2018年1月25日木曜日

記憶の人人:岩田信一さん


僕は存命中、一度だけ岩田信一さんにお会いしたことがある。

きっかけは岩田さんの友人であり、僕が行きつけの勝川の銭湯のおかみさんからの話からだった。
このおかみさんも、桜画廊で展覧会をしたことがあるという人で、まあ、その話はまたの機会にするとして、

「信ちゃんが、機械仕掛けのことで相談したいと言ってるので、会ってくれない?」というものだった。

名古屋ビエンナーレ、アーテックのアペルト展の搬入作業をしていた時なので1992年春のことだと思う。
名古屋市科学館の会場で、作品の設営作業をしているところに岩田さんがやってきた。

僕にとって名古屋は当時住み始めて12年目だったが、アウエーな地でもあり、岩田さんがどういう人かは存じ上げなかった。
銭湯のおかみさんからは、ゼロ次元とかゴミ裁判とかの話を間接的に聞いたが、当時の僕は大阪でSLを追っかけている健康不良少年だったので前衛運動とかの知見は全くなかったといってよい。


確か相談の内容は「生首がベルトコンベアーにのって動く」舞台美術のようなものだった気がする。

結局その場で









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岩田信一さんのオーラルヒストリー。

http://www.oralarthistory.org/archives/iwata_shinichi/interview_01.php

playback 180119
















































playback her blank 180119  from 21:00 to 22:52





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追記 ~ after 60days

45日の入院生活を終え、彼女は退院した。
事故後、彼女の人格は変化したように見える。
それは、ほとんど毎週、彼女を見ているこちら側の意識の変化によるものか。普段意識していないことに意識的に観察していたことからくるものかはわからない。
二か月がたった頃の彼女を見ていると平静を取り戻したようにも見える。ただ二度と今回のことが起こらないようにと行動に恐れが貼り付いているので慎重である。
人格の変化と見えたものは長い社会から遮断された時間による意識の混乱だったのかもしれないと思ったりするが、そうでないかもしれない。
事故直後前後の記憶がないのは変わらないが、彼女は今、HCUにいた時のことを思い出せないという。しかし日常生活の意識はしっかりしている。難しいことを考えると頭が痛くなるという。めんどくさいことをやりたくなくなったというが、それは加齢からくる一般的なことかもしれない。突然びっくりするようなことを言って驚かせるが、やさしく説明すると「ああそうやったな」と思い出す。このようなことは、障害が無くても年齢によらず誰でも経験する記憶の一時的トビととらえることもできる。

それでも、彼女の人格は変化したように見える。





2018年1月18日木曜日

day#21934: 180117 / Earthquake Kobe

"18 J-17" Kiminari Hashimoto /200x251mm/ballpoint pen,brush pen,paint marker on paper 






2018年1月17日水曜日

つまり

作品を発表しないのは、「ここに展示したい!」「これを展示した状態の空間を見てみたい!」という強く希求する「場」がないからかもしれない。

つまり、そういったことに対する熱意が。


2018年1月16日火曜日

肺とスポンジ






知人が肺を四分の一切除するというのを聞いて、かかりつけの医者に問うてみた。

「知人が肺を四分の一切除するのですが、肺を四分の一切除するのと、肺胞が四分の一死んでいて機能してないのとは同じような状態ですか?」

「いやそんなことはない。肺胞が四分の一死んでるあんたの方がはるかに重症だ。肺は四分の一無くなっても、ほかの部分が補って代行するようにできている。切除した部分以外が健常ならば問題はない。しかし、死んでしまった肺胞は元には戻らない不可逆的な症状だ。」







肺について思い描くイメージは空洞の中に木の根っこのような気管支やひげ根のような肺胞が浮いているというイメージだ。多分そのイメージは小学校の授業でやったフナの解剖の時に見た浮袋と、レントゲンフィルムで見る黒い空洞にひげ根のイメージ。




「肺というのは、まあ、言ってみればスポンジのようなものですね。」

スポンジと聞いてまず浮かぶのは紫外線による劣化である。スポンジ構造とは多孔質のことだと推測できるが、実際にアクチャルに実見するスポンジとは大半がウレタンスポンジである。彫刻や精密機器の梱包を保護する緩衝材としてのそれであるが、PS(ポリスチレン樹脂)の容器に入れて窓辺に置いておいたものが、容器自体の破損と同時に内部に大量に入れて置いたスポンジが粉体状に砕けているのを見つけてショックを受けた。
この時の粉砕がメタファーとして肺胞の死滅に直結して恐怖を覚えた。
「空洞の天井からぶら下がった木の根っこ」という肺のイメージが次元の異なるビジュアルに変質したのである。



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another story
http://panamaxnakagawa-entame.blogspot.com/2017/07/vol016.html

2018年1月13日土曜日

架空の小説「養老院サンバ」


養老院サンバ


三が日がすんで大阪から金沢へ戻ってくると街はすっぽり白い塊に覆われた見慣れない風景になっていた。六畳一間の下宿は、障子を開けるとガラス窓の向こうは白い塊の壁で空が見えない。初めての白い世界にウキウキ気分も、空が低い日本海側の冬の洗礼は日を追うごとにセンチメンタルな気分にさせる。海を見に行こうと思い立ってあてもなく電車に乗るが、降り立った駅はすでに闇が近づいていて新雪がかくす道なき道を勘を頼りに歩き回る。たどり着いた海は、天使の梯子がはるか水平線にスポットライトをあてた舞台セットのようで、僕の心はますます陽水になる。

三か月前にはMiG-25が超低空飛行でF-4JEの追尾をかわし函館空港に強行着陸した。
クラスメイトは日本からソ連へ行くのも亡命と言うのかと教授に問う。

降り積もった新雪と黒い海。
自分以外この世には誰もいない。
「未知との遭遇」の条件は整った。


日本海の海岸であいついで神隠しが起こっていた。
しかしそれを知るのは二十数年後のことだ。


あの時一人で日本海にいた僕は、なぜ拉致されなかったんだろう。


1977年はこんな感じではじまった。




そして、その40年後の年も終わろうとしている。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B3%E4%B8%AD%E5%B0%89%E4%BA%A1%E5%91%BD%E4%BA%8B%E4%BB%B6


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https://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2017/11/171115-40-years-ago.html