2018年6月10日日曜日

エキゾチズムと19~20世紀フランス美術

エキゾチズムと19~20世紀西洋美術(フランス)

旅行記、アルバム、スケッチブック



●ドラクロアとモロッコ

Album du Maroc (Delacroix in Morocco)
https://www.nyarc.org/content/delacroix-morocco


ウージェーヌ・ドラクロワ《ユダヤの結婚式》 におけるイメージとテキスト 
by 古川法子ー 成城大学
http://www.seijo.ac.jp/pdf/graduate/gslit/azur/07/0702.pdf




ドラクロワの「モロッコ旅行記」試訳 
by 西嶋亜美ー広島大学
arp.lib.hiroshima-u.ac.jp/onomichi-u/file/13059/20170424160732/16-14.西嶋.pdf

ドラクロワ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%AF


サルダナパールの死(1827年、ルーヴル美術館所蔵) "La Mort de Sardanapale"
By http://cgfa.sunsite.dk/delacroi/p-delacroix22.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=38990



●ゴーギャンとタヒチ(ノアノア)
Album Noa Noa de Paul Gauguin

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%82%A2

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%B3


By Paul Gauguin - Inventaire du Département des Arts Graphiques, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8536460


●モネと北斎、ゴッホと広重(印象派と浮世絵)

●ピカソ、ブラックとアフリカ彫刻(キュービズムとアフリカ彫刻)

■産業革命とプリミティビズム


2018年6月9日土曜日

アバター

突然、FBに流れてきた村田仁さんの描いた絵に驚きました。
ぼさぼさ頭、目、口元の表情、、30数年前の自分の顔にそっくりでした。正確には30数年前、自分が見慣れた鏡の像です。モニター画面からこちらを見つめる画像の目は鏡を見ている自身の目と重なり、見れば見るほど鏡を見ているように感じます。
しかしその絵は単純化された線の集積にすぎません。写真のように情報量が多い画像ではありません。しかしなぜ私は自分の顔にそっくりと思ったのでしょうか。
単純な線の集積で情報量を低くした画像は、写真を基に解像度を落として作成されたわけではありません。偶然に線の集積が誰かの顔の特徴をとらえたのです。
このことは、ウォルトディズニーのアニメーションをその高精細情報量を独自の手法で単純化した情報量と、それを補う手法によって対抗した日本のアニメーションに見られる状況と似ています。

アバターはいくつかの特徴あるキャラクターをアイコンに置き換えSNS上コミュニケーションの時短ツールとして役立ってるように見えます。



https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10214796350569855&set=a.2856242132679.2144026.1458371576&type=3&theater

当然、30数年前に村田仁さんとは面識ありませんが、線の集積が誰かのいつかの顔に像を結ぶ不思議。







2018年6月8日金曜日

180413/ 今川、平等橋あたり




平等橋付近の一級河川、今川。
近所のどぶ川と思っていた今川は万葉集に詠まれた息長川か?
はじまり(暗渠?)の長居公園通りから下流に北上し国道25号線にぶつかると百済の國。
橋の上の道は八尾からー平野郷ー中野ー長居ー住吉大社へ至る八尾街道。
平等の由来は平等院領から。
諸説様々
奈良時代以前、難波宮と喜連を結ぶ水路(息長川)といわれ
平安時代杭全庄は摂関家所領。鎌倉時代に杭全庄は平等院所領となる。大阪城落城により徳川氏の直轄地となり、大名に給与されたのち、明治を迎える。
昭和4年地図では平等橋で川が三又に合流。中央の今川が本流で他二本の川は廃川となり埋め立て。平等橋の東南には1.2mの高低差があり、喜連川(廃川)の氾濫から荘園を守るため平等堤があったとされるが現在は埋め立てられ道路となりて痕跡は無し。
今川の東岸は大阪城、桜の宮と並ぶ大阪の三大桜名所であった。
平等橋あたりから北へは桜のトンネルになっている。

そもそも今川が息長川であったとする説は「大阪府全誌~摂津國東成群」に記されたことから始まるとされる。この資料には今川の旧名は河内川などと記されたり、和気清麻呂の未完に終わった土木事業(河内湖と大阪湾をつなげる上町台地を東西に貫通する濠=天王寺の茶臼山あたり)が完成するとされる誤記などがみられ、その信憑性が問われている。
また、昭和34年、日本上古史研究の大阪樟蔭女子大学教授であった今井啓一氏の論文「息長氏異聞」(喜連の息長氏についての論)などを受け、東住吉区の郷土史家が「今川は息長川だった」という説を展開されている。

ブラタナベ ~ 今川と息長川
https://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.com/2015/05/blog-post_19.html



参考資料ページ -----------------

平等橋付近の今川と息長川論
http://www.city.osaka.lg.jp/higashisumiyoshi/page/0000033887.html

治水工事で安全な町に 今川と夢ある橋名
先人の足跡をたどる №118(東住吉区)
https://osaka-hk.org/posts/%E4%BB%8A%E5%B7%9D%E3%81%A8%E5%A4%A2%E3%81%82%E3%82%8B%E6%A9%8B%E5%90%8D

伎人郷と息長伝説
http://okinaga.take1mg.com/newpage3.htm

攝河の地に「息長川」は存在せず~今川は「息長川」ではなかった
http://okinaga.take1mg.com/newpage4.htm



2018年6月4日月曜日

180602 /クロイチゴ?


道路の真ん中で動けずうずくまる雀。
口の周りが出血してるように見え、車にぶつかったのかと思いきや、少し離れたところに吐き出したクロイチゴのようなものが落ちている。
食あたり?
車にひかれそうなので道路わきによけるが、かなり衰弱してるように目をつぶって痙攣している。


180602 06:21

2018年5月29日火曜日

2018年5月16日水曜日

180430-0501


ようやく仕事場に戻った。





水場は屋外に。
この冬の低温で破裂した水道管は修復されず多少の不便に。例年、凍結しそうな夜には大家が水道管に毛布を掛けて対応していたが、高齢でそこまでの管理はできないらしい。
しかし50年前はこんなものだと不便を楽しむことにする。バケツを持って往復するのは運動不足の身には好都合だ。






180501 Mud calligrapfy