「タンクマン」 1989/06/05 |
【メディアアートの歴史】「タンクマン」1989
ハプニングは起こらない。
歴史ははっきり意図をもって作られる象徴である。
と、昨晩NHKテレビでお勉強、
と、いうのも笑えるw
「映像の世紀バタフライエフェクト」で中国共産党の歴史が映像で振り返られる。1949年2月3日「北平入城式」を見たソ連のアドバイス「カメラマンは受身的に撮るのではなく 現実を加工し 創造すべきである」によって、8か月後の10月1日、中国人民政府が正式に成立した日の映像では、はっきり意図を持った象徴が成立する。世界に向けて発信されたところから番組は始まり、1989年の天安門で終わる。
その象徴性が2年後の象徴を連想させる。
そして2年後の991年
象徴である「油まみれのウ」は今、検索しても出てこない。F1スポンサーだったBとかのイメージが
静岡新聞 2019.01.10「嘘つきは、戦争の始まり。」の嘘
湾岸戦争は、戦争のイメージを変えたと話題になった。
テレビを見てる人がテレビ・ゲームのような画面でゲーム気分で戦争に参加してるような錯覚にさせる。テクノロジーの進化によってメディアが出来事(サブジェクト)と観客の間に立った「媒体」「仲介」という役割から変容する。出来事(一方の主体+伝達者)の視点と観客(受容者)の視点が同一化するという錯覚を助長するようになる。ヴァーチャル・リアリティということばが頻繁に登場した時代。戦争のイメージもバーチャル・リアリティと混在し、ブラウン管の中で起こっている戦争が、現実の戦争かフィクションか曖昧になり血を流す肉体を介す野蛮な暴力が、メディア・テクノロジーの進化によってボタン一つで建物が消える非肉体的な出来事に置き換わる。
湾岸戦争とメディアの関係は、メディア・アートの国際展、1991年の第2回名古屋国際ビエンナーレARTEC'91でも批評的に取り上げられた。
湾岸戦争のニュース番組に連日登場していた特徴有る髪型の江畑謙介さん(軍事評論家)を招いてシンポジウムが開かれた。
私はこのシンポジウムを聞きに行っているが、この時、江畑さんの言葉で記憶に残っているのは「メディアが神の視点を手に入れた」で、この言葉でもってシンポジウムが締めくくられた。出品作品に直接政治的なテーマを扱ったものはなかったが、