中に入って見る


"Face to face"  Kiminari Hashimoto 2007;ビデオプロジェクター,VTR,布   写真撮影:青木孝夫



写真撮影:青木孝夫





【for image experience / 映像体験のために】


19世紀末(1895年)リュミエール兄弟が発明したシネマトグラフに始まるスクリーンに向かって大勢で一つの動画を見る映画館。
箱の中に入った一台のテレビを家族全員で見た昭和30年代。
VTRの登場で独りで見る映像体験が主流に変化し、やがて、深夜のファミレスでは、恋人たちは向かい合って座りながら、お互いスマホをいじって異なる映像を見る。
そんな20世紀末~21世紀初頭の仕事。

installation view at Nagoyako(Nagoya port) subway station: Kiminari Hashimoto 1999





art-05
https://www.facebook.com/kiminari.hashimoto/posts/798837823528825


2016年9月15日木曜日

a morning religious service





day #21431: 5 Sep. 2016
am5:30 ホテルをチェックアウトしヤンゴンからマンダレーへ
天気は雨、あたりはまだ暗い
運転手はモーモーのおじさん62歳
片道11時間の行程
ヤンゴン市内~高速、2時間半走ったドライブインで朝食
チャーハンと豚バラ肉を甘辛く煮たもの
朝のお勤めがテレビから流れる

Electric Buddhism

TV Buddhism

テレビからお経、新鮮
そういえば「テレビ仏陀」というのもあったな

http://www.fjnet.com/fjlw/201108/t20110803_183323.htm


いや、「芸術作品」などではない
やはり大乗仏教でないスリランカでも感じた事だが
生活のすごく近いところに浸透している「仏教」
国宝、文化財とか保存の対象として奉られる古寺院などではなく
絶えず現在に引き寄せられ、現在の技術でもって更新されている
LED電飾された仏像
テレビからお経の放送
スリランカで見た岩窟の仏教壁画は絶えづペンキで塗り直されてるように鮮やかな色で
詫び寂の保存ではない


Electric Budda


Shwe Daza Paya




















いや、「芸術作品」などではない
やはり大乗仏教でないスリランカでも感じた事だが
生活のすごく近いところに浸透している「仏教」
国宝、文化財とか保存の対象として奉られる古寺院などではなく
絶えず現在に引き寄せられ、現在の技術でもって更新されている
LED電飾された仏像
テレビからお経の放送
スリランカで見た岩窟の仏教壁画は絶えづペンキで塗り直されてるように鮮やかな色で
詫び寂の保存ではない




2015年1月28日水曜日

day #20838: 150120note cut out




それはちょうど昨年の今時分だったろうか。
おかしなことがはじまった。
いや、もっと前からかもしれない。
いやいや、ずうっーと、ずうっーと昔からだったかもしれない。

そして、昨秋くらいからよりいっそうおかしなことに拍車がかかった。


背景から切り離された私たちは一体どこにマッピングされる?

光り輝く砂粒と青空の
いたるところ光に満ち満ちた
陰をつくることさえできない過酷過ぎる地に
輪郭はやたらくっきりと
はさみで切り取られたように
背景から断絶され
マッピングされる

ここが「豊穣の海」?



「野蛮」を必死に腹の底に閉じ込めてきた「近代」が
内側から肉を喰いちぎって表に出る。
自ら臍の緒を喰いちぎって出てきた赤子のように

しかしそこは、陰さへつくらない
光溢れる過酷な地
「野蛮」はどこにも隠れられない。


「近代」も「野蛮」も
光に焼かれ、一瞬で蒸発する地

「近代」によって書かれたstoryも
神という誰かによって書かれた物語も
光によって一瞬で蒸発した。



背景から切り離されたヒトとヒトとヒト
cut out from the background





2014年6月5日木曜日

仏典結集~第4回仏典結集(スリランカ、アルヴィハーラ石窟寺院)


第4回仏典結集が行われたアルヴィハーラ石窟寺院(スリランカ)


紀元前1世紀、ヴァッタガーマニー王の時代。それまで口誦で伝えられてきた仏典が、この時、初めてシンハラ文字でパピラに記されたという。
場所はキャンディからシーギリヤへ向かう途中、ダンブッラの少し南。
自然な岩山を利用し、大きな岩をくり抜いて複数の石窟があり、釈迦の様々な段階が仏像とフレスコ画で安置されています。この立体イラストレーションは一般人向けにお釈迦様の教えを説くために作られたのでしょうか。敷地内に広がる複数の石窟は「教え」のダイオラマのようでもあり、それをまわることはテーマパークのようでもあります。


『結集(けつじゅう)』とは
お釈迦様の教えを、弟子やお釈迦様に関係した人達が集まり、整理・記録をする作業のことだということです。
お釈迦様が説法で説かれた教えは口頭で行われたため文字化されていません。弟子達が記憶していただけで、体系的に文書として記録される事がありませんでした。お釈迦様が入滅後、やがてその教えに「歪みが生じ」、「将来的に正しい教えが継承されない」可能性があったため文字化した仏典を作る必要があったということですね。

しかし、文字化による整理、編纂という作業は、ある意味で教えから遠ざかってゆくことだとも感じます。文字化による伝播は、教えを広く伝えながら同時にいくつもの派を生むことにもなるからで、歴史とはまさにそういうものだと感じることもできます。
同じ仏教から発していながら、教義の部分部分が派によって強調されたりして行く中で敵対する集団としての宗教団体がいくつも存在している現代を思うと文字化という作業に複雑な感情を持ってしまいます。


入口駐車場から石段を上って寺院に向かう途中、僧侶に日本語で声を掛けられました。その僧侶は日本へは何度か行ったことがあるといいました。それも名古屋の覚王山日泰寺。不思議な縁を感じました。
ここでパピラの製造工程が見れる施設があるということを帰国後に知り、少し残念な気がしました。

ヤシの葉製の紙、パピラの本 

パピラの工程は
ヤシの葉を蒸し、日干し乾燥後なめす。
→ 鉄筆で溝をつけるよう文字を書く。
→ 鉄筆で傷つけたところに炭と植物性油脂を混ぜたものを塗る。
→ さらに米粉塗って、磨く。
→ 文字が浮かび上がる。

写真のものはダンブッラ石窟寺院の参道途中、観光客相手の男から買ったものです。案内人のラヒルは古い時代の骨董品ではない偽物だから買わないようにと制止しましたが、パピラの本であることに違いはないのでシンハラ文字で書かれた本形式と紙見本として購入しました。表紙はいかにも端材にオイルステインで古色を装っているが、そんなに古いものでないことは私にもわかります。本の内容はラヒル曰く薬の調合のようなものらしいです。ラヒルの交渉で日本円で約5,000円くらいまで下がりましたが、買った私に何度もラヒルは「ありえない」を連発していました。






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引用元:
パーリ仏典、瞑想などテーラワーダ仏教関連サイト<テーラワーダ・ワールド>
南伝仏教における仏典結集 : 2010/05/05 15:51

http://10620626.at.webry.info/201005/article_2.html



第1回仏典結集  ラージャガハ (インド)
 紀元前6世紀(釈尊入滅の年、紀元前543年)、マハーカッサパ(Mah?kassapa)大長老が500人の長老比丘をラージャガハの七葉窟(Sattapa??aguh?)に集め、律はウパーリ長老が、経はアーナンダ長老が唱え、仏説として確認され、以後、口誦で伝えられた。

第2回仏典結集  ヴェーサーリー (インド)
 やがて律に対して見直しの要求が出たため、釈尊入滅後100年(または110年)、シスナーガ朝カーラーソーカ王の時、元ヴァッジ国の首都ヴェーサーリー (毘舎離)においてヤサ(Yasa=K?ka?daka putta)長老を座長とし700人の長老比丘を集め、申し立てのあった十事を検討したが、これらすべてを非法として退けた。これが機となり、サンガの根本分裂が決定的となった。

第3回仏典結集  パータリプッタ (インド)
 紀元前3世紀、マウリア朝第3代のアソーカ王は、首都パータリプッタにモッガリプッタ・ティッサ(Moggaliputta Tissa)長老を招き、そして1000人の長老比丘を集め開かれた。長老は分別論者(Vibhajja-v?din)を正統とし、それ以外の者を放逐し、これを「カターヴァットゥ Kath?vatthu(論事)」にまとめた。

第4回仏典結集  アルヴィハーラ (スリランカ)
 紀元前1世紀、ヴァッタガーマニー王の時、スリランカのほぼ中央に位置するアルヴィハーラ石窟寺院で開かれた。それまで口誦で伝えられてきた仏典が、この時、初めてシンハラ文字でパピラ(やしの葉から作った紙)に記された。尚、北伝仏教においては2世紀クシャナ朝カニシカ王の時、カシミールで開催された。

第5回仏典結集  マンダレー (ミャンマー)
 19世紀、コンバウン朝第10代ミンドン王は、仏教の都マンダレーを建設し、首都をアマラプラからここに移し、多くの仏塔、寺院を建設した。そして第5回仏典結集を開催し、仏典をビルマ文字で729枚の大理石の石板に刻ませた。この石板による世界最大の仏典は、現在、クドードォ・パヤーの中の729の小仏塔の中に1枚1枚納められている。

第6回仏典結集  ヤンゴン (ミャンマー)
 1954~56年に、釈尊入滅2500年を記念して各国から僧を招き、ラングーン(現ヤンゴン)郊外のカバエにて開催されたが、この時の会場は、第1回結集が行われたラージャガハの七葉窟をイメージして、半地下のような人口洞窟の構造が採られた。この時の質疑応答において、マハーシ長老は大長老方の前での質問者の役を担われた。



2014年5月28日水曜日

" The May Blues " Société des Artistes Indépendants BLACK TICKET @ N-mark; Nagoya  2. MAY 2014

installation view


"fountain"

installation view of "self portrait in SANSUI " 

detail of "self portrait in SANSUI "

"global library "

"media installation "

"quick response cloud art "

"SIGIRIYA rock project "




May blues ~ 五月病
あるいは、見ることについての五つの眼差し。
あるいは、メディアインスタレーション。

私たちは目の前の出来事のいったい何を見ているか。