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2023年6月22日木曜日

鳰鳥(ニホドリ)息長鳥〈シナガドリ)と息長川〈オキナガガワ)

 



「鳰鳥(ニホドリ)の 息長川(オキナガガワ)は 絶えぬとも 君に語らむ 言(コト)尽きめやも」 万葉集・巻20-4458番・馬史国人(ウマノフヒトクニヒト)



冬が去り気温が上昇し日差しが強くなってきてからは、死の恐怖に直結するような酷い呼吸困難の発作は起こらなくなった。それでも動作時の息苦しさは慢性化してるので、健康な時の呼吸がどんなだったか身体は忘れてしまっている。

息苦しさの「息」とは「生きる」に通じる言霊であろうなどと考えてると、ここのところ観察しているカイツブリが、やはり「息」を字に持つことに何か縁を感じ、さらに、私の脳みその迷路はまったく異なる故郷の今川(大阪市では万葉で歌われている息長川オキナガガワは今川説をアピールしている)に繋がってゆく。
そして四天王寺研究の南さんがfbでつぶやいた仮説、「息長(オキナガ)=沖縄難民 ゆえに日本書紀は神功皇后を卑弥呼と比定した。」


水辺の湿地でよく見かける身近な鳥、カイツブリ。万葉集など古くからよく歌に登場する。
それゆえかカイツブリの和名はいくつもある。
カイツブリはカイ=たちまち、ツブリ=潜るときの水音が転じたとされる。
万葉の頃から歌に詠まれる鳰鳥(ニホドリ)は「すぐ水に潜る(入る)」生態を一文字で表す字に当てた大陸由来でないヤマト漢字。
「息長鳥」と書いてシナガドリと読む。またその繁殖状態から「浮巣鳥」(ウキスドリ)ともいう。いずれも和名であり、大陸漢字とは異なっている。

同じ「息長」(息が長い)と書いてシナガとオキナガの異なる読みは漢字が当て字であることを示している。水鳥のカイツブリと渡来氏族のオキナガ氏を区別するための読みに、漢字をあてたのだろう。潜って水中生物を獲るカイツブリの生態から「息が長い鳥」。息(訓読みイキ)(音読みシ)。さすれば息長氏(オキナガウジ)は沖縄由来ということか?
地名 息長川 オキナガガワ は息長氏族の地を流れている川という意味と、息長鳥 シナガドリ がたくさんいる川という意味の両方の意味にもとれる。
一方、文学界では息長川 オキナガガワ は特定の場所を指す地名としてではなく、文学界の通説として象徴的意味として用いられている。
生態観察→象徴的意味
いや、象徴的意味などという大げさなものでなく、東下りの八ツ橋が刈谷のカキツバタという固有の場所から転じて文化人の間でだけ通じる隠語のようなものになったように?
わかる人の間で引用引用を繰り返し、特権階級としての芸術に関わる人たちだけが阿吽の呼吸で理解できるといった。。。
こんな風に考えてると、私の脳みそ迷路はこの脱線が、生成AIやChatGPTにつながりを求め始めていることにもやもやしだしている。
・・・文学界の通説ではこの台詞は、古歌を書き写した屏風絵や歌扇に書かれ、また鳰鳥の歌も歌人に広く詠まれていたため、「息長川」と言えば「誠実な恋」を意味するものと考えられていたようです。(大阪市ホームページ)


230622-勅使池nest04




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ブラタナベ ~ 今川と息長川  (2015年5月19日火曜日)


大阪市ホームページ 018 息長川(おきなががわ)2022年12月19日



2020年1月2日木曜日

200102 初詣でやまと絵の神様を祀るという金岡神社にゆく

 



62歳になりました。
還暦を過ぎ、最近知ったことに、やまと絵の祖とされる巨勢金岡が祀られているという金岡神社があります。その金岡神社の場所が自分にとってもなじみ深い関係があったというお話です。

自身の中学校の通学路で使用していた山坂神社から田辺中学校に向かうまっすぐな道、実はこの道が難波大道であると最近言われています。
この道は自分が中学校に通うようになってからよく通る道なのですが、山坂神社の鳥居前を過ぎて田辺中学に向かう一直線の道はごくわずかに高低差があり下っていて消失点までかすんでいますがよく見えるのです。今では(50年前もですが)その行き止まりは長居公園の木々になるのですが、約1,135年前の金岡神社創建の885年頃を透視してみるとちょうどこの難波大道の行きつくところ竹ノ内街道にぶち当たり、その角が金岡神社なのです。当時の長居公園の場所はどのような状態であったのかは調べていませんが、今まで思い当たらなかったことに現在の大和川の堤防の存在があります。大和川で分断される難波大道?そうです、天井川だった大和川の付け替えは和気清麻呂当時からありますが、現在の状態に付け替え工事が行われたのは1704年からです。大和川の堤防

中一当時の自身の透視の消失点の先にこの金岡神社があったという驚きなのです。それがどうしたというあなたにとってのお話でありまして大変失礼しました。ここまで読んでいただきありがとうございました。


*この道は自分が中学校に通うようになってからよく通る道なのですが実は中学校近くの長居競技場近くに先祖の墓もあり













2018年6月8日金曜日

180413/ 今川、平等橋あたり




平等橋付近の一級河川、今川。
近所のどぶ川と思っていた今川は万葉集に詠まれた息長川か?
はじまり(暗渠?)の長居公園通りから下流に北上し国道25号線にぶつかると百済の國。
橋の上の道は八尾からー平野郷ー中野ー長居ー住吉大社へ至る八尾街道。
平等の由来は平等院領から。
諸説様々
奈良時代以前、難波宮と喜連を結ぶ水路(息長川)といわれ
平安時代杭全庄は摂関家所領。鎌倉時代に杭全庄は平等院所領となる。大阪城落城により徳川氏の直轄地となり、大名に給与されたのち、明治を迎える。
昭和4年地図では平等橋で川が三又に合流。中央の今川が本流で他二本の川は廃川となり埋め立て。平等橋の東南には1.2mの高低差があり、喜連川(廃川)の氾濫から荘園を守るため平等堤があったとされるが現在は埋め立てられ道路となりて痕跡は無し。
今川の東岸は大阪城、桜の宮と並ぶ大阪の三大桜名所であった。
平等橋あたりから北へは桜のトンネルになっている。

そもそも今川が息長川であったとする説は「大阪府全誌~摂津國東成群」に記されたことから始まるとされる。この資料には今川の旧名は河内川などと記されたり、和気清麻呂の未完に終わった土木事業(河内湖と大阪湾をつなげる上町台地を東西に貫通する濠=天王寺の茶臼山あたり)が完成するとされる誤記などがみられ、その信憑性が問われている。
また、昭和34年、日本上古史研究の大阪樟蔭女子大学教授であった今井啓一氏の論文「息長氏異聞」(喜連の息長氏についての論)などを受け、東住吉区の郷土史家が「今川は息長川だった」という説を展開されている。

ブラタナベ ~ 今川と息長川
https://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.com/2015/05/blog-post_19.html



参考資料ページ -----------------

平等橋付近の今川と息長川論
http://www.city.osaka.lg.jp/higashisumiyoshi/page/0000033887.html

治水工事で安全な町に 今川と夢ある橋名
先人の足跡をたどる №118(東住吉区)
https://osaka-hk.org/posts/%E4%BB%8A%E5%B7%9D%E3%81%A8%E5%A4%A2%E3%81%82%E3%82%8B%E6%A9%8B%E5%90%8D

伎人郷と息長伝説
http://okinaga.take1mg.com/newpage3.htm

攝河の地に「息長川」は存在せず~今川は「息長川」ではなかった
http://okinaga.take1mg.com/newpage4.htm



2018年5月16日水曜日

股ヶ池と長池


【股ヶ池と長池】
明治42年の田邉村、阿倍野村の地図では股ヶ池と長池はつながっています。
1945年7月26日の航空写真(アメリカ軍資料:ファットマン型原子爆弾の模擬爆弾/原爆投下の練習)では、ほぼ現在と同じ。股ヶ池と長池は埋め立てなどによって分断されています。


明治42年の地図(昭和中学校のブログより)
http://swa.city-osaka.ed.jp/swas/index.php?id=j712600&frame=frm5180a865ce5e8


1945年7月26日の航空写真(米軍資料)より
長崎原爆の予行演習、ファットマン型原子爆弾の模擬爆弾の記録として撮られた写真。中央部分が爆心地。田辺小学校のすぐ北です。
股ヶ池はほぼ現在と同じです。長池は南田辺駅の南に少しだけ写っています。
1945年7月26日、この日はポツダム宣言が発せられた日ですね。



http://seesaawiki.jp/w/haruhi_i_love/d/%B0%A4%C7%DC%CC%EE%A4%CE%C3%CF%CC%BE%A1%A1%A4%BD%A4%CE%A3%B4
『長池は、上町台地と我孫子丘陵の間にあり猫間川とつながっていた。明治初期までは、長池と桃が池はつながっていた。長池公園は、昭和3年(1929)に竣工した。長池のほとりにある舗装歩道は、日本初のものである。ほとりに、大正13年(1924年)シャープの基となる早川電機が早川徳次によって開業した。一説によると、大昔に、長居池と呼ばれる住吉大社から阿倍野まで広がる巨大な池があった。長池や桃が池や長居公園の中池は、その痕跡だといわれている。』

股ヶ池の歴史は古く飛鳥時代にまでさかのぼるとのこと。田辺が住吉大社と古くから関係があったことも知りました。

https://www.osaka-asobo.jp/course_station/212.pdf#search='%E8%82%A1%E3%83%B6%E6%B1%A0
『住吉大社の神馬の飼育は代々、田辺が行っていました。伝説によれば、神功皇后が朝鮮半島から見事な白馬を持ち帰って住吉大社で飼育していましたが、ある日失踪して、探してみると田辺の地で休んでいて、「馬はここを好んでいるようだ」と神馬の飼育を田辺の住民に任せたといいます。以来、連綿として戦前まで神馬は朝夕、田辺と住吉大社を往復していました。』

桃ヶ池公園 wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E3%83%B6%E6%B1%A0%E5%85%AC%E5%9C%92



2015年5月16日 4:17 橋本 公成

2018年4月17日火曜日

180414【ブラタナベ】北田邊村-庚申街道


田辺小学校東門、南海平野線田辺駅跡、駅前喫茶サンレモン→北田辺商店街→開高健文学碑(近鉄北田辺駅)→庚申街道→谷町線田辺駅


阪神高速14号松原線高架下より見るかつての田辺駅前跡
道路のこちら側に小さな駅舎があった。

南海平野線田辺駅  1978年頃?(写真:すし善さん)



南海平野線
開業1914年4月26日、廃止1980年(昭和55年)11月27日。阿倍野 - 西平野間のほぼ真下に沿って地下鉄谷町線の天王寺 - 八尾南間の路線が延伸開業(その上に高架の阪神高速14号松原線)したため廃止。66年の営業。


駅前跡の喫茶サンレモンわきの細い道を入ると北田邊村。直進北上すると庚申街道にぶつかり東に行くと北田辺商店街につながる新道商店街のアーケード。


松虫通
松虫通側から新道商店街アーケードを見る




近鉄北田辺駅にある開高健の文学碑

























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南海平野線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B5%B7%E5%B9%B3%E9%87%8E%E7%B7%9A

田邊郷
http://www.city.osaka.lg.jp/toshiseibi/page/0000116292.html
http://www.city.osaka.lg.jp/toshiseibi/cmsfiles/contents/0000116/116292/7.pdf

北田邊村・三杦家古文書展
https://www.sumai-machi-net.com/event/images/upload_files/event/30118/event_file/4d74a9b4ea487.pdf

庚申街道
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%9A%E7%94%B3%E8%A1%97%E9%81%93

開高健
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E9%AB%98%E5%81%A5