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2023年10月4日水曜日

アミガサハゴロモ類似の外来種 Pochazia shantungensis(和名はまだない)


先日、写真がやっと撮れて投稿した小さな小さなヘンテコな虫の話の続きです。
230914 /10:14 大白星羽衣の幼虫ではない?名無しの権兵衛

2023/10/03  12:20  Pochazia shantungensis成虫 勅使池にて

昨日、成虫見つけました。
この池を一周囲っているセメント製の柵(クヌギ擬態)でしか見ていないですが、柱天面の塗装の剝げや気泡の小さな穴に幼虫予備軍がびっしりついていますね。1年に何度も繁殖するようです。この池では6月頃に見つけて写真撮ったけど小さすぎてピン合わせが難しかった。
拡大して表面のテクスチャーを見ると人工セメントクヌギより、木彫っぽく見えますね。



緑っぽい粉で覆われてなく、赤錆っぽい色というのがアミガサハゴロモと異なる種ということらしいです。


230914 /10:14 幼虫
 しかし、すごく小さいながらもへんてこりんですごく目立つ幼虫(写真左)に比べ、成虫は渋いですね。
幼虫見つけて興味持って、なんだこれは!?と思ったのが始まり。ググって成虫のイメージ記憶してたら偶然、普通にいたんですが、僕でも見つけられるんだからもうすでにかなり侵略されてそうですねw!

 地味で目立たない成虫をたまたま見つけれたのは私の視線が正面上に向かわず、絶えず下方向に手すりを意識し、手摺に手をついて休憩休憩しながらしか歩けないリハビリウオーキング故ですね。この池の一周2.7km はトリヤさんのほかに圧倒的に多いのは健康寿命延ばしたい老夫婦や健康意識高い系ランニングパーソンなので誰もこんな柵の柱の上とかに注目してないですね。柵の存在すら目に入ってないかもしれない。みんな目的を見て走ったり歩いたりしているように見える。僕より年配の人が汗だくで必死に走っている。そういった健康人に比べれば自身の今が情けなくもなりますが、一方でよぼよぼと視線をした方向に手摺を頼りに歩いてるからこの変な虫にも出会えたわけで、そう考えると自身の今の状態もまた何かの発見につながる要因であるな と不自由な身体をポジティブに納得させるのでした。

 池の周囲は様々な樹木に覆われていて、その木々から手摺に落ちてきてると思うんですが、結構この手摺に多く見られるというのは気に入った樹木があるわけではなく、繫殖は天然木とか関係なくどこでもよいという感じですね。ネットでいろんな記事を見ると栗の木に多いとか○○の木を好むとかありますが、韓国のリンゴ果樹園とかで害虫扱いされてるのを見ると、いたるところで何度でもという繁殖力が勢力拡大の要因という当たり前の事実を見せられる思いです。

 それにしても、大白星羽衣(オオシロホシハゴロモ)という名前かっこよかったのに。。
ネット上では幼虫がオオシラホシハゴロモとされてるのがいくつか見られますが、成虫になると明らかに違いますね。
オオシラホシハゴロモ
あのハゴロモの幼虫は、オオシラホシハゴロモではなかった!

ググると、2018年頃から日本各地で見受けられ初め、岐阜の先生が詳しく解説しています。

Pochazia shantungensis
ウィキペディア(英語)から翻訳
Pochazia shantungensisは、ハゴロモ科のウンカの一種です。
それの別の学名はRicaniashantungensisであり、より一般的には茶色の翼のあるセミとして知られています。
この種は農林業の害虫と見なされています。主に浙江省の沿道にあります。山東省の果樹園でも見られます。 

2023/10/04

2023年4月24日月曜日

230424 蛙目粘土を買いに、からの、土鍋か電気自動車か

1987年頃、赤津



在庫の粘土が少なくなってきたうえに、今年になってやたらと原型の依頼が多く、しばらくなかった15㎝大の大きさのものもいくつか作成依頼があるので、品野の窯業原料屋さんに買いに行った。
最後の大学の授業の時もここで仕入れてたが、木節粘土水簸プレス1枚15kgで¥1,600-、在庫なくなり次第¥2,200-に値上げとのこと。(発送の場合、佐川の送料¥900-)
以前(といっても2015年くらいが最後だからもう7年前になるが)はアトリエ近くの鉱山に直接買いに行って蛙目粘土水簸プレス1枚300円くらいで5-6枚注文で運んでもらっていたが、さすがに一枚買うのに運んでもらうのもなんだし原付で行ったのだが、、、、
値段を見れば5倍~。・・・!






しかし事はもっと深刻で、土鍋の産地、萬古焼の危機につながるのである。




木節粘土・蛙目粘土


 この地方の原型師は、中国・ベトナムのようなワックス入り油土やフィギュア作家のようにオーブンを使うPVC素材のスカルピーなど使わない。陶磁器の型取り素材である石膏との相性や肌理の細かさが精細な彫塑に向くこと、表面仕上げの容易さ、何よりも直感的にサクサク作れることにより木節粘土、蛙目粘土を使用する。
 というわけで原型を作る材料として知った陶器用粘土「木節粘土」「蛙目粘土」。陶器の素地の生成に使われているだけと思っていたが、釉薬作成時にも使用する。よって窯業原料としては粉末でも売っている。
ガエロメネンド=蛙目粘土〈がいろめねんどとも呼ぶ)はカオリナイト鉱物を主成分とする花コウ岩,花コウ斑岩などを母材としてできた風化残留粘土で、粘土に含まれる石英粒子が雨にぬれ,カエルの目のように光るので,この名前が付けられたという。注1
 そしてこの蛙目粘土、萬古焼の土鍋などの耐熱陶器のプロダクトにはキーになる材料として登場する。土の産地→製品の産地であるから当たり前といえば当たり前ではあるが。

 低温の陶器は結構難しいプロダクトであると感じたのは、大陸の工場で生産を委託していた時に何度も経験した貫入や釉薬剥離、シバリング問題。基本的には生地の熱膨張率と釉薬の熱膨張率があってないことによるが、白雲(ドロマイト)や半磁器は本焼成温度が磁器ほど高くないため(釉薬と生地の融点が近いため)原料調合が難しいのだと直感的に感じていたが、温度管理は窯のどこにいれるか場所によっても異なるしその範囲の中で釉と生地の熱膨張率をコントロールするのはかなり繊細な感覚が必要だと思う。磁器などの本焼成が高温のものの方がある意味容易であるのだろう。
愛知県陶磁美術館にもある徳化窯の白磁観音像。宋時代に始まる中国白磁、明・清時代を通じて生産された徳化窯は中国を代表する陶都であるが現在の徳化は陶磁器全ての生産に優れているわけではない。磁器や白雲といった材質や温度の異なる陶磁器の生産で一時代を築いた愛知県瀬戸とはこの点が大きく異なると感じる。現在の徳化、中国福建省泉州市徳化県もまた陶磁器の産地の一つである。しかし、中国での低温の陶器、ドロマイト(白雲)は特に注意である。


土鍋か電気自動車か


 土鍋などは陶器と磁器の中間の半磁器という分類になっているが、食器カテゴリーでの製品に多いため、電子レンジやIH、直火対応など使用環境の過酷な熱環境に耐えなければならない品質が要求される。

土鍋で有名な四日市の萬古焼、昭和34年一部のメーカーではペタライトを陶土に40-50%配合することで低熱膨張性耐熱陶土の開発に成功したという。筆者自身80年代末頃には勤務先で土鍋の絵柄デザインに携わってたので四日市メーカーさんから来た素焼き生地に直接下絵付けしプロトタイプ作成したことを思い出す。(そういえば83年、初めて自身がプロダクトのデザインをした花器も四日市のメーカーさんで生産委託したものだった!ことを思い出したが、これはまた別の話)

ペタライト  Petalite(葉長石)LiAlSi4O10
発見は1800年、1817年この石からリチウム元素が発見される。

耐熱土、耐熱釉の調合に使用されるペタライトは携帯電話や電気自動車などへのリチウムイオン電池の需要で価格が高騰。(2017年¥100-/1kg が2023年には ¥1,000-/1kg に)
四日市にペタライトが入ってこず、一部メーカーはペタライトなしの耐熱陶器開発に向かっているという。
土鍋の生地には木節粘土や蛙目粘土が使用されている。そして蛙目粘土にはペタライトが混じっている。花コウ岩,花コウ斑岩由来の風化残留粘土である蛙目粘土であるから長石が混じってるのは当然といえば当然だ。しかし、ペタライトなしの開発には、あらかじめ蛙目粘土に入っているペタライト分を取り除かねばならない??・・・
 いずれにせよ、昨今の化石燃料燃焼によるCO2排出が目の敵にされ、(というか、排出量売買やゴミ輸出を見ればそのからくりが見える経済覇権争いのためのプロパガンダによって)電気こそがクリーンな未来を保証するというプロパガンダ。
「電気を制する者は世界を制す。」という流れの中、充電電池がキーになっている。


中国企業がアフリカ「リチウム鉱山」買収の背景
政情不安のジンバブエにリスクを取って投資
2022/02/25 22:00


四日市のペタライト輸入先はジンバブエ、ブラジルからという。


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注1 :世界大百科事典 第2版 「蛙目粘土」の意味・わかりやすい解説
がえろめねんど【蛙目粘土】
〈がいろめねんど〉とも呼ぶ。カオリナイト鉱物を主成分とする花コウ岩,花コウ斑岩などを母材としてできた風化残留粘土。
粘土に含まれる石英粒子が雨にぬれ,カエルの目のように光るので,この名前が付けられた。おもに窯業原料として用いられる。
この粘土は,カオリナイト鉱物を主成分とする一次粘土(一次カオリン)であるが,石英,長石,絹雲母を多量に含むものもある。
蛙目粘土中の絹雲母は〈きら〉と呼ばれる。愛知県,岐阜県,三重県などに産する。

 

軟質粘土では亜炭片を含有するものを木節粘土(きぶしねんど)といい,粗粒石英を含有するものを蛙目粘土(がえろめねんど)といって,愛知県を中心に三重県,岐阜県などに産出する。蛙目粘土は粗粒石英を除くために水簸(すいひ)し,水簸粘土として使用される。…

【多治見[市]】より
…市域は土岐川沿いの平地と美濃三河高原の丘陵地よりなる。蛙目(がえろめ)粘土,木節(きぶし)粘土と呼ばれる良質の陶土を産するため,



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関連ログ ------------
MADE IN OCCUPIED JAPAN
2017年12月6日水曜日
day #21141: 151120
2016年1月7日木曜日
About KEWPIE DOLL and SETO NOVELTY
2015年8月15日土曜日
150308【「記述」されたこと、「記述」されぬもの】「愛知ノート」
2015年3月24日火曜日
祖母懐土と蛙目(ガイロメ)の展示写真
140629 「魅惑の陶製人形」展 (愛知県陶磁美術館)
2014年6月29日日曜日
2009年徳化の画像あり
貫入と釉薬剥離 -dolomite production
2013年10月3日木曜日
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2021年12月1日水曜日

「古い3D」と「新しい3D」(その2)

 

8年前の投稿をfacebookが知らせてきた。
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https://www.facebook.com/kiminari.hashimoto/posts/566359226776687
橋本 公成  2013年12月1日投稿 プライバシー設定: あなたの友達
片目で見るとリアルなダイオラマ。20年間放置していた両眼視について、思考を再開しよう。
西山 禎泰, 杉山 健司, 加藤 令吉, 高橋 和生, 大平 隆文, 鈴木敏春, 松本 知子

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https://www.facebook.com/masakimuseum/photos/a.133393193499771/213260528846370/
正木美術館 2013年10月29日投稿 公開  

「カリフォルニア コンドル」と杉本博司氏、鈴木芳雄氏。

物黒無の名付け親・杉本博司氏が、展覧会「物 黒 無―モノクローム」をみに来てくださいました!

展示室の杉本作品と杉本コレクションも、生みの親の訪問に、少々緊張しているかのよう…。

11月5日(火)の東京レクチャー 
http://masaki-art-museum.jp/20131018_masaki.pdf 
で、モデレーターをつとめていただく鈴木芳雄氏も、時間をあわせ、来てくださいました。
みなさま、外苑キャンパスでおめにかかれますよう! 
コメント10件
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>高橋 和生(8年前)
心理学ですか。少しかじろうと、図書館で借りて・・・・無理でした。騙し絵の方が楽しいです。(^◇^)

>橋本 公成(8年前)
この画像の掛け軸は現代美術家の杉本博司氏の写真作品です。アメリカ自然史博物館のダイオラマを写したものです。
20数年前、映像の歴史に興味を持っていた私はダイオラマと2つのCCDカメラ、そのライブカメラから取り込んだ観客の映像を出力する2つのブラウン管を遠近法的にダイオラマに合成する装置を発表しました。
その装置は両眼視についての思考以外のほかに多くの要素を含んでいたため、その後の私の作品は複数の興味に分散し両眼視については放置され忘れていたのですが、先日この作品を評価してくれていた人から両眼視についてあらためて気付かされたのでした。
そんな時に今朝、日曜美術館の展覧会紹介のコーナーで正木美術館で開催中の展示で杉本博司氏のこの作品説明でダイオラマと両眼視、単眼視(カメラによる視覚)のことに触れられ忘れそうになっていたことを又、思い出したのです。

>橋本 公成(8年前)

杉本博司氏のwiki、下記にダイオラマに関する部分抜粋  

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E6%9C%AC%E5%8D%9A%E5%8F%B8?fbclid=IwAR3bxp3T_c6G0ua2SxiZLoAo3cWjp9sEK0GmF5DRBlK17JucvBq59nTd8iA

..最初のシリーズの『ジオラマ』では、ニューヨークのアメリカ自然史博物館の古生物や古代人を再現したジオラマを撮った。
片目を閉じた「カメラの視覚」のもとでは、両目で見ると模型だと分かるジオラマが遠近感の喪失によりリアルに見える、という発見からこのシリーズは始まっている。
精巧なジオラマを本物に見えるよう注意深く撮ったシリーズは、「写真はいつでも真実を写す」と考えている観客には一瞬本物の動物や古代人を撮ったように見えてしまう。..



>高橋 和生(8年前)
現実化してみせるには、遠近法。これは私の世界でも。両眼視は、遠近感の為に必要ではあるが、片方の眼だけでかえってジオラマを現実化してみせられるということ。
で、いいのかなあー?
さすれば、他の遠近法を使っていみているのでしょうが、ハテサテ?E.T.ホールの本をよみかえします。

>橋本 公成(8年前)
E.T.ホールの何ていう本ですか?

>橋本 公成(8年前)
エドワードホールの「かくれた次元」でしょうか?昔、本棚にあったような。。

>橋本 公成(8年前)
産業革命とともに始まる人間の大移動、大観光時代と写真、イメージ、視覚について書かれた伊藤俊治著「ジオラマ論」があります。


>橋本 公成(8年前)
20年前から放置された装置です。









>杉山 健司(8年前)
凄く面白そうな話!今度会ったら、このことについて話をぜひ!

>橋本 公成(8年前)
>杉山さん まだ、直感的に思いついたことを試している段階です。何らかの成果に結実するのか?

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「古い3D」と「新しい3D」(その1) 2021年11月7日日曜日
https://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.com/2021/11/dd.html


2021年11月7日日曜日

「古い3D」と「新しい3D」(その1)



この深田さんの番組、本題のことは置いておいて、話の中に登場する「古い3D」と「新しい3D」の技術的なさわりが分かりやすいです。

https://www.youtube.com/watch?v=MKi_aUQWYZ4


ここで語られているホログラム、3Dは、つまりはディスプレイ技術。
古い技術=両眼視差によるホログラムディスプレイ
新しい技術=ディスプレイをのぞき込む人の視点を検知して内部サブジェクトが追尾対応変化する多視点型ディスプレイ
SONYによる多視点型ディスプレイはセンサーとディスプレイをインテグレイトする3Dディスプレイ技術で、イメージセンサーチップの上にメモリを積層するという新技術を確立。センサーで映像を取り込みながら、そのセンサーの裏にメモリがくっついてるので短期記憶保持などにより、オーディエンスの目の位置(視線)が映像のどこを見ているかが変わっていくのを感知し、見せる映像の角度をちょっとずつ変えてゆく。多視点型ディスプレイが一枚のフラットパネルで実現できるというもの。
この、オーディエンスの視点をセンサーで追尾し、オーディエンスが見ている映像に影響を与えるという技術は、第2回名古屋ビエンナーレ、アーテック91で発表された、  さんの作品にありましたね。



Electric Heart Mother  Version03 (1992) のこと

僕も2台のライブカメラ(SONY Hi-8) と2台のブラウン管 (SHARP 14inchTV) を動かして現実空間に両眼視のホログラム風イメージを合成した大雑把なモデル化を作ってみたけど、30年間放置してる間に、どうしようもない粗大ゴミ化していて何とかしなければと焦る。



ふくいビデオビエンナーレでの展示 (1992)




そもそもこの作品を作ったきっかけは、「絵画の遠近法」「絵画の奥行き」についてというフォーマルなテーマから発展したものだった。そのため、この立体的な構造物は「その大きさが遠近法の影響を受ける大きさでなければならない」というのが始めの取り決めの一つであり、その内部にやはり奥行き(遠近法の消失点に向かう先細りの台形を底面に持つ画箱としてのダイオラマ)が作られた。「内部空間を持つ彫刻」ということも一方でのテーマであって、「絵画(2次元)と彫刻(3次元)両方の次元がオーディエンスの視線上で交差する映像装置でもある。」
<実際のダイオラマを実見するよりも、それがカメラで写真になった時により奥行きを持った深い空間を提示する。>ということを示したのは杉本博司氏のデビュー作?ニューヨーク自然史博物館のジオラマ装置を写した写真作品だったが、




another story
<30年間放置してる間に、どうしようもない粗大ゴミ化していて何とかしなければと焦る。>からの  another story 
 日常の生活スペース以上の大きな作品の場合、発表空間の大きさに合わせて分割して作るため会場での設営時にしか改良や銀杏性ができないという欠点がある。普段の制作スペースがそれ以下である場合、毎朝起きて作品に対峙して問題点を少しづつ調整してゆくといった制作方法に至らない。パーツごとの部品は別々に梱包されたりしていて、ましてや電気の来ていない倉庫にあっては実験さえできない。まあこういうことは作家の言い訳にしかすぎず身から出た錆で、泣き言言うな!と天から叱られるが、組み込んだ機材さえもが前世紀の仕様からアップデートしていないとその部分でも機能させるのが困難なゴミになってしまう。こういったことは制作初めのころにもすでに想像がついていたし家電を素材にした作品を美術コレクターなどは手を付けないという一般的認識もあった。それでも後先考えない若気の至りは「青春美術」の無謀のなせることであり、力技で強引にねじ伏せるといった狂気じみた行為であったのかもしれない。

another story 02
 この作品は、茂登山清文先生に声をかけられた1991年末~1992年年始にかけてのグループ展 cool break へ出品することを決め、91年秋より制作を始めた。勝川のアパートでの制作が限界だったので、年末二つのグループ展出品のため、瀬戸に仕事場を借りたのである。陶芸家中村康平氏が陶壁制作用に借りていた栗木製陶所の一角をシェアさせていただいたのが始まりで、康平さんが金沢に帰る94年頃まで制作場のシェアは続いた。

(つづく)

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about my work: Kinetic structure  2016年10月8日土曜日

ライブカメラ ビデオ ストラクチャー  2015年12月20日日曜日

Diorama of EHM 1992 -01  2014年5月12日月曜日






2018年6月12日火曜日

Woods's chair ウッズの椅子

"newspaper for PUBLIC MOTHER"  Kiminari Hashimoto  Sep.1997:  photostat work


The Radical and Contagious Ideas of Lebbeus Woods
Aida MironJune 11, 2014
https://hyperallergic.com/131802/the-radical-and-contagious-ideas-of-lebbeus-woods/?fb_action_ids=659130090832933&fb_action_types=og.likes
2014年6月12日 12:31



In 1997, I borrowed the design of the chair of Mr. WOODS for the purpose of giving information science symbolic form.

'97 私は、情報科学にウッズとは異なる象徴的な形を与えるためウッズの椅子を借用した。

installation view at ORIBETEI ex. Kiminari Hashimoto


DM of 1997ex. Kiminari Hashimoto : post card


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Lebbeus Woods, “Centricity” (1986–88), graphite, ink colored pencil and sepia wash on paper, part of a series of eight drawings, dimensions variable, San Francisco Museum of Modern Art (image courtesy the Drawing Center)
レベベウス・ウッズ「Centricity(中心性)」(1986-88年)黒鉛、紙のセピア・ウォッシュ、8つの図面のシリーズの一部、可変寸法、サンフランシスコ現代美術館(イメージ礼儀作図センター)

このドローイングイメージはテリー・ギリアム監督の映画「12 Monkeys」に登場します。
96年当時、私も非常に熱中してVHSまで買って制作中流しっぱなしにしてました。
ストーリもさることながら興味深いのはアンビルド建築家レベウス・ウッズのドローイングが尋問椅子などが映画中のインテリアで借用されていること。
無断借用されたウッズは本気で知的著作権を争いたかったわけではなかったらしく、勝訴しても作品内のその映像が残ることを許し、金銭的和解したこと。


テリー・ギリアム監督の歴代映画の撮影現場を写した舞台裏写真が映画系ブログに大量アップされ話題に    2015/01/22 16:55掲載
http://amass.jp/51277/

テリー・ギリアム 映画「12 Monkeys」
https://ja.wikipedia.org/wiki/12%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%82%BA



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The Radical and Contagious Ideas of Lebbeus Woods
Aida MironJune 11, 2014

https://hyperallergic.com/131802/the-radical-and-contagious-ideas-of-lebbeus-woods/?fb_action_ids=659130090832933&fb_action_types=og.likes

---google 機械翻訳

ドローイングセンターの建築家Lebbeus Woodsは、待望のLebbeus Woodsの急進的建築の35年に及ぶ作品を展示しています。 この展示は、図面、ノートブック、ゆるいスケッチ、コラージュ、物理的構造、スケールモデル、本格的な絵画、出版物、マニフェスト、および彼からのエントリーからのテキストの断片の光とテクトニクスの分野での驚異的な ブログ。

ギャラリー空間の制約に常に挑戦し、壁に絵を吊るしたり、架台にモデルを展示したりする常用の実践を展示することは、どのキュレーターにとっても挑戦です。 ウッズは、2000年代初めまでに、建築出版物やパンフレットの出版図面から構造的なフィールドや一時的なインスタレーションの物理的な構築に移った。ニューヨークのCooper Union Houghton GalleryのThe Storm(2001)、The Fall )、ウィーンの応用芸術院のシステムウィーン(2005)などがあります。 ウッズは、先例のない建築作品を展示するリスクを冒す意欲があったため、これらの展示スペースとそのキュレーターが最初の顧客であると冗談を言っていました。

ドローイングセンターでは、プレゼンテーションに関しては、過激主義は勝利しません。 ウッズの図面は、慣習的に時系列にフレーム化され、モデルとノートブックはペデスタルに表示されます。 しかし、おそらく私たちはこれを無視して、作品の空間に直接入り込んで、1つのグレーの部屋に圧縮された膨大なエピステムを直接探索することができます。 ウッズの作品は「ファンタジー」と呼ばれ、サイエンスフィクションのイメージと比較されていますが、この回顧は、サンフランシスコ近代美術館(San Francisco Museum of Modern Art)の元の場所で2013年に開催された建築とデザイン展の4番目に大きなものでした。 おそらく、ウッズのビジョンは制度的教授法に挑戦し、その根本的な実験、政治と建築との関係の妥協のない質問、強力なイメージ、そして変容の道具としての光、人間の知覚、建築の現象論を探究するためです。

ドローイングセンターでギャラリーに入ると、ボイドのあるセンターとその側から発せられる建物のような構造を持つスチールクロスと、宇宙に浮かぶ墓の4つの図面があります。 アルバート・アインシュタインに捧げられたこのプロジェクトは、1980年にパンフレット・アーキテクチャーのために創設されたウッズの最初の出版作品のひとつです。建築家は、「地球から放出された光線を外側に飛び越し、 「この墓の提案は、アインシュタインの時間、相対性理論、場理論、物理学のアイデアからインスピレーションを受けたものです。 白くエッチングするような背景にインクとグラファイトで描かれた図面は幾何学的なボリュームの静物を描いています。 それらは、銀河間の光と重力のない物体の浮力を捕らえ、映画のように、ダイナミズムと次の方向性の変化を予期する1つのフレームの静寂と正直さを捉えています。

「アイオン」(1981年)、「セントリシティ」(1986年)、「A市」(1987年)のようなプロジェクトでは、ウインズは新しいレンズを使ってアインシュタインの考えを探求しました。都市システムとサイバネティックスハインツフォンフォスターのVon Foersterは、1950年代と60年代のオーストリア系米国人科学者であり、初期のサイバネティクスの建築家でした。ウッズはアーバナ・シャンペーンのイリノイ大学の建築学校で彼に遭遇しました。ボーン・フォースターは電気工学の教授でした。これらの初期のシリーズでは、ウッズは技術と認知科学に非常に関心があり、自己組織化や通信ネットワークなどのサイバネティクスの概念を実験的な都市計画に統合しました。これらの都市は、階層化されていない都市構造である「異端者」として配置されています。一見すると、彼らは荒廃した、無人の、黙示録的で終わりのない、廃墟のように見えますが、スクラップメタルのさまざまな部分や再建された戦争機械で構成されています。まだ居住の痕跡、器具で満たされた研究室の塔、コミュニケーションのための球状の照明器具があります。軽量構造は、複雑なネットワークで様々な規模で接続されています。

これらの都市探検の期間中、ウッズは1985年のロンドンでの大規模な展覧会と1987年のサンパウロのfavelas訪問の2つのイベントの結果として「急進的」でした。展覧会は彼のニューヨークスタジオ 2004年出版のLebbeus Woods、Experimental Architectureによると、教授と過激な思想家として国際的に彼の名前を確立している。 この本は、ブラジルの訪問が彼の考えに及ぼす影響についても述べている:「彼のプロジェクトは、サンパウロだけでなくどこでも緊急の人間の問題に直面するには不十分であった」 重要な疑問を浮き彫りにし、アーキテクチャに何らかの行動が可能であることを実証している」

1988年から1995年にかけて、ウッズの有名な出版物「アーキーアーキテクチャー:政治法(1992年)、戦争と建築(1993年)、ラジカル再建(1997年)」で見つかった図面は、戦争、再建、領土分割、 。ウッズは、第二次世界大戦中の彼の育成によって大きな影響を受けた - 彼の父親は、ニューメキシコの原爆の開発とテスト、そしてその後のこれらの場所への近接によるガンの希少な形態による死亡と、その後のクロアチア戦争の経験ザグレブを訪問している間、独立した彼の将来の妻に会った。このシリーズの最も一般的な形式は、ArchigramのPlug-In Citiesとコラージュ実験からインスピレーションを得た、自由に動く街の照明構造です。たとえば、 "空中パリ"の家は、エッフェル塔と密集した都市の上に凧や断片化されたツェッペリンのように浮かびます。それらは構造的で、窓と内部の階段を備えていて、さまざまな部分で構成され、ケーブルと軽い布でつながっています。それらは機械的であるが、奇妙なことに昆虫に似ており、殻が互いに移植されている。

ベルリンの壁崩壊前の1988年、ウッズはドイツの首都を訪れ、街の政治部門、乱れ、活気に満ちた地下の風景に魅了されました。この旅の間に、彼はUバーンのラインに沿った地下自治コミュニティのための注入されたフリーゾーンとして構想された "アンダーグラウンドベルリン"(1988年)のコンセプトを開発しました。彼はブログのエントリー「Underground Berlin:the Film Treatment」のこの根本的な不安定化を「建築的手段によって達成された既存の社会統制の権威主義体系の破壊」と表現している。

ベルリン自由地帯(1990年)では、「地下ベルリン」に続いて、コネクティビティとフローティングチェアの「白い箱」が住むフリーゾーンで噴出する創造力を調べます。これらのコラージュされた図面では、ダイナミックな建築構造が過去数世紀から固定された建物に衝突し、デカルトデグリッドを破壊する内部空間に爆発します。これらの空間は、宇宙船に似た金属構造から構成され、時には硬く、構造力の圧縮下で折り畳まれ、時には布のように柔らかい。これは冷戦後の都市計画の代替案を提示する自由思想の光、コミュニケーション、破壊的な自治についてのプロジェクトです。ウッズは明らかにベルリンの崩壊、半分占領された空間、そして資本主義の新しい覇権の下で都市が清掃されれば消えていく痕跡を念頭に置いていた。これらの図面は、明るく暗い、硬くて柔らかい、古いものと新しいものとの間の完全なバランスをとる。

ベルリンフリーゾーン(1991年)、ザグレブフリーゾーン(1991年)、および「サンフランシスコ:震災に生きる」(1995年)は、いずれも紛争地域を探検し、 流体および動的形態の構造を通じた無指定の空間。 ウッズが作成した空間は、モダニズムのマントラとは対照的に、それぞれの用途と各ユーザに適応する「意味のない自由」(やはりLebbeus Woods、Experimental Architectureのもの)である。 彼は新しいサイトに自分自身を注入するにつれて、自分自身を常に発明しているアーキテクチャです。

Lebbeus Woods、Architectは6月15日までDrawing Center(35 Wooster Street、Soho、Manhattan)で続きます。





2018年5月16日水曜日

180501 Mud calligrapfy


Body work 03 #Self-generated sculpture



IMG_6619-02mono03W-blg


# 手法:彫刻、excrement sculpture、デジタルフォト、Photoshop work
# 引用様式:情報芸術、SNS art
# リテラシー:自己生成

2017年12月22日金曜日

day#21902: 171222/ Body Work 02 # Self-generated sculpture

171222-07:42







# 手法:彫刻、excrement sculpture、デジタルフォト、Photoshop work
# 引用様式:情報芸術、SNS art
# リテラシー:自己生成

2017年11月22日水曜日

day#21871: 171120/ Body Work 01 # Self-generated sculpture



171120-19:41 

# 手法:彫刻、excrement sculpture、デジタルフォト、Photoshop work
# 引用様式:情報芸術、SNS art
# リテラシー:自己生成


2016年5月4日水曜日

made from wooden mold 1990 DEC. 木型による陶の生成


 鋳込み、手オコシに限らず陶器で立体物を生成する場合、石膏型を使用するのが一般的で大量生産には効率的であると理解していました。焼成前の粘土に含まれる水分が石膏に吸収されるという特性を利用した石膏凹型は、形の複製が容易に可能だからです。
しかし粘土の水分を吸収するということを考えれば、石膏に限らず木でも可能です。
そのことを知ったのは常滑の資料館だったかで見た建築用テラコッタの木型に出会ったからです。明治村にあるフランク・ロイド・ライトの帝国ホテル外壁用レリーフタイルだったような気がしますが、記憶があいまいで違うかもしれません。



wooden mold for “package Ⅱ” 1990








 ここに示す木型は当初、大きな壁面レリーフ作品の縮小模型を作って個展で展示しようとしたものです。大きな壁面レリーフは図面を描いて合板などを切り出し、板と粘土顔料焼付+洋箔貼りで木部パネル部は作られています。制作時に図面を作成していたので正確に縮小することが可能でした。
 しかし、大型作品の複製縮小版を作ることに興味がなくなり、むしろ、その縮小サイズで素材を陶に変えて展開することにしたのです。
この時思いついた木型による複製作成は陶による展開と決めたことで、機械的に複製を行うのでなく粘土の可塑性を活かすことによる制作へと展開しました。一つづつ起こされた生成物が異なるよう一回性の印しをそれぞれに彫刻することでした。
 木型は粘土の水分を吸うので、一つ起こすたびにバーナーの火であぶって強制乾燥させます。その結果、凹型の木目がより強調され起こされた粘土には木目がより目立ち、結果、陶であるのに木で作ったようなイリュージョンがその表面に現れます。この効果と粘土の可塑性を活かした一回性の印としてのアドリブカービングが合わさってこのシリーズの土台が生成されました。




"packageⅡ- 008,009,010  (unfinished)" Kiminari Hashimoto /DEC.1990 /stone ware


"package Ⅱ- 001, 002, 003, 004, 005, 006, 007" Kiminari Hashimoto  / 42x28x9 cm each / 1991 / stone ware, brass, aluminium, circuit board  


この時、凹型から10個の陶のベースを作成し、壁面レリーフとして展示可能なように仕上げた7点を1991年の初めての個展で展示しました。3点は陶のベースの状態で今に至ります。
「package」というタイトルはICチップのパッケージからの素材関連と、陶による表現を追求していた金沢美大の先輩でもある久世健二先生が「パッケージシリーズ」と作品シリーズで使っていたことに対する、オマージュでもあります。私なりの「パッケージ」という概念に対する表明でもあったのです。


installation view  1991
installation view ' packageⅡ-007 '

木型のもとになった大型レリーフ(部分)

 この1991年、名古屋での初個展は大型のレリーフ作品と小品数点でしたが「情報と人間」をテーマにした立体イラストレーションといったようなものでした。四角い形状はICチップをイメージし、それを拡大したものです。それに亀裂が入ったり、直接人体のパーツ(それらも陶磁で作られています)が接続されたように表象されています。陶素材によるパーツが多いのはICチップとの相似関係によっています。



1990/12/22 @瀬戸権現山窯
1990/12/27 @瀬戸権現山

 この作品の制作当時は瀬戸の友人、加藤貴幸さん宅で陶器の窯づくりなどに熱中していました。また、陶磁器ノベルティ商品開発の会社でのサラリーマンでもあったので入社後10年で陶磁器に対する知識や経験(主に工場でのプロダクトに関することやプロトタイプの作成)はそれなりに深まってもいきました。石膏の型屋さんが社内にいたこともあり、そこに押しかけての体験など型を使った表現が身近な方法でもあったのです。